『地面師』ノート
森 功 著
講談社文庫
地面師とは、〈他人の土地を自分のもののように偽って第三者に売り渡す詐欺師〉〈他人の所有地を利用して詐欺を働く者〉と辞書にある。
ただ地面師は、一人でその仕事をするわけではなく、弁護士や司法書士、不動産業者、地主になりすます人間やその手配をする人間、売買代金の動きを複雑にしてその流れを追いにくくするためのトンネル会社、さらにはなりすます人物のための偽造運転免許証やパスポート、健康保険証、不動産の権利証や登記簿謄本などの偽造を専門とする人間などが集まり、一つのグループとして行動する。それも固定メンバーではなく、離合集散を繰り返して詐欺を繰り返す。
地面詐欺の仕事を仕掛けるにあたって重要なのは、土地の情報だ。どこに長年放置された土地があり、所有者も所在不明であるとか、老人ホームや病院に入院しているなどの情報集めがまず必要になる。
この作品は、近年の地面師グループが引き起こした7つの事件を取り上げ、それらの事件の真相に迫ったルポルタージュである。
取り上げられているのは、2013年のアパホテルを巡る事件や、2018年に発覚した積水ハウス事件など7つの事件で、事件の当事者や関係者への丹念な取材を通じて、それらの事件の手口や構造を明らかにしている。
本の目次の後に、この本に登場する地面師たちの実名が、その関連した事件名とともに掲載されている。なかには改名している者も何人かいるし、時には変名で事件のたびに顔を出す地面師たちだ。
地面師詐欺事件は一般に被害額が大きい割に報道の扱いが小さいのが常だ。特にテレビでほとんど取り上げられない理由は、被害者の大手住宅メーカーやデベロッパーがテレビの広告スポンサーであることが多いからだと著者はいう。
積水ハウスのケースは、ハウスメーカーでありデベロッパーとしても国内最大手の積水ハウスが、地面師にまんまとだまされて、50億円以上の損害を被った事件であり、さすがにマスコミも大々的に報道した。
〝地面師〟という詐欺師は終戦後の混乱の中で生まれた。
戦時中、米軍の空襲で焼け野原となり、官公署に保管されていた各種の公文書等が消失してしまい、空襲によって所有者や家族の死亡が亡くなり、氏名や消息さえも分からないままの土地が全国各地に多く出てきた。それらの土地に、勝手に縄を張って所有権を主張し、その土地に居座るということが頻発したので、それが商売になると考えた者たちが地面師のはじまりだ。
戦後を地面師詐欺の黎明期とすれば、不動産価格の高騰が続いたバブル経済期が地面師詐欺の隆盛期といえるかもしれない。
近年、その手口はますます複雑化し、巧妙になって、それにあいまってデジタル技術やITの発達で免許証や公文書の偽造技術も精巧になり、不動産登記のプロである司法書士もなかなか偽造と見抜けなくなっている。また同じく偽造であるが、権利証を古く見せるための技術もあるそうだ。
地面師詐欺事件はそのスケールの割に法定刑も比較的短く、地面師たちは数年間服役したら出所して、また同じ仕事を繰り返して生き延びている。したがって、あちこちの事件に同じ名前が顔を出す。時には偽名を使い、ペーパーカンパニーを設立し、その会社の役員の名刺を作って、犯罪を繰り返すのだ。詐欺犯罪に加担しているにもかかわらず、自分も騙されていたと言い逃れをして起訴を免れる者も多く、うやむやのままで解決に至らない事件も多い。
2017年、史上最大規模の被害額55億円(推定)に遭った積水ハウスの地面師事件の舞台は、JR五反田駅から徒歩3分の超一等地にあった老舗旅館「海喜館」が舞台だった。
契約に至るまで、何度もそれを防げる機会があったにもかかわらず、土地取引のプロであるはずの大企業がまんまと騙されたのはなぜか。
この話を持ち込まれたのは積水ハウスのほかに数社あったが、それら会社の社員は、地主のパスポートの写しを持って旅館の近所の商店主に見せて回った。商店主たちは地主本人とは似ても似つかぬ顔だと断言し、おたくたちは騙されているよと忠告した。しかし、積水ハウスはそのような基本的な確認も怠っていたようだ。
また持ち主の名前で内容証明郵便が積水ハウス本社に届いたことがある。その文書には「積水は騙されている」と書かれてあった。そのような文書は計4通届いたが、積水ハウスはいずれも怪文書扱いにして無視を決め込んだ。おまけに、なりすましの持ち主に、あなたが出したのではないかと確認までした。偽者は当然、そんなものは出していないと否定した。さらに、そんな文書は出していないという趣旨を書いた「確認書」を積水ハウス側が準備をして、それに地主になりすました人間に署名・押印をさせて印鑑証明を添付させたのである。そんな文書にどういう意味があるのか疑問である。積水としては何が何でも契約をするという既定方針を貫くことが最優先だったのだ。
さらには、契約を進めていくやり取りの中で、所有者の本人確認の時に、真の所有者が1977年〈申年〉生まれであるにもかかわらず、そのなりすまし役が〈酉年〉と答えたことがあった。それに気付いた積水ハウス側の司法書士が指摘すると、取り巻きの詐欺師たちは単純なミスだと言い逃れたのである。それでも納得できない積水ハウス側は、なりすまし役が持っていたパスポートの旅券番号等が記載されているページに赤外線ペンライトで照射して調べたが、偽造パスポートと見破れなかった。赤外線ペンライトを照射すると、パスポートに貼り付けられている人物の顔写真が浮かび上がったので、偽造ではないと判断したのだ。
取引を進めようとしていてこの詐欺話のウソを見抜いた会社もあった。ある不動産会社の営業マンが、偽地主の女と一緒に社のエレベーターに乗ったときの会話がそのきっかけだった。
その営業マンが、「私の田舎の茨城県には、桜のすごく綺麗な場所があるのです。ちょうどこれからが見ごろになるので、たまには田舎に帰ってあの桜がみたいな」とその女に話しかけると、彼女は、「私の田舎にもね、桜の綺麗なところがあるのよ。私も帰って桜を見たいわ」という言葉が返ってきたのである。
この物件の地主は生まれも育ちも五反田であることをこの営業マンは知っており、この会話のおかげで、この会社は仮契約寸前のところで手を引いたそうだ。そんな世間話でボロが出るとは詐欺師たちも想定外であったろう。
結局この積水ハウスの事件は、経営トップのクーデター騒動まで引き起こした。
「欲と二人連れ」としかいいようのない会社のお粗末な対応が引き起こした事件であった。
著者の森功は、不動産取引の知識や経験が豊富なデベロッパーが、何故いとも簡単に地面師たちに騙されてしまうのかと疑問を持ったのが、これらの一連の事件を取材するきっかけとなったそうだ。
詐欺師たちは概して頭がよい。そうでなければ人を騙すことはできないのだろうが、その頭脳をまっとうな仕事につかえないのかといつも思う。