美しい地球で
私のnote初投稿は
娘の一言についてだった。
彼女は幼い頃「地球はかわいそうだ」と言った。
「煙突からモクモク煙が出て空は煙だらけにされて、たくさんの車が身体の上をゴロゴロ走り回っている。それでもじっと黙っていてかわいそう」と。
その時は、なんて感性の豊かな子なのだと
ただ単に感心していた。
けれども最近になってこの言葉は
ある意味真実だと思うようになった。
今の私たちは多くの問題に直面している。
環境破壊、地球温暖化、世界各地で天変地異が起こり、経済問題、エネルギー問題、そして新型コロナウイルスの世界的な感染拡大がある。
なぜこんな事になっているのだろうか?
何がいけなかったの?
便利な生活をしたらいけないの?
昔の生活にもどせばいいの?
CO2を減らせば済むのだろうか。
水を汚さなければいいのだろうか。
経済を立て直せばいいのか。
再生可能なエネルギーを使えばいいのか。
台風や地震に備えれば大丈夫なのか―。
もともと自然界は
多様性の宝庫で、あらゆる生き物は美しく
それぞれが共生し調和に満ちている。
それは地球上に限ったことではなく、
太陽系の中で惑星が回っているように
夜空に輝く星座が宇宙空間を巡っていくように。
私たちは本来、美しく調和に満ちた世界に生かされているのだ。
美しさと言えば、子どもの頃よく親に連れられて
芦ノ湖周辺から眺めた富士山が思い出される。
何度見てもその美しさには違いがあって
自然界の奥深さを感じたものだった。
人智の及ばない荘厳さ、
神聖さというものがそこには存在していた。
そうした美しい自然界から人間社会を見たときに
私たちは美しく見えているだろうか。
調和しているだろうか。
何度見られても違いのある
美しさを放っているだろうか。
私たちはこれまでどんな思いを持ち、
何を求めて生きてきたのか。
利益を求め過剰に生産し、
過剰に市場に流通させ、
不要になれば破棄する。
この地球環境を与えられ
生かされていることへの謙虚さも
感謝の思いもない生き方。
まさに欲のままに生きてきた
人類のエゴの思いの結果が今の地球の姿であり、
私たちが直面している問題の本質ではないだろうか。
ひとはいつからそんな思い上がった生き方をするようになるのだろうか。
幼い子どもたちの姿が教えてくれている。
よちよち歩きの幼子たちは皆仲良く無邪気に遊んでいるではないか。
泣いている子どもがいれば駆け寄っていってだいじょうぶと声を掛けるではないか。
私たち大人も幼い頃はそうだったはず。
私たちはお互いを認め合い思いやる心を持って生まれてきていたのだ。
人間というのは本来そうできているのに
いつから私たちは自分勝手な思いで生きるようになってしまったのだろうか。幼い子どもが見て、地球が可哀想と見えるような生き方をこれけらは改めていこう。
自分たちが困るからという理由で目の前の事象の対処療法について議論する前に、どのような思いをもってこれまで生きてきたのか見直してみよう。そこに全ての原因が隠れている。
なぜなら思いにはエネルギーがあるのだから。