『星野道夫――約束の川』ノート
星野道夫著 2021年2月平凡社刊
星野道夫の本を取り上げるのは、『旅をする木』以来2冊目である。
写真家である著者はまた随筆家でもある。
アラスカの大自然に魅せられて、とうとうアラスカに土地を買って移住してしまった著者は、先住民であるインディアンやエスキモーの古老や友人をはじめ、星野と同じようにアラスカの魅力に取り憑かれた様々な人々、学者などと心の交流を書き留めている。
星野はアラスカの広大な原野を移動するカリブーの大群を追って、一歩間違えば命を落とすような困難に直面しながら、ようやくカリブーの大移動を見つけても、写真を撮るわけではない。アラスカ行きの荷物の中に35㎜カメラと6×7版の大きなカメラが入っていたことは、荷物のリストをみても間違いない。しかし、この本の中にカメラを構えて撮影したという場面はひとつも出てこない。
この本の帯に、「心のフィルムにだけ残しておけばいい風景が時にはある」と書かれており、この言葉は編集者が考えたキャッチコピーなのだろうが、たしかに、星野の文章を読んでいると、出会った人々、カリブー(トナカイ)をはじめグリズリー(ハイイログマ)やムース(ヘラジカ・世界最大のシカ)などの動物、シロトウヒ、アスペン、シラカバなど様々な木々、白く輝く大雪原や永久凍土に覆われたツンドラの情景が目に浮かび、写真が不要なほどに文章に引き込まれて、写真家であったことさえ忘れてしまう。
歴史時代以前からアラスカの主に海岸線に住んでいるエスキモーや、内陸に住むグッチンインディアン、アサバスカンインディアンなどの先住民の生活や風習、長い間育まれてきた厳しい環境で生き残る知恵などに著者は耳を傾ける。
あるとき、著者はグッチンインディアンのハメルの話を聞いていた。自分たちの言葉で語る途切れ途切れの昔話はところどころ意味がわからないところがあり、あとでハメルの息子で自分と同い年のケニスに質問したが、答えは、「それは説明することができない」であった。
そしてケニスは、「ミチオ、おまえはおれたちの言葉を話すことができない。だからしかたがないんだ」と優しく拒絶し、「おれはそのことを英語で語りたくないし、試みようとも思わない。グッチンの言葉でしか伝えられない世界があることを、おまえはもう知らなくてはいけない……」と言う。
今月初めに取り上げた『翻訳できない世界のことば』にあるような、言葉を尽くして他言語に置き換える(翻訳ではない)ことができるような言葉もあれば、決して置き換えることさえできない言葉もあるのだと思う。どちらも真実なのだろう。
開発で変わりゆくエアラスカを巡り、アラスカ原住民とアメリカ政府との間で開かれた話し合いの席上、エスキモーの老人が、「わしらは自分たちの暮らしのことを、自分たちの言葉で語りたい。英語では、どうしても気持ちをうまく伝えられん。英語の雪はsnowでも、わしらにはたくさんの雪がある。同じ雪でも、さまざまな雪の言葉を使いたいのだ」と言う。
著者はいくつか例を挙げる。
〇アニュイ(ANNUI)…降りしきる雪
〇アピ(API)…地面に積もった雪
〇クウェリ(QALI)…木の枝に積もる雪
〇プカック(PUKAK)…雪崩をひきおこす雪
〇スィクォクトアック(SIQOQTOAQ)…一度溶けて再凍結した雪
〇ウプスィック(UPSIK)…風に固められた雪
これらの言葉には、そこで暮らす人々にしか分からないニュアンスがある。アラスカの厳寒の大地に根を張って暮らす人々の生きた言葉がある。どんな地の果てでも、そこには人間の生活の営みがあるのだ。100年後にそこでの人の暮らしが途絶えたとしても、そこには確かなかけがえのない人の一生があったのだ。「世界はそのような無数の点で成りたっているということだ」と著者はいう。
ヒトだけではなく、あらゆる生きとし生けるもの、そして生き物の命を奪うような過酷な自然でさえも、身を以て感じ、この大自然を見続けた星野道夫の思いが込められている。
狩った動物が食べ物として交換される場面。「目の前のスープをすすれば、極北の森に生きたムースの体は、ゆっくりと僕の中にしみ込んでゆく。その時、僕はムースになる。そして、ムースは人になる」。
星野道夫は1996年8月、カムチャツカ半島クリル湖畔で就寝中にテントをヒグマに襲われ亡くなった。享年43歳。星野の言葉で言えば、自然の大きな営みの中で、「ヒグマは僕になり、僕はヒグマになった」のであろう。