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『ないもの、あります』ノート

クラフト・エヴィング商會 著

ちくま文庫

 
 9月13日にnoteにとりあげた『という、はなし』を読んだ方からコメントをいただき、あわせてこの本をご紹介いただいた。

『という、はなし』の著者である吉田篤弘・浩美夫妻が装幀とレイアウトを担当しているこの本の著者は、明治時代に創業したクラフト・エヴィング商會となっている。

 ただしこの商會は吉田夫妻のユニット名であり、実在する会社ではない。そしてこの本は〈ないもの、あります〉の看板を掲げているクラフト・エヴィング商會の取り扱う商品目録、すなわちこの世に名前はあるが、実体がない〈もの〉の目録の体裁をとっている。

 目録には、「堪忍袋の緒」「舌鼓」「左うちわ」「相槌」「先輩風」「地獄耳」など26の商品がこの目録に掲載されていて、それぞれの商品をめぐるちょっとしたエッセイ(おそらく著者は吉田篤弘)が載っており、その最後に商品のイラストと簡単な説明や注意事項が書かれている。

  たとえば「堪忍袋の緒」――昔ののんびりとした時代とは違い、この頃は、あまりにもこの「袋」に押し込むものが多くなって、「緒」が切れてしまう事態が多発するようになったのか、クラフト・エヴィング商會に、「もうちょっと大きなサイズの堪忍袋はないのですか?」という問合せがたびたびあるそうだ。そこで、とある下町職人さんと相談の上、作ったのがこの「堪忍袋の緒」なのだ。

 これがあれば、しかるべき局面で「緒」の様子が一目瞭然。「いかん、いかん」と思いつつも怒りに身が震え出したとき、懐に忍ばせておいたこの「緒」を取り出して、いまの切れ具合をチェックすればよいという。

「緒」が大丈夫であれば、怒りを「堪忍袋」に収め続ければよいが、いまにも切れそうであれば、あとは購入した人しだい。

 時には、「えいっ!」と思いきりよく切ってしまい、人生を棒にふることもあるとも書かれている。

 商品の説明書には、ケンカっ早い方のために「江戸っ子仕様」の「鋼鉄製」も用意している、というのがお笑いだ。この堪忍袋の緒は言い換えれば〝アンガーコントロール〟のバロメーターか。

 ただ、堪忍袋そのものの大きさは、それぞれの方が持ち合わせているサイズで一生涯やりくりしてもらう以外にない、というのが真実をついて面白い。

 次は一番人気の「左うちわ」――カタログに掲載する前から「なんとしても欲しい」、「一度でいいから、あおいでみたい」、「それさえあれば、他になにもいらない」などの問合せが商會に殺到していたそうだ。

 この商品の効能は、これ一枚で遊んで暮らすことができるという点にある。ただし、かなりの高額商品である。にもかかわらず「左うちわ」は一生ものではないといい、『平家物語』の冒頭部分を引用している。

 また「左うちわ」は、いったん購入したあと、あおぐ手を止めると、左うちわの状態を維持できなくなり、ただの遊び人、ごろつき、世捨て人と見なされることになると注意する。そして左手が疲れたといって右手に持ち替えることはできない。うっかりすると、「左うちわ」が「左前」になってしまうとご丁寧な解説付きだ。

 次に紹介したいのは「自分を上げる棚」――「自分のことを棚に上げて言うのはなんだけど……」と断ってから言いたい放題、この世の中には好き勝手なことを言う人がいる。しかし、この棚がいったいどのような形なのか、どれくらいの大きさなのか知らない方が実に多いのだ。

 ある程度の大人になったら、自身の棚を把握しておかないと調子に乗って、どんどん自分を棚に上げてしまい、収拾がつかなくなることもあるし、なによりその棚の大きさは、悲しいかな、自分で想像しているほど大きくはない。そして最後には、自分のすべてが棚に上がってしまって、棚の下には何も残らなくなってしまうのだ――と、ちょっぴり皮肉が利いている。

 空想の上に空想を重ね、それにところどころブラックユーモアのスパイスを利かせ、この人間世界のキラリと光る真実をまぶしたなかなか凝った趣向の本である。

  ところで筆者は「上の空(うわのそら)」という商品を開発したので、クラフト・エヴィング商會さんに売り込みたいと思っている。

 たとえば会社の上司からしこたま怒られているときに、ひたすら他の事を考えて、堪え忍ぶときに使えるのではないか。ただ欠点は、この商品を使っていることを上司に気づかれると上司の怒りが倍増するので、空を見ずに、頭を垂れて使うことがコツだ。いくらで買ってもらえるかなぁ。

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