望む生き方と望まない生き方
すごく簡単に言ってしまうと
目醒めを選ぶということは、望む生き方をする
ということです。
反対に眠りを選ぶということは、望まない生き方をする
ということになります。
目醒めや眠りやアセンションなども言葉を知っているかどうかは関係ありません。
そのような情報に触れることがなくても、望む生き方をしている人は、全て目醒めている人たちです。
さあ、あなたはどちらを選びますか?
と言ってみましたが、実はもう選択の扉は閉まっているので、この質問はナンセンスなのです。
選択の扉はもう閉まっていますが、今ここで、この記事を読んでいるということは、意識的にしても無意識的にしても、目醒めを選んだということです。
目醒めとかよくわからないという人も、望む生き方をしたいと思っている人が、わたしの書く記事に周波数が合うようになっています。
だから、この記事を今読んでいる人は、全員、望む生き方をしたい(目醒めたい)と思っているはずです。
そうですよね?
絶対にそうですよね?
異論はありませんよね?
だったら、今すぐ、望む生き方をしてください。
明日からとか
明後日からとか
ましては子供が何歳になってからとか
定年になってからとか
そんな不確実な未来のために今を犠牲にしないでください。
なぜ、望む生き方をするのに
来るか来ないわからない未来になってからそれを始めないといけないのですか?
目醒めを選んだのですよね?
たとえ、目醒めとかそういうことには興味がなくても、望む生き方をしたいと思っているのですよね。
だったら、今この瞬間から望む生き方をしてください。
今しない人は明日になってもしない可能性が高いです。
もっと先延ばしして、子供が成人しても、自分が定年になっても、そのときはそのときの事情ができて、きっとしないことでしょう。
今の時点で
だって
でも
の世界から抜けれない人は、年を重ねれば重ねるほど、そこから抜けるのが難しくなっていきます。
体は弱り、家族の誰かが病気になる、など、今とは違う事情ができて、望む生き方をしない理由が次々に現れてくるのです。
今、望む生き方をしない人は、10年後も20年後も30年後も、望む生き方ができない事情がでてくるでしょう。
なぜなら自分自身で、望む生き方をしなくてもいい言い訳を探しているからです。
それをしている限り、次から次へと、言い訳ができる事情ができて、望む生き方をしなくてよくなります。
なぜなら、それを自分が望んでいるからです。
いろいろな外側のアレやコレのせいで
自分以外の誰かの希望や事情のせいで
自分が望む生き方をできなくなるというストーリーを
自分で選んでスクリーンに映し出しながら生き続けているだけなのです。
フランスから愛をこめて❤
ミカリュスより
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