『おきざりにした悲しみは』ノート
原田宗典著
岩波書店刊
いつも行く本屋で、この書名を目にしたとき、吉田拓郎の歌を思い出し、著者を見ると原田宗典。久しぶりにこの人の名前を見た。
帰りに、カウンターに置いてある『図書』の11月号をもらって目次を見たら、原田宗典の「私よ 母の車椅子を押せ」というエッセイが載っていた。主題は、著者の年老いた母親が電気アンカで低温火傷をしてしまい、その治療のための病院通いの話だった。
著者が車椅子に母親を乗せて押していくときに、ある拍子に〈母よ 私の乳母車を押せ〉という詩句が浮かんできたという。これは三好達治の「乳母車」という詩の一節だ。
原田は病院の帰りに母親の車椅子を押しながら、この詩の一節をもじって、「私よ 母の乳母車を押せ」と心の中で何度も繰り返して呟いていたという話だ。
そしてこのエッセイの後半で、「さて、ここからは宣伝です」とことわって、6年ぶりに書いたのが『おきざりにした悲しみは』という長編小説だという。いま買ったばかりの本だった。
この本の発売にあたってのコメントを求められ、著者は次のように書いている。少し長いが引用する。
「16歳の頃から、小説を書いてきました。いつの日か、水のような文体を手に入れたい。その文章で、生きているものを書いてみたい。それは、きっと励ましに満ちた物語で、読み終えた人の胸を一杯にするものになるはずだ。そんな小説を、いつか書き上げてみたい。それから50年、ようやくその夢が叶いました。『おきざりにした悲しみは』は、僕にとって夢の小説です。どうぞ読んでみてください。」
エッセイの最後に、「皆様もぜひ、ご一読のほどを。面白さは、この作者が保証します」と書いているのが原田宗典らしいと、つい心の中で笑った。
本作品は、離婚歴のある65歳の独身男が主人公であるにもかかわらず、未来に開けた希望の物語で、作者のいうとおり実に面白い小説であった。日曜日の午後から読み始めて、夕方まで一気に読んだ。
主人公の長坂誠は物流倉庫のフォークリフトの臨時雇いの運転手をしている。住まいは東京郊外の都市のはずれにあるさくら荘という築40年の木造モルタル2階建て6部屋のアパートだ。家賃が3万8千円の6畳一間。6部屋のうち2部屋しか入居していない。風呂が古くて狭いうえにトイレが和式なので、破格の安さではあるが学生たちにも人気がないのだ。
物語はロシアのウクライナ侵攻が始まった頃。5年前に上京してきてから、彼は酒を一滴も飲んでいない。経済的な理由もあるが、飲み出すとキリがなくなるからだ。しかし、煙草は止められない。銘柄はロングピース。この煙草を吸うようになったのはわけがある。
ちょうど20年前の2003年、アメリカが国連決議を経ないままイラク侵攻を始めたときに、抗議のつもりでアメリカ製品を買わないと決め、それまで吸っていたラッキーストライクを止めて、ロングピースに替えたのだ。たわいないことかもしれないが、20年経ったいまも、あの時のアメリカの蛮行を忘れず、煙草を吸うたびに平和について思いを馳せている主人公なのだ。そして、ウクライナで戦う兵士たちにこのロングピースを届けてやりたいと思うのだ。
仕事に行って、寝に帰るだけの長坂の単調な日常生活は、二軒隣りの部屋に住む女子中学生の真子と小学生で自閉症の弟の圭との出会いで一変する。
この二人の子どもの母親は20日前に、すぐ帰ってくるからと1万円札一枚を置いて家を出て行き、そのあと帰ってこないままで、部屋の電気や水道も料金未払いで止められてしまっていた。
当然食事もまともに食べておらず、長坂は仕事の帰り道に彼女たちにカレーを食べさせてやろうと思いつき、駅前のスーパーで材料を買う。
お米はたくさん炊いた方がうまいので、4合炊くことにした。そして手作りのカレーを作りながら、こんなおじいさんの作ったカレーなんて気持ちわるいと断られるかもしれない。そう言われたときは、自分が食いたいから作っているんだからと自分に言い聞かせた。
しかし、予想に反して、二人はカレーを貪り食い、おかわりもした。
その様子を眺めながら、長坂はいままでに味わったことのない充足感に包まれる。二人の子どもが、自分が作ったものを夢中になって食べている。その光景が子どものいなかった彼にはいとおしく思われてならなかった。
二人の子の母親は、貯えも底をついて日々の暮らしに困り、預金通帳とカードを高値で買うという顔見知りの男に騙されて、ホテルに連れて行かれ、おまけに大量の睡眠薬とアルコールを摂取させられて、スマホまでも盗まれて、昏睡状態で病院に担ぎ込まれていた。名前もわからないので、看護師たちから「眠り姫」と呼ばれていた母親は一ヶ月後に奇跡的に覚醒し、二人の子どもと再会するがそれはもっとあとの話だ。
二人の子どもは長坂の部屋でしばらく暮らすことになる。このことがあとで悪意の誤解を生み、騒動になるのだが……。
長坂の趣味はギター。30年前に中古で買ったギブソンのハミングバード。彼が得意なのはギターと詩と小説と絵。しかしどれもこれも中途半端だ。しかし、「人生の価値は、何を成し得たかではなく、何を成そうとしていたかで決まる」という誰かの言葉に自分自身納得しているのが彼なのだ。
弟の圭は、一度見た字は忘れず、難しい漢字を難なく書き、漢詩も一度見たら同じように書けるという特異な才能を持っている。真子からそれを聞いた長坂は友人からもらった未使用のままの毛筆と墨と硯のセット、それに半紙の代わりにスケッチブックを圭に与えると、素晴らしい達筆で、手本もなく難しい漢字を並べているのには驚いた。長坂はそれらの字をまったく読めないので、圭に聞くとそれは中国の王羲之という4世紀後半の書家の詩であった。
一方、姉の真子は歌が得意だ。長坂のギターの伴奏に合わせて歌うようにうながすと、子ども離れした歌唱力があり、長坂を魅了した。
この圭に渡した書道セットと、長坂が持っていたギターが二人と長坂自身の運命を大きく変えることになる。
長坂が職場でのちょっとした不注意で額にケガをして入院をしたときに、職場の年下の上司の立林班長(40歳)が病院に来て、見舞いの一言もなしに、無事故記録が途絶えることについての文句だけを言い、明日から出勤するように言い残して帰って行った。
その光景を見ていた同室の老人が、次のようにつぶやく。
「あんたも大変だねえ。あんな奴の下で働くんじゃあ」
「そうなんです。大変なんですよ」
「ありゃあ、前世がないな」
「前世?」
「人間やるの、初めてなんだよ。前世はずうっと虫とか獣とか草とかでね。人間になったのは、今回が初めてなんだな。だからあんなふうなんだよ」
「なるほど」
「ああいうどうしようもなく嫌な奴ってのは、どこの職場にもかならず一人や二人いるもんさ。そういう奴はきっと人間やるの初めてなんだな。慣れてないんだよ。初めてだから。そう思って、やり過ごすがいいよ」
ここは老人の突拍子もない話のように聞こえるが、とてもいい会話だ。長年生きてきて、嫌なことにたくさん遭遇してきたであろう老人の知恵と、それをやり過ごす頭の切り替え方がストンと胸に落ちる。
二人と長坂は、このあとも思わぬトラブルに巻き込まれてしまったり、海を越えた幸運を呼び寄せるが、退院してきた母親と二人の再会を見届けた彼は、またカレーを作って三人に振る舞う。
この作品の最後――
「明日はどうなるのか、分からない。ましてや一年後、何がどうなるのかなんて、誰にも分からない。ただ直近の未来は今、鍋の中でぐつぐつと音を立てて煮えている。そして幸先のいい匂いを漂わせていることだけは確かだ」。
そして、「長坂誠の旅は、続く」で締めくくられている。
筆者はもう30年近く前になるが、『スバラ式世界』(集英社文庫)、『東京見聞録』(講談社文庫)、『十七歳だった!』(集英社文庫)、『こんなものを買った』(新潮文庫)など原田宗典のエッセイを何十冊も好んで読んでいて、この作者の軽妙かつまじめな文体に惹かれていた。
10年ほど前に、原田宗典には新聞沙汰になった事件もあったが、この作品でもその文体や作風はそのままで、あらためて昔ファンだった原田宗典に再会できたことが嬉しかった。
筆者にとって原田宗典が不在であったこの間は、作者の妹のキュレーターで作家の原田マハの本を数十冊読み続けた時期であった。
筆者は、著者の原田宗典自身の癒やしと再生の物語として読んだ。