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母に知らせる〜後編〔卵巣腫瘍+開腹手術 道々の記⑭〕

前回の記事で、母が楽しみにしていた陶芸祭で体験制作した作品の引き取りについて、陶芸教室に問い合わせたところ、12月18日(土)が年内のクラス最終日だということがわかり、母と一緒に受け取りに行くことになりました。私の入院の日程が予定通り12月23日であれば、入院の1週間前のオリエンテーションや診察は16日に終わっている筈。母に話すなら、18日はチャンスです。

母はそんな私の思惑など知るよしもなく、さっさと自分からHさんに電話をかけて「18日の午前中に陶芸教室の見学も兼ねて、Hさんも一緒に行きましょう」と約束を取り付けていました。

いよいよ…

Hさんには、あらかじめ、私の入院手術のことをお伝えし、私が母に話すまで、そのことは伏せておいてください、とお願いしてありました。Hさんは母と同じ年齢ですが、ご主人に先立たれてからの一人暮らし歴も長く、記憶力も理性も母よりだいぶしっかりしていらっしゃるので、事情をよく理解してくださり、みちちゃんがお母様のところにいけない間、素知らぬ顔でお母様に会いに行ったり電話でお話ししたりするわね、と言ってくださっていました。そんな訳で、陶芸教室の帰りに、Hさんも交えて3人でランチをすることにして、そのお店で母に話すことにしました。

陶芸教室で、母は、焼き上がった自分の作品が(粘土の状態ではグレーの土の塊でしたが)思っていたより可愛らしく出来上がっていたのにご満悦のよう。Hさんと一緒に、前回は観られなかった教室の生徒さんたちの作品の窯入れの様子も見せていただき、かなり興奮していました。窯のある作業場は土間で、しばらくすると足もとから深深しんしんと冷えてきたので、作品を受け取って早々に引き揚げ、ランチの予約を入れたイタリアンレストランに移動しました。

レストランでは、壁面で仕切られて個室のようになった大きなテーブル席に通していただけ、3人で安心して話しながら食事を楽しめました。味は美味しく、ボリュームたっぷりだけどリーズナブルなお料理に舌鼓を打ち、デザートのケーキが出てきたときに、Hさんの目配せで、いよいよ私が母に話をする時がやってきました。

人間ドックで大きな卵巣腫瘍が見つかって、クリスマス直前に入院して摘出手術を受けること。病院は最寄りのがん専門病院だけれど、精密検査の結果おそらく良性だと言われていること等、母があまり心配しないように、かいつまんで話しました。

母は、突然の私の話にビックリして、半信半疑の状態でしたが… Hさんが「S子(Hさんの次女で私の幼馴染おさななじみの妹)も同じ病気で40代に摘出手術をしているけど、割と簡単な手術なのよね」とか、「私も実は子宮筋腫の手術をしているのよ」などの体験談を、母の不安をなだめるようにお話ししてくださったことで、驚きつつも身近な現実のこととして受けとめ始めたよう。Hさんのご配慮が、大変ありがたかったです。

その日は、ランチの後、母と2人でHさんを駅までお見送りし、私は母の家に一緒に帰りました。

ホワイトボードに書いておく

私が入院前に母を訪ねられるのは、その日が最後の予定だったので… 母の居室に戻ってからは、私の話に驚いた母の混乱ぶりを耳にしつつ、年末年始の母の生活がスムーズにいくように、やっておかなければならない様々な些事を、かたっぱしから片付けていきました。

お正月のおせち料理は、秋の早い時点(卵巣腫瘍が発覚する前)で、母と私たち夫婦でいただくことを想定して注文済みで、もし妹一家が訪ねてきても食べるものに困らないように、冷凍の笹寿司の詰め合わせも頼んでありました。どちらも、ヘルパーさんの年内の最後の訪問になる30日に、冷凍で届く様に手配済みでした。普段は毎日頼んでいる夜ご飯のお弁当の配食サービスも、年末年始は休みになってしまうので、母の入居しているサービス付き高齢者住宅のレストランから届けてもらうように手配をしたり… と、いつもの生活と違う細々としたことは、母には、話しただけでは覚えられません。

そんな小さな変化が混乱の原因となるので、母が毎日よく見るテレビの上、リビングの壁面にかけてあるホワイトボードに、私の入院手術の予定と合わせて、わかりやすく書いておきます。

夫と一緒にすき焼き鍋を囲んで

そんなこんなであっという間に時間が経ち、気がついたら、もう夕方。夫が食材を届けがてら合流してくれました。まさか年末年始にこんな顛末を迎えるとは夢にも思わなかった初秋のころに、お正月に母と一緒に食べるつもりで、すき焼き用の冷凍の牛肉を注文しておいたので、その夜は、お正月より一足早く、母と私たち夫婦ですき焼きパーティとなりました。

母は、牛肉のバター焼きや、すき焼き等が大好きで、もちろんとても喜んで「美味しい!美味しい!!」と食べてくれましたが… さすがにその日は、私の話がショックで…気もそぞろ。夫が、せっかくだから3人で記念写真を撮りましょうか?と提案してくれたのですが「今日はその気になれないから。またの機会にね」と断られてしまいました。

母の反応は、想定済みではあったけれど、私の病状を心配して、というより「クリスマスもお正月も、みちに会えないの?」
「お正月は、ママ一人になっちゃうの?」
「3人で一緒におせち料理を食べられると思って楽しみにしていたのに…急にそんな話を聞かされて…ママ淋しいわ。。。」というのが主訴でした。

私と夫で、
「卵巣腫瘍は、おそらく良性だろうからあまり心配いらないけど、万が一、悪性だった場合を考えると、少しでも早く手術をしておいた方がいいから」「学校の仕事の冬休み中に、手術を済ませておいた方がいいから」
「淋しい思いをさせて申し訳ないけど。。ママが困らないように、お正月の食べ物は、全て手配もできているから心配ないよ。あまり早くから話すと、ママがすごく不安になっちゃうと思って、今まで黙っていたんだよ」
「私が来られない間は、ヘルパーさんを1日増やして、週4日、来てくれるようになったから、心配いらないからね」
…と繰り返し話して、なんとか納得してもらいました。

「私と同じね…」

実は、母自身も、40代半ばに胃にポリープが見つかって、がん研で摘出手術をして、結果的に良性だった、という体験を持っているのです。

なので、私の話から受けた最初のショックが少しずつ収まると… 母もだんだん理性的になり、「みちも、がん専門病院で手術するのね。私もがん研で胃の腫瘍の手術をして、良性だったわ。私と同じね」と話し始め、「今でもお腹に15cmくらい傷があるわ。でも、もう手術のことは、すっかり忘れちゃった」などと、客観的に捉えられるようにもなってきました。

だいぶ母が落ち着いてきたので、夫も私も一安心。
「入院中は病室では電話できないから、ママからの電話には出られないけど、かけられる時は電話ブースでこちらからかけるからね」
「iPadを使えば、顔を見ながらビデオ通話もできるからね」
「何か困ったときは、Nさん(夫)が対応してくれるからね」
…と、母が安心してくれるような話をして、その日は帰ってきました。

母も、落ち着いた様子で
「みちも、くれぐれもお大事にね」
「Nさん、どうぞよろしくお願いします」
と、送り出してくれました。

この時期に観に行った『アナザーエナジー展:挑戦しつづける力ー世界の女性アーティスト16人』より。カイロ在住のアーティスト、アンナ・ボボギアンが、日本の絹産業の歴史をもとに一つの物語を描いた「シルクロード」という作品の部分。かつて、私が日本の養蚕について興味を持って調べていたとき…母が、第二次世界大戦中、疎開していた長野の農家の奥の間がお蚕さん部屋で、一日中、蚕が桑をむ音が海の音のように聴こえていた…と話してくれたことを思い出しました。


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