期待の相違
僕の10はあの人の1かもしれない。
そうやって生きています。
そうすることで過度に相手に期待する事なく、できる事は自分でやろう。やれるようになろうと今に至ります。
子供の頃の「行けたら行く」は「行かない」理論ですw
相手は、「行けたら」なので「行かなくても良い」
自分は、「来るかも」なので「期待して待つ」
特に日本は相手を気遣う言葉が多く曖昧な返事になる事が、海外の方にとっても日本語が難しいと感じる部分でもあります。
そんな日本人でさえ理解しにくい表現を昔から使い続けているので、「期待の相違」が生まれる事も多いのでしょう。
恨みつらみは、自身の期待に沿わない行為から生まれる為、あくまで+α程度で考えておいたほうがよいのである。
「くれるっていったけど、全然くれない」
「見積もりばかりで、一度も依頼されない」
「頑張ったのに、認められない」
逆を言えば相手の「100できる」は自身の「10できる」にしかならない事もあります。
こんな事で「期待の相違」が生まれてしまいます。
それは不思議とバイアスのかかった天秤にかけ、期待に応えない相手が悪いのだと認識してしまいます。
だから誰かにしてもらう事は当たり前ではなく過度な期待をし過ぎず、やってもらえたら+αのラッキーと捉えておく事が必要であると考えています。
ただ、だからこそやってもらえた時にはしっかりと喜ぶ事や感謝する事で、相手の「喜び」も自身と同じように増えていきます。
それは相手の1を100に変える事もできるのかもしれないですね。
期待しすぎず!
やれる事は自分で!
やってもらえたら大感謝を!