目くらましの術の正体は・・・
お久しぶりの投稿になります。
お休みしていた間にもスキをくださった皆さま、
あらたにフォローしてくださった皆さま
本当にありがとうございます♪
皆さまの優しさに癒されて戻ってくることができました。
一体何があったのかって?
いえ、いえ、たいした事ではありません。
4ヶ月の間に、ほんの2回だけ引越をしました!
ただそれだけですうっ!!!
事の顛末を知っている知人は
「それって、目くらましの術だよ。きっとそうに違いない」と言う。
令和の時代に、どうやら私は忍者に遭遇したらしい。
どうしても引っ越さなければならない事情が発生して約一年間、実家の断捨離を続けつつようやくみつけた都内のとある物件。
入居前日に鍵を受取り、さあ引越!
私は引越トラックより一足早く到着したので家中の窓を開けて空気を入れ換えようと玄関ドアを勢いよく開けたー
次の瞬間・・・、
ぞわぞわ嫌な感覚に襲われたのだ。
「どうして、この物件を選んだのだろう・・・。
よく分からないけれど、ここに住むのはムリ!」
私は特殊な感覚は持ち合わせていない。目に見えない物が見えるとか全然ない。けれどもこの家にいると気持ちが落ち着かないし、常に何かに身構えている状態になってしまう。どうにもならない恐怖に似た感覚。
一番困ったのがお風呂。
まず、浴室に入るためにとてつもない勇気が必要。
服を脱いで無防備な姿でその空間に身を置くことができなかった。
その日、車で1時間余りかけて、売却予定の実家に舞い戻り入浴するという有様に・・・。
翌日にはガスを止める申込をしていたので、(こんな事になるなら売却成立までガスを使えるようにしておけばよかった・・・)その後は「ベンザルコニウム塩化物液オスバンS」で身体をぬぐう日々。
まだダウンコートを着ている時期だったから良かったけれど、これが今の季節だったら完全にスメルハラスメント級だったに違いない。
気づけば私の心の中は不平不満で満ち溢れていた。
内見の時に仲介の営業さんは知っていて教えてくれなかったのだろうか、不動産会社は管理不十分じゃないのかー。頭の中では誰かの責任問題に発展していって、noteでいつも言っている「悪想念」を振りまいていたのだった。
管理会社へ苦情の電話をかけたが、何を言っても「内見したのですから」と全く相手にされなかった。
けれども途中から文句を言い続ける自分に嫌気がさしてきた。自分の口から際限なく不平不満の言葉が出てくることに自分でも驚いたし、「私は何も悪くない」という、その心持ちにも耐えられなくなった。
ただ不思議なもので、次第に目の前の現実に至った原因を考えるようになっていった。
それは管理会社がどうのとか、仲介業者がー、というものではなくて
何故今、自分はこのような事に遭遇しているのかということ。
原因があって結果が今こうして起きていて、その原因となる種は必ず何処かで自分が蒔いたはずなのだ・・・。
しばらく経って、まだ冬の寒さの続いていたある日、
私は既に他界している父や母の事を思い出していた。
父が亡くなって実家を相続した時、私は田舎暮らしを続けることに不満を抱いていたっけ。でも、その実家がどれほどありがたいものだったのか転居してはじめて身に染みて分かった。車がないと生活出来ない場所だったが、車があることでかえって行動範囲は広くなり快適でもあった。転居先は都心のため必然的に居住面積は狭くなり、大袈裟なようだけれど半分以下になった。広々と勝手気ままだった生活が恋しくなった。
昭和の貧しい時代に生まれ育った両親は、戦争で全てを失った中から人生そのものを立て直した世代だ。ふたりで身を粉にして働き、私たち子どもを育て学校に通わせてくれた。その両親に対する感謝の気持ちが改めて心に満ちてきた。
そういえば父が亡くなった後しばらくして母が言っていた。「もうずっとお風呂に入っていないの」その時私は、毎日お風呂に入っているのに何言っているのだろうと、殆ど意に介さなかった。
その後も、何度か同じことを言われたのを思い出した。それは足腰が弱くなって湯船に入るのが大変だから、シャワーで済ませているということだったのだ。
けれども母は、お風呂に入りたいから手伝って欲しい。と言うことはなかった。私は気配りや思いやりの欠片もなかったのだった。
「お風呂に入りたい」「そうしたら疲れがとれるだろうな」・・・。
今私が身をもって感じていることは母が言いたかった言葉そのものだったに違いない。
私は心の中で「ごめんね」と、何度も何度も母に謝った。
そして、あらためて両親に対して感謝の思いを送った。
今まで如何に自分が恵まれていたか、今回の事を含めてこれまでの全ての事に対して有り難く、そして私は幸せだと自然に思えるようになった。
大切なことに気づくきっかけをくれた新居にも私は初めて感謝の思いを持つようになった。築年数は古いけれどその都度手を加えて時代に即した生活を送れるようになっている物件だ。
全てが感謝に変わると同時に新たな物件に出会った。転居してから3ヶ月が過ぎていた。
その後、解約手続きのために管理会社に連絡をいれると以前とは打って変わって、「この度は大変ご迷惑をお掛けしました」と言われてしまった。
けれども、私が退去した2日後には、次の方が入居したことが分かっていたので(それだけ魅力的な物件だということ)、「合う合わないは人によるので、物件には何も問題はありません」とお伝えした。
物事には原因があって結果がある。結果がでるまでには時間がかかる。思いがけず自分の身に起きる出来事であっても、それは必ず自分がどこかで蒔いた種の結果として起きている。
それが今回の人生なのか、それ以前のものなのかは関係ない。
つまり天罰などないのだから、自分自身の思いや言葉、振舞いを振り返る機会を与えられたのだから、そこには感謝しかないのだ。
2度の引越は痛い出費だったけれど、そのうちお金のいらない世界になるのだから、良しとしておこう。
え、何のことかって?
それは、またのお楽しみということで。。。