必要な公共事業と要らない公共事業との違い
そもそも公共事業とは何か?
公共事業とは政府や地方公共団体が調整役として、市場原理に反してでも、均質的な財・サービスを幅広く提供するものです。公共投資とも言います。基本的に公共投資は市場原理によって、財・サービスの格差を埋める場合が多いです。例として医療があります。市場原理のみであれば、都会だけが高度な医療体制が整えられ、地方は簡易的な医療体制しか受けられないような格差が生じます。これが民間運営であれば、尚更です。特定の病気の患者数に合わせて、医療サービスの展開をしていたら、患者数の少ない病気は東京以外で医療サービスを受けられないことになる。(社会保険制度による医療保障がない場合の過程)しかし、そのようなことがあってはまずいので医療サービスを可能な限り均質的に受けられるように公共投資が行われる。
しかし、民間の考え方として採算の合わない事業にお金を出すのは良くないという考え方もある。公共事業反対側はおそらくムダな公共事業が多く目についてるから反対してることかと思います。実際にムダな公共事業もあるのは事実ですし、比喩表現でなく、直喩表現で「お金を溝に捨てた方がマシ」な事業もあります。(SNSの普及した時代なら炎上狙いで企画としてやれば、溝に捨てたら広告収益として捨てた額以上に戻って来る可能性もある)では、必要な公共事業と要らない公共事業とは何かを考えてみたいと思う。
必要な公共事業
3条件
1.採算が取れない場所で民間のみでの事業展開が厳しい場合
2.一定数以上の住民がいる場所で必要な事業である
3.付加価値創造を促進させる投資行動目的である
条件1.の例で医療機関がある。地方の中核都市以下の市単位ですと病院は赤字採算で市が運営してることが多いです。高度な医療を受けられるように公共投資を怠らないことは言うまでもないことだが、赤字が出ることで住民税負担も増えるのも事実です。
それを効率的に行うためにも条件2.が重要です。例として住民が1万人しかいない市町村で病院を運営するのと、10万人がいる市町村で病院を運営するのとでは、明らかな負担の違いが生まれます。この例えは市町村と中核都市レベルの違いを指してます。どう考えても維持人口が足りない市町村では高度な医療設備投資は高い買い物になります。しかし、市町村から中核都市まではそこまで遠い距離という訳でもない。であれば、高度な医療サービスは中核都市レベル以上で受けられるように公共投資をすればよいです。問診だけであれば、民間の仕事で済む課題ですし、近年ではオンラインで問診が出来るそうですので、維持人口以下の場所での公共投資の必要性は減ります。
これは条件3.の付加価値創造を促進させる投資行動目的にも繋がる話ですが、最初から政府や地方公共団体が介入したら、本来そこで生まれるはずだった付加価値を潰すことになります。つまり、中核都市レベル以上の都市の医療サービスに専念することで、民間が穴埋めされなかった場所をカバーすることになります。
条件3.の話をより分かりやすい例で道路インフラの整備があります。道路インフラの本数はともかく、道路インフラが無ければ、物流における活動が制限されることを意味します。しかし、物流会社の利益に繋がるなら物流会社が道路インフラを作ればよいのではないか?と思われるかもしれません。間違いではないです。物流会社が独自の道路を建設し、通行料をとり、他の物流会社や一般人に開放すれば、大きな利益追求が可能です。ただし、これは机上の話です。将来儲かるか見通しがつかないのが道路インフラの特徴であり、そのリスクを取りたいという民間企業はほとんどいないでしょう。そこで政府や地方公共団体の負担で道路を作ることで本来回避されるリスクを最小の負担で多くの人々に利益還元する仕組みが出来上がるという訳です。
このように、採算がとりにくい場合でも、維持人口を気にしながら、公共事業を行い、民間の活動を妨害せずに促進させることが可能です。(政治の決定における利権問題は別として…)
要らない公共事業
3条件
1.採算が取れる場所で民間のみでの事業展開ができる場合
2.一定数以下の住民しかいない場所で必要な事業である
3.付加価値創造を妨害し、投資行動を抑制する場合
条件1.の例で都市部におけるインフラ整備がある。民間が行えるインフラ開発のポイントは見込み益の見通しです。東京のような人が大量に集中する場所であれば、将来的な見込み益が見通しやすく、民間レベルでもインフラ開発に着手するだけのメリットがある状態になります。一方、地方は逆で民間は怖くて進出を拒むことになるでしょう。つまり、東京などの都市部ではインフラ開発にかける公共事業費用は多くかけなくても、民間で競争を通して、サービスが最適化されます。
2.は見込み益の話の続きで、山の中で人口が10人もいないようなところまでインフラ開発をするメリットは民間では見出せません。政府や地方公共団体であれば、インフラ開発は可能ですが、インフラ網もカバー領域が広いとその分コストとして計上される為、中心市街地から離れすぎた人口が集まらない場所でのインフラ開発には消極的な姿勢を持った方が良いでしょう。但し、防災インフラは市街地ではなく、離れた場所で食い止める為、これは例外であり、公共事業を行うべきである。
3.は1.の例に繋がりますが、本来民間で提供することの出来たサービスを政府や地方公共団体が介入することで、市場原理が阻害され、民間で提供できたはずの付加価値を妨害することになる話です。例として、電力会社を縛る法律があります。日本の場合、政府や地方公共団体による原子力に関する規制や利権化が多く、民間からの新規参入の大きな障壁になっている。原子力発電は世代ごとに区分できるが、日本に多いのは旧タイプの原発です。原子力発電も研究が進んでおり、トリウムを使った最新型の原発が先端を走ってます。核廃物の半減期も短く、地球上の資源量がウランの4倍あるトリウムは魅力的な発電方法として注目されてます。旧式原発の廃炉と安全性の高まった新原発への更新が必要とされる中、政府や地方公共団体が介入している状態ではトリウム燃料サイクルを使った取り組みが行いにくい状況にあります。そもそも原子力基本法の原子炉の管理項目にて、以下のように書かれてる。
以下原文
第六章 原子炉の管理
(原子炉の建設等の規制)
第十四条 原子炉を建設しようとする者は、別に法律で定めるところにより政府の行う規制に従わなければならない。これを改造し、又は移動しようとする者も、同様とする。
第十五条
第十六条 前二条に規定する規制に従つて原子炉を建設し、改造し、移動し、又は譲り受けた者は、別に法律で定めるところにより、操作開始前に運転計画を定めて、政府の認可を受けなければならない。
第十八条にみられるように「政府の認可」という制約が大きな足かせになる。これに利権が食い込む形で既存の原発からの切り替えが進まない。もし、この規制が無ければ、民間でトリウム原発の開発が先行して、サービスレベルまで持っていけてることかと思います。原子力に関して言うと、政府のすべき公共事業はせいぜい核廃棄物処分施設の運営くらいでしょう。
本音:電力輸出を視野にした世界各地に繋がる電力輸送網を構築して、世界各地から電気代を徴収し、公共事業の原資を提供した国民に対し、定額給付金を出すスキームが理想だが、壮大すぎるスケールなので、この話は別の機会にでも。
公共事業の「ムダ」と「コスパ」の持つ意味
ここまで効率と付加価値の話をしたが、「コスパ」のみを重視するのも良くありません。世の中、どんな物であったとしてもかけたコストによって、見返りの大小が異なります。一般生活レベルの低価格帯の日本メーカー電子機器と隣国メーカー電子機器を比較するとわかりやすい。日本メーカーは隣国メーカーより割高なのに商品自体の価値そのものはほとんど変わらない。であれば、隣国メーカーの製品を買うことが「コスパ」にかなうという考えに陥りやすい。しかし、商品自体の価値の他にメーカーサポートなどの要素があり、そのコストの分が支払われることが多い。(隣国の安物電子機器でメーカーサポートが皆無な場合もあったりする)よって、かけた費用は必ず、何かしらの形で跳ね返ってくるものです。
公共事業では、防災インフラで顕著にみられます。防災対策として公共事業を展開する際、毎度かける予算で「ムダ」と烙印を押されがちです。しかし、建設時に余分な予算と判断していても、その「ムダ」が結果的に人命を救う場合もあります。岩手県の普代村は過去に発生した津波で多くの犠牲者が出たことがあった為、和村幸得村長(任期1947-1987年)は1967年に太田名部防潮堤、1984年に普代水門を完成させる。共に高さは15.5m。建設当時は「ムダ」だと糾弾され、他のことに金を使えの発言の連続です。しかし、それでも村長は15m以上を譲らなかった為、15.5mで建設されます。これらの防災インフラは東日本大震災の際に活躍することととなり、村で被災する民家はなく、被害はインフラ自体の損傷で最小限にとどめることに成功してます。仮にここで「ムダ」という指摘を真摯に受け止め、公共事業費を「コスパ」重視でケチったら結果は異なっていたでしょう。
普代水門の写真
公共事業にかけられる費用は基本的に事業決定時に「ムダ」であるが、いつその事業が役に立つか未来にならないとわからない側面がある為、「コスパ」重視の考えが浸透しやすいです。しつこいようですが、かけたお金は何かしらの形で返ってきます。これは先程の公共事業における防災インフラでの例で明らかになったかと思います。ですから、今度「コスパ」や「ムダ」という意見を聞いた時に、よく考えた上で判断すべきと思ったところです。
あとがき
短くまとめるつもりが、少し長めになってしまいました。いかがだったでしょうか?公共事業に関する考え方は人それぞれかと思いますが、私なりに思うところを書いてみた次第です。
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