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『危機の外交――岡本行夫自伝』ノート

岡本行夫著
新潮社刊

  著者の岡本行夫は元外交官である。外務省では1990年の湾岸戦争当時、北米一課長を務め、退職後は橋本内閣で新設された総理大臣補佐官に就任して沖縄基地問題の解決に奔走し、小泉内閣でも総理大臣補佐官としてイラク復興支援に尽力してきた。その後、外交評論活動やシンクタンク・岡本アソシエイツを設立した。

 岡本行夫の活躍は外務省在職中から仄聞していたが、この本を読んで、あらゆる局面でわが国の国益を考えて行動してきた「もの言う官僚」としての印象をますます深くした。

 著者はこの本を自分の遺書だといっていたそうだが、残念ながら2020年4月に新型コロナウイルス感染症(肺炎)のため亡くなってしまい、この本の最終章は書き上げられないままになってしまった。

 この自伝の第一章は〈父母たちの戦争〉と題して、両親や兄弟が経験した太平洋戦争について批判的に触れている。とくにこの章の最後の箇所が新しい視点を提供してくれた。少し長いが引用する。

「戦争で死んだ一般兵士と市民の尊い犠牲の上に、今日の日本の平和と、繁栄と、民主主義と、東アジアの安定化がある。日本の中に巣食い、日本を破壊した軍人たちは、この犠牲がなければ放逐されなかった。そう考えると一般兵士たちは、国家にとっての内なる敵の手から国家を取り戻すための凄惨な戦争で死んでいったということにもなる。あまりにも大きな、途方もない規模の犠牲であった。」(P82)

 1942年2月にシンガポールを陥落させた時、トルコ大使館経由でイギリスの諜報機関からの和平打診があったが、連戦連勝で勝ちに驕っていた日本政府はそれを無視したと書いている。

 歴史にifは禁物だが、その後、藤村とダレスが実現しようとした和平交渉を受けていたら、わが国の被害、一般市民の犠牲は少なくて済み、沖縄で多大な一般市民の犠牲を出した戦闘も途中で停戦になっていたはずだし、広島、長崎の惨劇もなく、ソ連の参戦もなかったであろうという。

 そもそも1941年の「ハルノート」を受託していれば、日米は開戦に至らず、朝鮮半島、台湾、南樺太、全千島はそのままわが国の領土あるいは植民地としてあり続けたわけである。そうであった場合、それらの国土は果たしてわが国の国益であり続けたであろうかと著者は疑問を呈する。そして戦前の統治形態と明治憲法が残ったままであれば、現在の日本の自由と民主主義はありえなかったのではないかとも書く。

 そのほか著者のキャリア上の主要テーマであった日米同盟、湾岸危機、沖縄・普天間問題、イラク戦争、安全保障、日本外交の最大の課題としての中国と韓国そして北朝鮮問題が取り上げられており、交渉の最前線に立ってきた著者の考え方と生々しい体験談が率直に語られる。

 この本は外務省や官邸官僚として安全保障政策の第一線で関わり、あるときは闘ってきた記録であり、成功だけでなく失敗という評価に終わったことについてもその原因を分析して提示しており、忸怩たる思いがよく伝わってくる。

 著者は下士官の物語と謙遜しているが、第四章〈湾岸危機――日本の失敗、アメリカの傲慢〉では、わが国の湾岸危機への対処の失敗の背景と経緯が詳しく述べられており、圧巻である。

 失敗の大きな要因として、わが国の狭量で無責任な官僚主義と保身、そして刻々と変化する世界情勢に対する認識不足があげられている。また、日本の安全保障のために必要なのは憲法改正の前に、まず政治家なのだとも書かれている。

 また第五章〈悲劇の島――沖縄〉では、著者の〝沖縄〟への情念と冷静な分析を通して、いまの沖縄・普天間基地移転を巡る問題の本質が提起されており、われわれが沖縄問題を考えるときに心すべき点は多い。

  文中には官僚だけでなく政治家も実名で多く登場しており、直截な評価は慎重に避けているが、岡本が接してきた政治家たちをみての感想が記されており、著者の人間観が垣間見える。

 その後、多国籍軍とイラク軍の戦闘が開始され湾岸戦争に突入し、日本の役割が資金拠出だけしかできない事態となり、それを契機に著者自身の外務省職員としての仕事がなくなって、23年間勤務した外務省を1991年に辞職した。

  岡本が〝遺書〟の思いで書き残してくれたこの本は、まさにわれわれ昭和世代にとって安全保障政策を軸とした同時代的な戦後史である。フィルターのかかったマスコミのニュースだけでは決してわからなかった出来事の本質的意味が、この本のおかげでより深く多面的に理解できた気がする。

 当たり前だが、交渉事はカウンターパートとの人間関係が大きくものをいう世界であり、日常からの付き合いを通してのお互いの人間性と国民性の理解が重要であるということも教えてくれる。

 岡本が残したメモにこうある。

「この本の執筆には明確な目的があった。自分の過去を振り返ることでもなく、ましてや自分がやってきたことを人々に理解してもらいたいということでもない。僕はいろいろな立場でアメリカと、特に安全保障に関わってきた。その姿がアメリカに正しく伝わっていないことに苛立ちを感じることが多かった。(中略)日本がやってきたことは60点ぐらいだろうか。我々はそこから90点を目指さなければいけない。しかし同時に国際社会が日本に与えているせいぜい30点という評価は不当であり、少なくとも本来の60点の評価はするべきだ」。(P466)

 日本が湾岸戦争でどれだけの貢献をしたのかを詳細に記し、日本に対する不当な評価を世界に知らしめていくことが自分のライフワークだと岡本は言っていたそうだ。

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