目に見える世界と見えない世界②
目に見えないものの一つに心がある。
そして、この人の心というものは実にせわしない。朝起きてから夜眠りに就くまで、
一日中ひっきりなしに何かを思い描いている。
朝起きて、クローゼットを開け今日はどの洋服にするか悩み
最近お腹回りが気になるから甘いものは控えようと自分に言い聞かせ
まだLINEが既読にならないと落胆する
喜んだり、迷ったり、悩んだり
朝から晩まで心の中は喜怒哀楽を駆け巡る。
そして何となくの想いよりもっと明確な願い。
ここぞという大事な試験やプレゼン前に
どうか上手くいきますようにと
心で強く願うことは誰しも経験があるだろう。
こうありたいという未来の自分の姿を思い描き
それを心で強く願い、その実現に向けて行動を起こしていく。
はじめに言葉ありき。はじめに思いありきと言われる由縁だ。
そしてこの想いは共鳴し同じ方向性の想いを引寄せあう。
そうして集積すると大きなエネルギーとなる。
今年ロシアのウクライナ侵攻によって核戦争が危惧されてきた。
民間人の犠牲を出すなんて許せない
戦争反対、核兵器根絶
それは一見、
平和を望んでいるかのように聞こえる。
けれども心の中の想いはどうだろう。
どちらか一方が正しくて他方が悪い。
平和を願っているのに心の中では
誰かを責める想いで溢れていないだろうか。
この軍事侵攻に端を発し遠く離れた日本にいても、自分自身の生活が少なからず影響を受けていることへの不満や不安が心の奥底に居座り続けていないだろうか。
想いには私たちの言動を導いていく力があるだけでない。一人ひとりから放たれた想いのエネルギーは、この地球上で共鳴し合い同じ波長のものどうしが集積していく。類は友を呼ぶとはそういうこと。
平静を装っていても私たちは常に何らかのエネルギーを発している。大雑把に分けるとするならば、その想いは善なる方向と悪しき方向とに分けられる。その分けられる基準とは一体何なのか。
それは愛。
自分さえよければいいと思うのか、それとも
自分以外の誰かのためにと思うのか。
今はまだ人間の視神経によって捉えきれない物質が私たちの周りには数多くある。けれども将来、人類の肉体が大きく進化した時に今まで見ることも感じることもできなかったものが手に取るように分かる時が来るだろう。
その時、私たちの生き様は大きく変わっていくだろう。
もうそろそろ、表の顔、裏の顔、などという面倒な生き方から卒業する時を迎えていると感じているのは私だけではないはず。
世の中がスプーン曲げに目を奪われていた時代と今はどこか似ている気がする。
そして今日もまた台風が近づいてきた。