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『すべて真夜中の恋人たち』ノート

川上未映子著
講談社文庫

 文庫本の帯に、「世界中が涙する、最高の恋愛小説」、「これが究極の恋」と惹句がある。
 しかし筆者は、そのようには読めなかった。
 もちろん、読者により様々な読み方があって当然である。しかし、作者が込めた登場人物の性格や心理描写、物語の展開や場面設定の意味を理解しないままの読み方というのはやや浅いのではないかと考えている。

 できるだけネタバレにならないようにあらすじを追ってみる。
この物語の主人公は入江冬子。34歳の独り暮らし。以前は出版社で校閲をしていたが、いまはフリーランスの校閲者をしている。
 いま唯一の楽しみは、一年に一度だけ、誕生日の真夜中に散歩に出ること。
この習慣は、冬子が25歳になったクリスマス・イブの深夜にふと思い立ったものだ。
 その日に見上げた夜空の雲の濃淡や真っ白に輝く月、通り道の電信柱、どこかの玄関先にある鉢植えや錆びついた自転車の前かごに入っているペットボトルなど、みつめるものの数が増えるたびに、胸のあたりで小さな音が鳴るようで、夜の光だけが冬子の誕生日をひそかに祝ってくれているような気がして、それから毎年真夜中の散歩に出るようになったのだ。

 フリーになったきっかけは、編集プロダクションを経営している元同僚の女性から、大手出版社が校閲者を探しているとの話があったからだ。その出版社の校閲局に勤めていたのが石川聖で、冬子と同郷ということがわかり、聖は仕事上の配慮だけでなく、冬子にとても親切に接してくれている。
 ただ性格はまったく違っていて、聖は物怖じせず誰にでもはっきりものを言う。話をするときは、ほとんど彼女がしゃべり、冬子は話を聞いているだけ。そして冬子のことを「面白い人」といって笑い、どこがと聞いても、「ぜんぶ面白い」というだけだ。そして冬子の仕事への向き合い方への信頼を口にする。酒は大好きで、自分はざるだ、というくらい強い。
 冬子と会うたびに、仕事とは関係のない話をするようになり、聖は、他人に向かって言いたいことがこんなにもあるなんて信じられないと、冬子に言う。

 一方、冬子は窓ガラスに映った自分のことを哀れと思うような人間であった。
 もともとあまりお酒は飲まなかったが、聖の影響なのか仕事がおわって就寝する間に、酒を飲むようになり、飲むといつもの自分でなくなることができるようになったので酒を手放せなくなった。
 
 ある日、部屋にあったカルチャーセンターの案内誌をみて興味が湧いたが、あまりに多い講座があるので決めきれず、雰囲気も知りたくて日曜日に行ってみた。その時の縁で、三束という高校で物理を教えているという五十代半ばくらいの男性と出会う。

 三束とは木曜日の夕方に彼の行きつけの喫茶店で会うようになり、それがいつのまにか日曜日にも会うようになり、お互いの過去のことや、いまのいろんな話をした。

 あるとき、光をみるのが好きだと言った冬子に対して、彼も光が好きで物理をはじめたようなものだといい、次は光の話をしましょうといって別れる。

 彼は光という物理現象をこと細かに説明してくれた。彼はショパンのCDを冬子に渡し、このアルバムの最初にはいっている子守歌が光のイメージだと言った。
 冬子は家で過ごすほとんどすべての時間、ショパンの子守歌を聴いていた。その曲は、三束さんがいうとおり、光の感触が満ちていて、目を閉じれば一つひとつの音が淡い闇の中で瞬くのがみえるようだった。

 ある夏の日、聖から久しぶりに冬子に電話があり、タイのサムイ島に男と行っていたという。
 その男とは長く付き合っているのかと冬子が訊くと、そういう関係ではないといい、付きあうような好きではないし、自分の感情がそもそもよくわからないのだという。そして、何かに感情が動いたような気がしても、それがほんとうに自分が思っていることなのかどうか、他人のものを「引用」しているような気持ちだというのだ。そして、一緒にタイに行った男性とは気楽な関係ではあるが、面倒なことも増えてきて、そろそろ終わりにしようと思っており、ほかにも男は何人もいるといって、冬子を驚かせる。

 一方、冬子は、三束の年齢も名前も、どこに住んでいるのかも知らず、次にいつ会えるのかなにも分からないのだった。

 冬子はお互いに何でも話せ、受け入れてくれる三束を慕っていた。喫茶店での逢瀬の別れ際に、何か言いたいのだけれど、それが言葉になる前に三束はいつも角を曲がって消えて行くのだ。
 冬子は、会って話すことをいつも楽しいと言ってくれる三束さんに会うのが辛くなった。冬子は三束さんと一緒に暮らす夢を見た。
 ショパンの子守歌を聴かなくなり、携帯電話の電池も切れたままにしていた。

「わたしはこれまで、何かを、選んだことがあっただろうか。……中略……この仕事をしているいまも、ここに住んでいることも、こうしてひとりきりでいるのも、話すことのできる人が誰もいないことも、わたしが何かを選んでやってきたことの、これは結果なのだろうか。」(P290)
「わたしは自分の意志で何かを選んで、それを実現させたことがあっただろうか。何もなかった。」(P291)
「失敗するのがこわくて。傷つくのがこわくて、わたしは何も選んでこなかったし、なにもしてこなかったのだ。」(P291)
 冬子は、これまでずっとこのような思いを抱えて生きてきたのだ。

 冬子は三束に会わなければと思い電話をし、いままで聞きたかったことを思い切って尋ね、彼の誕生日を祝うため食事の約束をした。冬子は初めて自分の意思で決めて踏み出した。

 冬子は石川聖にもらった服と下着を身につけ、美容院で髪を整えメイクをしてもらった。
 待合せの駅で二か月ぶりに会ったが、冬子はまともに三束の顔をみることができなかった。場所は、聖がくれたキャメル色のアンゴラのコートのポケットに残っていた名刺にあった高級レストラン「ヌレセバ」にした。
 店の名前の由来を冬子が店員に尋ねると、フランス語で「放っておかないで」という意味だと教えてくれた。

 レストランをあとにした冬子は三束に自分の率直な思いを伝え、自分の誕生日であるクリスマス・イブを一緒に過ごして、一緒に歩いてほしい、あの曲を一緒に聴いてほしいとお願いをした。三束が肯いて微笑んでいるように見え、冬子は声をあげて泣いた。

 この夜の帰り道、アパートの近くの暗がりに聖が佇んでいた。聖は、冬子が具合が悪いといっていたからお見舞いに来たと言った。
 聖が部屋に上がってきて、冬子はいろいろ詮索された。あまり話したくなくて、と言うと、他人にはあまり関わらないで、自分だけで完結することが好きなんでしょうと彼女から責められた。
相手の男に気持ちは伝えたのかと聞かれたので肯いて、そのひとのことが好きなだけだと冬子は答えた。

 さらに聖が踏みこむと、冬子は聖に、「みんながみんな、あなたの常識で動いてるって思わないでほしい」といい、「大事なものは、ひとそれぞれ違うでしょう……それに、なぜあなたに、がんばったって……言ってもらわなきゃいけないの」とめずらしく言い返したのだ。
 ついに聖は冬子にこう言い放つ。
「あなたをみてると、いらいらするのよ」(P338)

「慣れない高級レストランなんかに行かずに、ワインなんて飲まずに、いつもふたりで過ごしていたあの喫茶店で、スパゲティーとかサンドイッチを食べればよかったと思った。いつものあの場所で、あの喫茶店であの椅子に座ってお祝いして、そしていつものように、むかいあって何でもない話をすればよかったと思った。お酒を飲みたかったら、コンビニで買ってきて、ふたりでならんで公園で飲めばよかった。」(P338)
 
 冬子は聖からもらった高価な服を着て、美容院に行き、化粧をしたことなどすべて見栄を張っていた。聖の言葉でいえば「引用」、言い換えれば借り物だったということを自覚したのだ。

 この第12章からはじまる冬子と聖の思いのたけをさらけ出した会話が、この物語の核心なのでこれ以上触れないが、聖は、冬子のことをもっと知って、あなたの友達になりたいと泣き始め、ふたりは本音で語り合い、泣きじゃくり、お互いをサバイバーとして理解しあい、真の友情を結ぶことになるのだ。

 約束した冬子の誕生日の真夜中、待合せをした喫茶店の前で明け方まで待ったけれど来なかった。
 その後、三束から一度だけ手紙が届いた。手紙には自分が本当は教師でないことや、いままでついた嘘のことが書かれてあり、心苦しかったと何度も謝っていた。そしてもうお会いすることはありませんと書かれていた。
 彼もまた「引用」、いわば借り物の人生を生きていたのだ。

 ある夜、冬子はベッドに入ったが、寝つけない。その時、ある言葉が浮かび、新しいノートに〈すべて真夜中の恋人たち〉と書きつけた。
 それは映画か歌のタイトルかも知れなかった。冬子自身のどこかからやってきた言葉かもしれなかった。誰かのゲラでもないものに、目的もない何のためでもない言葉を書きつけるのは初めてだった。その言葉をひとしきりみつめたあと冬子は眠りにつく。

〈すべて真夜中の恋人たち〉という言葉よりも、冬子が何の目的もない何のためでもない言葉を、自分の中からでてきた言葉を自分のノートに書いたことが大事なのだ。
 そこには、借り物ではない、人真似でもない自分自身の言葉があり、人生があることに冬子は気づいたのだ。

 川上未映子の作品は、2022年4月2日に取り上げた『春のこわいもの』に続いて二冊目である。
 この著者の他の作品は読んだことはないのだが、作品名に惹かれるものがある。『春のこわいもの』も『すべて真夜中の恋人たち』も、日本語の語法として違和感がある。しかし、妙に惹かれるのだ。
 この本は英語に訳され、全米批評家協会賞の最終候補作に選ばれているが、その英訳本のタイトルは、「All The Lovers In The Night」。直訳すれば、「夜のすべての恋人たち」である。

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