まっさらな心
緊急事態宣言明け、久しぶりに友人とランチへ^^
思い切って表通りからはずれて1本裏通りへ。
コロナ禍によるものだろうか、何軒かはシャッターを下ろしたままだった。
その先にランチメニューを通りに出しているごはん屋さんを発見。
入ってみると10席ほどしかない白を基調とした可愛らしいお店。
壁にはリズミカルに小さな額縁が並らんでいて田園風景や愛らしい動物たちの画が注文の品を待つ私たちの心を癒してくれた。
店員さんはとっても笑顔がステキナ方。コロナでずうっと苦しい時を過ごしてこられただろうに、様々なことを思い乗り越えてきた強さとしなやかさを感じてしまった。
お料理はサラダもメインもデザートもドリンクも全部大満足。
メインを食べ終えてからはおしゃべりも弾んでしまったが、ちゃんとマスクを付けておしゃべり&ちょっとずらしてデザートを食べる、これの繰り返し。
私たちより先に食事を終えた家族連れが会計をしていると「ばいばい」と可愛らしい声が聞こえてきた。見るとまだ幼稚園前くらいの女の子が店員さんに手を振っていた。
そして私たちのテーブルの横を通り過ぎるときにも一人ひとりに向けて「ばいばい」と笑顔で手を振ってくれた。
こちらも思わず「ばいばい」と笑顔で手を振ってしまう。
なんだろう。この出会いは。
まさに一期一会。多分この先一生合わないであろう女の子とそのお母さん。なのに、その女の子の一声と笑顔で一瞬のうちに回りのおとなたちは嬉しい気持ちになってしまった。
私たちは誰もが生まれた時は、まっさらな心で相手が誰かなんて関係なくただただ笑顔で素直にありのままでいたのだと思う。それは幼さからくるのではなく、私たちの本質から来るものにちがいない。
いつからだろう。自分の心にフタをしてしまったのは。
どうしてだろう。心の中にある自分の思いをあきらめてしまうのは。
ありのままに生きることができないことで他人を悪く言ったり、自己卑下する思いは誰のためにもならない。
自分から出た思いも、言葉も、行動も全部巡りめぐって自分に返ってくる。
コロナがきっかけで人間にとって生きるために大切なことに気づいたひともたくさんいた。それとは反対にコロナ禍で自己中心的になったひともいる。
メンタルクリニックを受診するひとが増加したとも言われている。
自粛、リモート、リアル。
突然のコロナ禍。まるでそれは天変地異と同じ様相を呈していた。
自分のことで精一杯だったかもしれない。
けれども自分ではない誰かのために今何ができるか。
その思いがあれば新たなエネルギーがチャージされる。
自分ではない誰かのために生きることで喜びを感じるようにできているのが私たち。
そして行動するにはまず思いから。
思いはエネルギー。
だから、黙っていれば何を思っても他人には分からない-、
のではなくて、それはいつか形になって現れる。
なにかに影響を及ぼす。
地球には70億人の人がいる。
一人ひとりの思いにはどんなものがあるのだろうか。
お互いを大切に思っているだろうか。
感謝の思いはあるだろうか。
紛争、対立、分断。
地球温暖化、環境破壊、フードロス・・・。
どんな思いから起きるのだろうか。
地震、大型の台風、竜巻、森林火災、火山の噴火・・・。
この地球で起きることに人間が無関係と言えるだろうか。
私たち一人ひとりが
あの女の子のように誰に対しても笑顔でいられたら。
笑顔になるまっさらな思いでいたなら。