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今、生きられる幸せ

今や日本人の多くは戦争を知らない世代。
私は両親がともに戦争体験者だったので
幼い頃は空襲の話や食糧の配給だとか
竹槍の訓練や、軍需工場で働いたことなど
色々聞かされて育った。

子どもの頃あまりにも当時の辛い体験談を
聞かされたせいか、大人になってからは
殆ど関心をよせることはなかった。
そしてこのような動画に出合ってしまった。

動画を見てこんなにも涙を流したことはなかった。
神風特攻隊”大石清伍長”が送った兄から幼い妹への最後の手紙
どうか是非ご覧ください。

兵士と家族の手紙のやり取りは検閲され
今のように自由に何でも書くことは叶わなかった時代。
検閲にひっかからないよう言葉を吟味して
精一杯の思いを家族に遺していく。

手紙を受け取る家族の側も
兵隊となった夫や息子が
本当は何を伝えたいのだろうかと
懸命に行間を読みとろうとした。

特攻隊の遺書は数多く遺されている。
この世を去る日が定められ
心の底から家族のことを思い
懸命に綴られた言葉。
愛にあふれた言葉の数々が胸に迫る。

彼らのように私は家族や身近な人を
大切に思ってきただろうか。
一日一日を精一杯生きているだろうか。
自分ではない誰かの幸せを願っているだろうか。
もし明日死ぬと分かったとしたら
悔いなくこの世を去れるだろうか――。

このところ特攻隊と自爆テロを
同一視する言葉を目にするようになった。
国家のため、家族を守るため、信じる神のため、
生きていくため、理由は様々なのだろう。
どちらか一方が良くて、もう一方が悪い
本質にあるのは、そんな善悪の問題ではないと思う。

ここに、1981年、ヨハネ・パウロ2世が来日されたとき、創立100年の白百合学園を訪問された時のエピソードがある。
「通学路に靖国神社があるのですがどうすればいいですか?」という生徒の問いにパウロ2世は、「頭を垂れて通りなさい」とお答えになり、それ以来、白百合学園の伝統となっているという。
実は靖国神社はカトリック協会と歴史的に関係があるのだそうだ。
それがこちら。

この世に生まれた私たちは、誰一人として
生まれて来なければ良かったひとなどいないとうこと。
生まれてきたということは、その人にしか出来ないこと、
役割というものを担って、今こうして生きているのだと信じている。

大石清伍長が手紙を遺してから70年以上
日本で戦争は起きていない。
けれども今だに世界では、戦争・紛争が絶えることはない。

大切なひとが戦争に行くことなどない、
命を犠牲にすることなどない
平和で愛にあふれた世界にしていきたい。
私にできることを何かひとつでも実践していこう。
美しい青空を見上げながら静かに思う。

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