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『検証 ナチスは〈良いこと〉もしたのか?』ノート

小野寺拓也 田野大輔 共著
岩波ブックレット№1080

 10月24日のNHK国際ニュースで聴いたのだが、2021年7月にトランプ大統領(当時)がナチスドイツのヒトラーについて肯定的な発言をしていたとする元高官の証言について報じた。
 このニュースは今年の10月22日、海兵隊出身でトランプ前政権において大統領首席補佐官などを歴任したジョン・ケリー氏の証言としてアメリカメディアが取り上げたものだ。

 有力紙「ニューヨーク・タイムズ」は、トランプ氏が「ヒトラーはいいこともした」と述べるなど複数回にわたって肯定的な発言をしていたことをケリー氏が明らかにしたとしている。
 トランプ氏はSNSへの投稿でこれを否定しているが、「ヒトラーは良いこともした」という言説はこれまで何度も話題になっては消えることを繰り返している。
 そのドナルド・トランプがアメリカの次期大統領に決まった。

 共著者の小野寺拓也と田野大輔はともにドイツ現代史が専門の歴史社会学者である。
「歴史学は何らかの形で事実性に立脚しなければいけない。それに反するものは主張の根拠とすることはできない」(P6 はじめに)と述べ、事実と事実性の違いについて、「1933年1月30日にヒトラーが首相に任命されたという揺るぎない『事実』だけでなく、(中略)当時の人びとがどう思っていたかという『心性』のような問題も歴史学は扱う」とし、後者を〝事実性〟と呼んでいる。

 まず「ナチスがしたよいこと」の例として取り上げられることが多い「アウトバーン建設」とそれにともなう雇用創出計画について取り上げる。

 ナチ政権が雇用創出計画のうち、大きな目玉として打ち出したのが、「アウトバーンの建設」であるが、これは巷間いわれているようなヒトラーの発案ではなく、事実は、ワイマール(本書ではヴァイマールと表記)共和国時代に民間組織によって構想され、一部で実現していた計画を継承したものである。それを総延長7000キロメートルに及ぶ全国路線網の建設計画へと拡大して、その建設を失業撲滅に邁進する国家の一大事業としてナチスのオリジナルな計画であるかのように見せかけたのである。
 またアウトバーン建設には軍事目的があったという主張がかつては有力であったが、実際はアウトバーンの薄い舗装では、一部では滑走路代わりに使われた例はあるものの、戦車のような重量のある軍事車両などの通行や輸送には適していなかったのである。
 事実、そのほとんどのルートは国境から離れたところを通っており、他国の侵攻に使えるものではなかった。そして多くの区間は途切れ途切れであり、最終的に1941年末に全計画が中止となっている。
 ナチ政権にとって決定的に重要だったのは、アウトバーン建設のもたらすプロパガンダ効果であった。

 ヒトラーは、1938年4月のザルツブルクでの起工式で、「全ドイツがそれによって一つの新しい絆を獲得する。そして、世界はそのようなもの凄い作品を建造し完成する一つの民族、一つの帝国が二度と分離され得ないことを知るだろう」と強調した。
 こうした積極的なプロパガンダによって、「ヒトラーはアウトバーンを作ってドイツを復興した」という〝アウトバーン神話〟が定着したのである。

 また雇用創出についても、ワイマール共和政末期、ドイツの経済は世界恐慌の打撃を受け、失業者は600万人と、就業人口の3割にも及んだ。この失業者のうちアウトバーン建設にあたって雇用された労働者は最大でも12万4千人に止まり、これとほぼ同数の下請け産業での雇用を合わせても、この事業の失業者救済への寄与が宣伝されたほど大きくはなかったことがわかる。
 実際に近年のナチズムに関する書物でも、アウトバーンについてまったく触れていないものも少なくないという。

 ヒトラーが政権に就いてわずか数年で雇用状況が劇的に改善した要因は、むしろ戦争準備のための異常な規模と早さで進められた軍備拡張にあった。軍事支出の規模は1938年の平時においても、国家支出予算の61%、国民所得の21%に及んだ。資本主義体制のもとで、平時にこれほど軍備に割いた国家はこれまでにない。

 さらに「ナチスがしたよいこと」の例としてあげられるのは、労働者向けの様々な福利厚生措置の導入である。例えば、有給休暇の拡大、格安の旅行やレジャーの提供、格安なラジオや大衆向けの自動車の生産である。

〈第五章 ナチスは労働者の味方だったのか?〉にはこのようにある。
「ドイツの労働者は、年に何週間も休暇を取って、クルーズ船で地中海を周遊し、自家用車でドライブを楽しみ、家庭で音楽番組に耳を傾けることができる」(P60)。
しかし実際には有給休暇の付与を義務づけた法令は提出されておらず、有給休暇の拡大もほとんどなされなかった。

 ナチ政府のこれらの労働者向けの施策は、マルクス主義から労働者を引き剥がし、賃上げ要求やストライキに走る労働者の動きを抑えて、「民族共同体」へと統合することを目指していた。実際に、ヒトラーが政権を掌握すると、左翼政党や労働組合の弾圧や解体に乗り出し、それに代わるナチ党直属の労働団体「ドイツ労働戦線」が設立された。

 そんな状況の中で、よく取り上げられるのが、1933年末に設立された余暇組織の「歓喜力行団」である。これはその名の通り、余暇の「喜び」を通じて労働の「力」を増進するためのものであった。この組織はさまざまなレジャーの機会を労働者に提供するためのもので、特にそれまで富裕層のものであった旅行事業をパッケージ化して販売したことが特筆される。

 しかし、この施策もナチ政権が単なる善意で労働者に恩恵を与えようとしたものではない。
 これらの労働者向けの施策を実施していたドイツ労働戦線の幹部は、次のように語っている。
「労働者を船で休暇旅行に行かせたり、巨大な海水浴場を作ってやったりしたのは、われわれの楽しみのためでもなければ、それらの施設を利用できる個々人を楽しませるためでもない。それはもっぱら個々人の労働力を維持し、彼らを力づけリフレッシュさせて職場に戻らせるためである。(中略)歓喜力行団はいわばあらゆる労働力を定期的に修理するのである」(P66)。

 この発言には二つの目的が読み取れる。
 一つは、労働者を全面的に管理・統制し、政治体制の安定化をはかるねらいだ。ナチ政権下の労働者は様々な権利を奪われ、監獄のような体制のなかでも文句を言わずに働くようにするための一種のご褒美としての様々な福利厚生措置であった。それは、「睡眠だけが私事である」という労働戦線の指導者であったライの言葉に象徴される。
 もう一つは、前述とも関連するが、様々な優遇措置を講じて労働力を維持・強化し、国家目的への動員をはかる狙いがあったのである。

 先に上げた格安なラジオや大衆向けの自動車の生産などについても、ほとんどが他国の先進的事例の模倣か、ドイツですでに着手されていた取り組みを継承したものであり、そこに何らかの独自性があるとすれば、受け売りの政策を大規模かつ迅速に、しかもここが重要だが、誇大な宣伝を駆使して実行した点のみであろう。

 これらのほかに〈第六章 手厚い家族支援?〉では、ナチスによる家族支援も「よいことをした」例としてあげられる。しかし、その施策効果はほとんどなかったことについてデータをあげて立証している。
さらにいえば、その家族支援の影の面として、「婚姻健康証明書」で遺伝的健康が証明できないと結婚できなかったし、子どもを産まない「繁殖拒否者」には罰金が科され、障害者に対しては強制断種(40万人)、安楽死(30万人)という名の殺害も行われたのである。

 結局、これらの社会政策はあくまでナチ党にとって信用でき、「人種的」に問題がなく、「遺伝的」に健康で、「反社会的」でもない人々のみが対象であった。ユダヤ人をはじめ、社会主義者や共産主義者、障害を持つ人々はそこから排除されていたのである。

 いうまでもなくホロコーストはナチ政権の最大の罪であるが、その陰にヒトラーの野望のために、ドイツ国民が戦争遂行の手段として使われ、多大な犠牲もあったことをわれわれは忘れてはならない。

 最後に一点指摘しておきたい。
 11月19日の毎日新聞夕刊2面の「あした元気になあれ」というコラム欄に、オピニオン編集部の小国綾子氏が、「アウシュビッツに学ぶ」という文章を載せている。そのなかで、ポーランドにあるアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所跡の国立博物館の公認ガイドの言葉として、「ナチスは民主的な選挙で選ばれ、国民に支持された」と書かれている。

 筆者は、2023年10月20日にこのnoteで取り上げた『ワイマールの落日』のノートにも書いたが、ナチ政権は決して平穏な民主的な選挙で選ばれ政権を奪取したわけではない。そのうらには暴力とプロパガンダによる〝洗脳〟があったことを忘れてはならないのである。
 その点は、〈第三章 ドイツ人は熱狂的にナチ体制を支持していたのか?〉に詳細に論じられており、「ナチ体制は同意と強制のハイブリッドによる現代的独裁」(P40)であるとしていることを付記しておきたい。

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