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『生きるとか死ぬとか父親とか』ノート

ジェーン・スー著
新潮文庫


 文庫本の帯に、「可笑しくてほろ苦い、父娘のリアルストーリー」とあるとおり、著者と、ちょっと……というかかなり破天荒な父親を巡る物語である。

 著者がこのリアルストーリーを書き始めた動機は、「いままで生きてきて一番長く知っている人のはずなのに、私は父のことを何も知らないも同然」であり、64歳で亡くなった母親については、〝母〟以外の横顔を知らないまま、彼女の人生について聞くことがなかったことを後悔しており、父ひとり娘ひとりになったいま、父については、同じ思いをしたくないという思いからだった。
 別居している父親が、引っ越しを決め、その前納家賃1年分を著者に無心してきた時、お金を出す代わりに、「いいけど、君のことを書くよ」と断れないことを見越して宣言して、父親は気前よく「いいよ」と返事をしたのがこの物語の始まりだ。

 この父親は、着眼は良いが少し世間より進みすぎていて、さらに人の良さが禍して商売で失敗して何億もの負債を抱え、それを何とかほとんど債権放棄してもらって、いまはわずかな年金と娘からの仕送りで生活している。彼は著者から見ても「愛嬌のある爺」であり、70歳を過ぎても女にもてる。ましてや若い頃においておや。外に女を何人もつくり母親を悩ませたが、母親は一切複雑な感情を表に出さなかった。

 映画雑誌の編集者をしていた母親は、つれあい、すなわち著者の父親より6つ歳上の相当な美人で、華やかな世界の住人だったので、言い寄ってくる男の多くいたはずだが、よりによってこんな男と結婚したのかと著者は思いながら、父親の「そりゃあ、俺に惚れていたからさ」と事もなげにいうことにどこかで納得しているようだ。

 物語の途中で、「数多の線で形作られた父という輪郭の、都合の良い線だけ抜き取ってうっとり指でなぞる。私はからエディットした物語に酔っていた」と書く。そして父のために父を美化したかったのではなく、自分自身が、「父がどんなであろうと、すべてこれで良かった」と自身の人生を肯定したかったからだと思い至る。そして「この男にはひどく傷付けられたこともあったではないか。もう忘れたのか」と自問する。

 そんな父親だが、物事の基本的な考え方には著者も同意する。たとえば、「一刀両断で個人を見切るようなことは絶対にしない。人にはそれぞれ事情があることを、小さなころからその眼で見てきたから」や、「最後は人柄だよ」などに大いに納得する。娘の眼からみれば、「お金の流れは一方通行!」と平然と娘に無心する、理解しがたい生き方、暮らし方だが、どこかでこんな父親をものわかりのいい眼で眺めている。
 そして、著者は「憎んだり、蔑んだりのフェイズをなんとか通過し、父の人間関係すべてに〝娘〟という札で切り込まないマナーを、私は生きる術として体得した」という境地(?)に達する。父親も〝親〟という札で著者の人間関係にズカズカ入り込んでくるようなことはしないのである。

 父親は著者から見てあまりにも多面的で、不安定な五角形のサイコロのようだと描写する。「私はそのうちの〝父〟という面でしか向き合ってもらえない」のが不満であったが、父親とのあるべき関係に固執していたのは自分だと気付く。そして、自分の妻が亡くなってもう6年も7年も経つのだから、父は父で不足を補う人間関係があってもいいと思うようになり、近きがゆえの、また血のつながりの故の憎しみや甘えの入り交じった複雑な感情を乗り越え、亡くなった母親を含め、お互い本当の家族になったとひとり述懐するのだ。

 著者は音楽プロデューサーで、作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティでもある。日本人らしからぬジェーン・スーという名前は芸名で、著者は日本人である。父親だけでなく自分自身の赤裸々な感情を描写しており、やや身につまされるリアルストーリーであった。

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