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『サービスの裏方たち』ノート
野地秩嘉(のじつねよし)著
新潮文庫
私たちが気がつかないことや、知らない世界には、驚くべき技や情熱を持った人たちがいるのだということを教えてくれた本である。
その中から私の趣味で1つだけ選んでご紹介する。
「崖の上にある世界一のシェークスピア劇場」の章である。
この劇場はイギリス南西部のコーンウォール地方にある「ミナック・シアター」。ミナックとは、岩の多い場所を意味するそうだ。この辺りの観光地としてはランズエンド(地の果て)岬があり、その近くのボースカーノという海岸から80メートルほど登った崖の上部にこの劇場はある。そんな場所にロウィーナ・ケードという女性が一人でこの野外劇場を作ったのだ。
海側に舞台があり、それを見下ろす形でまるで段々畑のように階段状になっており、椅子はなく、観客は地面に座って観る。劇場には当然屋根はなく、つねに海からの風が吹いており、観客は帽子や上着を押さえながら芝居を観なくてはならない。しかし、役者はさらに大変だ。音響設備はなく、下手な役者の台詞は風に吹き飛ばされて聞こえない。観客は台詞を聞き取ろうとして、耳を澄ますからこの劇場には異様な緊張感が漂う。何よりも役者の力量が試される劇場なのだ。
この劇場をロウィーナ・ケードがなぜ作るに至ったのか。その話が面白い。
彼女は大英帝国時代の1893年(日本でいえば明治26年)にイギリス中央部のダービシャーで生まれ、父親は紡績工場を経営していたが、第一次世界大戦で、工場は閉鎖してしまい、一家は離散してしまった。彼女は母親とコーンウォールに移り、残された財産のうちの100ポンドでボースカーノ海岸に土地を買って、近くの石切場から石材をもらってきて自分の家を建て、ミナック・ハウスと名付けた。生涯結婚せず、母親と二人で質素な暮らしを続け、彼女は趣味の裁縫に明け暮れていた。
1929(昭和4)年、彼女が36歳の時に、地元の劇団からシェークスピアの『真夏の夜の夢』の衣装のデザインを頼まれた。その劇団は、屋内ではなく、森の広場で上演して好評であった。ロウィーナも観に行ったが、彼女が興味を持ったのは、演技よりもむしろ森の中で演じるというアイデアに感心したのだ。
その頃、大西洋を隔ててアメリカ大陸に一番近いランズエンドに海底ケーブルを敷設するための国際電話会社の事務所ができて、ロンドンから多くの通信技師や家族が引っ越してきた。
特に娯楽のないこの地で、都会から引っ越してきた彼らや家族に、芝居見物を楽しんでもらおうと、地元の劇団が森の中での『真夏の夜の夢』を再演することになった。
それに続いて劇団が上演を計画したのは、同じくシェークスピアの『テンペスト』だった。劇団関係者からそれを聞いたロウィーナは、「『テンペスト(大嵐)』を上演するなら、海に面したうちのガーデンを使えばいい。海をバックにステージを作れば立派な劇場になるのだから」と提案した。
劇団は快諾して彼女の広い庭を使わせてもらうことになった。彼女は近所に住んでいた庭師の手は借りはしたものの、自分で設計し、下の海岸から岩を運び、セメントと砂を混ぜて上演日までに簡単なステージと観客席を作った。背景は岩に砕け散る波だけだった。
そこでの上演は、「これこそ本物のテンペストだ」と観客は感激し、それを聞いた彼女は、以後、シェークスピア劇のために劇場を拡張し、様々な施設を整えることになる。
いまこの劇場を継いでいるのは彼女の遺志を継いだ財団で、毎年5月から9月の夏の合間だけオープンしており、シェークスピア劇だけでなく、コンサートや子供向けの演劇などを上演しているそうだ。ご興味をお持ちの方は、「MINACK THEATRE」のウェブサイトを検索してみてほしい。この劇場やロウィーナ・ケードの写真などが載っている。
このほか、「ハマトラと横浜の頑固なファミリービジネス」、「空を目指さなかったエンジニアの車なんて……」、「めでたいお赤飯は、和菓子店で買うべし」、「日本一サービス精神のあるロックバンド」など、あまり聞いたことがない興味深い話が収められている。