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『うつくしい人』ノート

西加奈子著
幻冬舎文庫

 主人公の蒔田百合は32歳。人より少し感受性が強く、回りの他人の苛立ちに敏感でほとんど超能力だと自認している。それが自分に向けられたものでなくても、自分の体の奥が〝ぎゅう〟と縮こまるような感覚を覚えるのだ。それに、苛立ちをぶつけられている当人はそんな事には頓着しておらず、どうしてあなたたちに向けられた苛立ちや非難を自分が感じて、気詰まりな思いをしなければならないのかと、自分が勝手に居心地の良くない思いをしていることも分かっているが、それが余計に恨めしい。

 ある日、会社で彼女がプレゼン用の書類のコピーをしている時に、上司から書類上のミスを指摘された。その場で謝罪はしたが、心のどこかではそのミスを軽く捉えており、心から反省していない自分に気づき、彼女にちゃんと謝りたいと思いながらも、その謝罪は心からその書類のミスを反省しているというより、そのような〝態度〟を、社内での自分の今後に大きな影響力を持っていると思っている上司の彼女に示したかっただけなのだ。
 彼女は自分の心ない謝罪に、上司はあからさまな苛立ちは見せなかったが、それは確実に百合に伝わった。「謝る気などないんでしょう」といわれた気がした。
 彼女は謝る気などない女、というイメージをどうしても払拭したかったので、いろいろ考えながら、コピーが済んだ書類を持ち上げようとした途端にその資料の今まで持ったことのないような重さが引き金になって、涙が出て止まらずその場に泣き崩れた。その様子を見た上司がそばに来て、「疲れているのね」と声をかけてくれた。この一言が百合を打ちのめし、それが会社を辞めるきっかけになった。

 彼女は自問自答する。私は何に疲れているんだろう。何に? 自分に? どういう自分に? そして彼女はこう考える。私は〝誰かから見た私〟でしかない。ずっと誰かの真似をし続けてきた私は、自分の感情の答えを決めることさえできないと気がつくのだ。

 彼女は気付いている。こうなったのは、高校時代に遭遇したある事件を大きなきっかけとしていまは家から出なくなってしまった(引きこもりではない)姉の存在が大きく影響していると。
 彼女は幼い頃から常に姉の観察者であり、姉を通して見えてくる社会というものに媚びるように、居場所を確保するために簡単に態度を変えてしまう自分に気付いているのだ。姉は、幼い頃から妹の百合の視線を一番欲しがっており、百合が観察者になった原因は姉の存在だったのだ。その意味でこの姉妹は一心同体の存在とも言えるだろう。

 百合は雑誌に載っていた瀬戸内海に浮かぶ島のリゾートホテルに4泊5日で行くことに決める。無意識に、自分が知らない場所に、誰にも知られないままでどこかに行きたいという思いが百合を突き動かしたのだ。
 旅先で出会う人たちや出来事に苛立ったり、苛立たせたり、その苛立ちに気付きながら、百合は少しずつ変わっていく自分に気がつく。

 百合がホテルでゆっくり話をしたのは、ホテルのバーのバーテンダーの坂崎と、仕事にも就かず、あり余るカネと時間を費やすためにこのホテルに滞在している24歳のドイツ人・マティアスだ。坂崎はバーテンダーにはふさわしくない不器用な人間である。マティアスは日本語がかなり通じる変なドイツ人で、泡のないビールが好きで、会話をしているとかなりのマザコン男だということに百合は気づく。この二人は、他人の目を気にすることもなく、あるがままに不器用に生きている存在だ。

 ある日、百合はマティアスからよくわからないままベッドに誘われる。その時、彼女の頭にまず浮かんだのは、ある種の打算であった。〈彼は美しいし、相当の金持ちだし、人に見せても恥ずかしくない彼氏どころか、とても羨ましがられる彼氏になるのではないか?〉。しかし次に浮かんだのは、〈羨ましがる? 誰が? 姉が?〉〈そんなことはどうでもいい。自分の声に、耳を澄まそう。聞こえなくてもいい。今ここにいるのは、私なのだ。〉と。
 そして、「だめです。」とはっきり断ったのだ。彼女にとっては大きな一歩であった。〝誰かから見た私〟ではなく、自分は自分だということに気がついたのだ。

 このホテルを選んだ動機さえも、社会的にそこそこ地位がある女の人が有休でもとって遊びに来ているんだなと、ホテルの従業員や宿泊客に思ってもらえるかなというもので、他人の目にどう映っているかを気にしていた百合が、ホテルから見える海のあるがままの姿、そのままそこにあり続ける海に、また素のままの人間に触れ、自分は自分ということに気がついたのかも知れない。
 物語の最後、帰りの船のデッキで彼女は姉に電話をする。それはきっと姉から自立した証しなのだろう。

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