資料を見るということ
明けましておめでとうございます
1月も半ばに差し掛かったところで新年の挨拶をするのはどうなのという気はしますが2023年はじめての投稿ですしまだ1月中であれば許されるかなという個人的尺度です。
さて、1月7日には劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライトオーケストラコンサートRevivalがあり、私は夜の部に行ってきたわけですが、オケコンの感想についてはいまさら言うまでもなく大勢の方々が熱い思いを書き記していて、私程度が思いつくようなことは1万回言われているのでわざわざ書きません。ただオケコン行ってきたよ!本当に素晴らしかったですね!ということだけは書いておこうと思ったので無理やりねじ込みます。
まあこのnoteの閲覧対象者はTwitterでの相互のみを想定しているので報告せずとも知ってるよという感じでですが。
そしてオケコンの会場では幾人かのTwitterでつながりのある方とお会いしたりもしたのですが、そのうちの一人に「もっとnote書いて」と言われました。
前回の投稿は12月25日らしいですね。
当初冬コミで描く予定であった漫画がかけずにいたので、取り合えず頒布物なしという地獄を回避するためにコピ本でもこしらえるか、とは思ったものの原稿はやりたくないので現実から逃避するためにnoteをやってみるか、というのがnoteを始めた真相ですが、物を書く習慣のない人間にとってはこの程度の文章でさえ、ものの数分で、というわけには行きません。
ですから原稿はやりたくはないものの、やらなければならない、という気持ちだけはあったので、年末はこんなものに構っている余裕はなく正月も実家に帰省したりしていたので何だかんだで間が空いてしまったのでした。
あ、そうそう、コミックマーケットもお疲れさまでした。
私のスペースに来てくださった方、私が挨拶に行っても無視しないで対応してくださった方々どうもありがとうございました。
はい、ここまで前置き。
今回は「資料を見るということ」
について少しだけ思ったことを書きます。
最近Twitterで資料を見て描くということの重要性について少し話題になっていたと思います。この手の話題は絶えず繰り返されるものなので別に目新しいものではありませんが。
絵を描くことを趣味とする人の中には「何も見ないで描けなければ本当に描けるということにならない」という意識が多少なりとも存在するものだと思われます。私も何も見ないで絵を描きたいです。
あるいは単純に「資料を探したり見るということが面倒なので嫌」というものや「そもそも別にちゃんと描けてなくても気にならないからいい」といったように一口に資料を見ないという中にも様々なパターンが存在すると思いますが、今回は「別にちゃんと描けてなくても気にならない」ということについて少し書きます。
例えば「首からカメラを提げた女子高生」の絵を描くとします
この場合、多くのオタクにとって一番重要なのは「女子高生」の部分だと思いますが、それと同じくらいに重要なのは「カメラ」であると私は考えています。まあ女の子の方が重要なのだけど。
「カメラを首から提げている」というだけで、スマホで大概は事足りる時代にわざわざカメラを持っているということはこの女の子はカメラが好きなんだな、写真を撮るのが趣味なのかな、新聞部なのかな(アニメや漫画以外にそんな部活で真面目に活動している人が現実にいるのかはさて置き)といった情報や想像の余地を与えられるわけです。
カメラがなかったら普通の女子高生になってしまうわけなので、この場合のカメラというアイテムはかなり重要です。
はい、ここでカメラはちゃんと資料みて描こうね、という話です。
カメラっぽいものは多分誰でも描けます。それが極端にデフォルメされた絵柄であったりすればカメラっぽいものでも大丈夫ですが、そうでなければそれなりにしっかり描く必要性は生じるものと思われます。その時に描く場面、題材、絵柄、自身の実力等に合わせた描き込みの度合いや省略は必要であって、完全にそっくりに描けという話では全くありません。
そんなのは私が描けねえ。
私は特にカメラや写真が趣味ということはありませんが、そういったものに知見や拘りのある人は、資料を見て描かれたものであれば、巧拙はともかく、ちゃんと描いてくれてるな、ということは一目でわかると思います。
銃を持った女の子なら銃、刀を持った女の子なら刀、楽器を持った女の子なら楽器が重要なアイテムになりますよね。
私は遥か昔に小学生や中学生の時代は終わっていますが、いまだに銃や刀剣などの武器が好きな異常者なので、リコリスリコイルやレヴュースタァライトのイラストを見たときにやはりキャラクターが持っている銃や剣にも自然と意識がいってしまいます。
何とか警察になるつもりはないですが、一目見ればこの人鉄砲好きだな、とか興味ないけどちゃんと描いてくれてるなっていうのはわかります。
いつだったか、成年向け雑誌のカバーイラストでロードバイクに乗っているガールの自転車があまりにも酷くて話題になっていたことがありましたね。どんなに絵が上手くても人物にキャラクター性を持たせるアイテム、シチュエーションを付与するアイテムに最低限のリアリティラインが確保されていなければ残念になってしまうって話ですね。
そんなわけで資料を見るということについて思っていることを少し書きました。私自身はとてもこんな偉そうに宣えるほど絵が上手くもないし丁寧な絵を描いてるわけでもないのですが、心構えとしてこういう意識は持っているよ、という話です。
今回も数行で終わることを頑張って引き延ばして書きました。
そうでなければTwitterで全部事足りてしまうので。
それではごきげんよう
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