『「十五少年漂流記」への旅―幻の島を探して―』ノート
椎名誠著
新潮文庫
『十五少年漂流記』をこのnoteで取り上げるのは2回目だ。ジュール・ヴェルヌ作のこの本の原題は『二年間の休暇』――この本はいくつもの翻訳・抄訳が出ているが、今年の3月18日に椎名誠・渡辺葉訳の『十五少年漂流記』をnoteに取り上げた。
ニュージーランド・オークランドのチェアマン寄宿学校の少年たちが、夏季休暇の1か月の船旅に出る前日の夜に、待ちきれずに船に乗り込んだところから始まる。大人の船員たちは、夜の町に酒を飲みに出かけていて、船員は、食事係の黒人少年を除いて誰も乗っていなかった。
そしてある少年のふとしたイタズラ心でとも綱が解かれ、スクーナー型の帆船「スラウギ(スルギ)号」は嵐で漂流し、ある島に流れ着き、様々な出来事に巻き込まれながらも、およそ2年後に無事故郷に帰還するという物語である。
この『「十五少年漂流記」への旅―幻の島を探して―』は、副題にあるように、少年たちが流れ着いた島のモデル探しの旅を描いた本である。
流れ着いた島は、マゼラン海峡にあるハノーバー島(*注)といわれていたが、それに異を唱えた学者がいた。園田学園女子大学(兵庫県)の田辺眞人教授(現在は名誉教授)が、『ニュージーランド研究』という研究誌の2002年12月号に「『十五少年漂流記』の舞台となった島――チャタム島に秘めたジュール・ヴェルヌのメッセージ」という論文で、少年たちが流れ着いた島は「マゼラン海峡にあるハノーバー島」という通説に異を唱えたのである。そしてモデルになった島は、ニュージーランド本島の東860キロメートルのところにあるチャタム島ではないか、と実際にその島を踏査した上で書いている。
そしてややこしいことに、ヴェルヌは、『十五少年漂流記』のなかに、ハノーバー島の近くにあるチャタム島という島名も船乗りに語らせているのだ。このほかあと2ヶ所にこのチャタム島という名前が出てくる。
それに興味を持った椎名誠さんが、マゼラン海峡のハノーバー島に行って、これはモデルになった島とは違うと確信し、ハノーバー島とはまったく違う場所にあるニュージーランドのチャタム島まで行ってみるのである。そして、モデルの島は形といいチェアマン島(ハノーバー島)にそっくりで、この島こそがヴェルヌが物語の舞台として描いた島ということを確信するのである。
さて田辺眞人教授が、少年たちが漂着した島のモデルをマゼラン海峡のハノーバー島としているのはおかしいと思ったきっかけは、『コンティキ号探検記』を書いたヘイエルダールと会って話をしたことだという。
ヘイエルダールは、バルサ材(むかしゴム動力プロペラの模型飛行機の骨組み使われていた軽い木)で作った筏のコンティキ号で南米のペルーからタヒチまで実験漂流した有名な海洋学者で探検家だ。
この漂流実験の所要日数と較べ、この物語に書かれている島への漂着の所要日数があまりに短すぎる(距離は遠いのに、所要日数は3分の1以下)のに疑問を持ったそうだ。
また描かれている少年たちの生活描写と南緯51度にあるマゼラン海峡の島の環境との違いに疑問を持ったそうだ。
もちろん、この『十五少年漂流記』は純粋の創作であるから、この場所がどこかと探るのはいささか疑問ではあるが、ほかならぬジュール・ヴェルヌ自身が、そのような謎解きに挑戦させるような書きぶりをしているのである。
またマゼラン海峡にある島と設定したのも、当時の外洋船の航路の関係で、理由があるのである。
このほかにも、この『十五少年漂流記』の少年たちの性格に当時(19世紀後半)の国際情勢が投影されているという見方も非常に説得力がある。
作者の椎名誠さんは、幼い頃、ジュール・ヴェルヌのこの本をはじめ、スウェン・ヘディンの『さまよえる湖』との出会いが、冒険譚が大好きになり、探検や冒険に憧れ、大人になったら探検家になりたいと思った動機だと書いている。
「あやしい探検隊」というのを仲間と結成して、キャンプをしてただただ酒をくらって騒ぐという探検(?)も数多く実行し、エッセイに書いているが、本物の冒険も数多くしている〝好奇心と行動力の作家〟としての面目躍如といったところである。
*注…同じ島に漂着した大人の船乗りが少年たちと協力し、様々な危機を乗り越えて、ニュージーランドに帰還する直前、少年が名付けたこの島の名前を聞いて船乗りはこう言う。「チェアマン島か!……そうなると、この島には名前が二つあることになるな。もうすでにハノーヴァー島という名があるんだから。」(創元SF文庫版による)