誰かの態度や言動が気になるとき
パートナーや子供の態度やある習慣が気になってたまらなかったり、それがなんとかなればよいのになって思ってしまうとき、それは相手の問題ではなくて、その部分が気になる自分の問題だったりすることが多いようです。
そのことに気づいてからは、
ああ、なんでこういうことをしちゃうのかなぁ。
とイラっとしたときは、
これって私に何を知らせようとしてくれているんだろう?
と思うようになりました。
だからといって、イラッとする回数が減るわけではないのですが、イラッとした後の回復は早くなったような気がします。
そして、だからといって、そのことが自分に知らせてくれているものは何かということを追求したりはしなくてもいいのです。
それをやっちゃうと探求の旅が始まってしまって、ぐるぐる回り続けて目が回って、見えてくるものも見えなくなってしまうので、ただ、私、イラッとしちゃったわと思って、自分にフォーカスを戻す訓練をしているうちに、相手のやることが気にならなくなってくると同時に、不思議と相手がそれをやらなくなるという現象が起きてくるのです。
でもそこに少しでも相手をコントロールしたいっていう気持ちが入ると、その嫌だなって思うことが長引いてしまうようです。
パートナーや子供などの近い家族との関係は、相手のことを思う強い気持ちが、ついコントロールになってしまいがちなので、夫婦問題や子供の心の問題がなかなか解決しないというときは、気持ちの矢印の向きを自分に向けてみると、そのことが自分の問題だったということに気づくキッカケになるかもしれません。
また家族だけでなく、家族以外の対人関係でも同じことなのですが、嫌な言動をする人がいて、その人のことがとても気になる場合、その人の嫌な部分が自分の中にもあったり、本当はあるのにそれを押さえつけていたりすることだったりするのだそうです。
そして、そのことに気づくだけで、その人のことがそれほど嫌に感じなくなったり、なぜか不思議とその人が嫌なことを言わなくなったり、どこか遠くに行ってしまったりするものです。
それでもどうしてもそう思えなくて苦しいときは、その人の背中にロケットをつけてお空のどこかに飛ばしてしまいましょう。
ちょっと漫画チックに3頭身くらいの可愛い感じにしてあげて、さようなら〜って遠くに行ってもらいましょう。
ただし、これはとても効くので、本当にその人がいなくなってしまう可能性がありますので、本当は離れたくない大切な人にはやらないでくださいね。
自分の見ている世界の全てが自分だということに気づくと、すべての景色が変わって見えてきます。
あの人もこの人も。
空も雲も風も。
木々も鳥たちも蝶々も。
目に映るすべてが、自分の内側の反映なのです。
日曜日の午後の晴れ間に、夫に誘われて大きな広い公園を散歩してきました。
枯葉の絨毯が気持ちいい。
赤い色の少ない黄金のパリの秋です。
<追記>
1年半ほど前の秋の記事です。
ここでは、
嫌な言動をする人がいて、その人のことがとても気になる場合、その人の嫌な部分が自分の中にもあったり、本当はあるのにそれを押さえつけていたりすることだったりするのだそうです。
と書いており、それは確かにそうなのですが、
他人は自分を映す鏡と言いますが、その本当の意味は、他人は自分の観念を映す鏡ということなのです。
自分が出している波動を映していると言い換えるとわかりやすいかもしれません。
だから、必ずしも、その嫌な人の要素が自分にもあるということではなく、その要素を持つことを自分や他者に許していない場合、それが映像となって現れてくる場合があります。
詳しくは、定期購読マガジン「ミカリュスの魔法の玉手箱」の中のこちらの記事で解説していますので、購読中の方は再読してみてくださいね。
こうであらなればならない。
こんなことはしてはいけない。
と自分に制限をかけていると、
もっと緩やかに生きていいんだよ。
好きなことをしていいんだよ。
ということを教えてくれるために、あなたを気持ちをざらざらさせる人が現れることがあります。
他人にいいように使われてしまうという悩みがあったとします。
それは、あなたが他人をいいように使うような人ということではありません。
あなたがあなた自身をリスペクトしていないと、あなたをリスペクトしてくれない人にばかり出会ってしまうのです。
これは表面的な意識でどう思っているかは関係ありません。
自分は自分を大切にしてるし尊敬していると思っていても、周りの人がそう扱ってくれないのなら、潜在意識では、まだ自分を本当に認めることができないでいるということです。
元記事:誰かの態度や言動が気になるとき(ミカリュス・ブルガリスの心の薬箱)November 21, 2017 09:04:37 テーマ:気づき