おせちと昨年末のこと
年末がやってくるのが怖かった。ここ数年、認知症母の扱いが大変だったからだ。
やはり今年も大変だった。
母はおせちを「作りたい」「作らねば」という気持ちだけは残っているけど、何をいつどうやって作るかということに頭を使うことができない。
いっそ「作る」ことも忘れてくれればありがたいのだけど、それは絶対に忘れず。実際は材料を買いそろえることも料理もできない。しかしできないということを認識できず、自分ではできると思っている。すごくやっかい…
生活クラブで昆布巻き用の昆布とにしんを注文していたが、まずこれは作れないだろうと思った。
注文を取り消そうかと思ったが、一緒に作るのもいいか、と考え直した。
しかし12月中旬に冷凍のにしんを解凍して食べようとしているのを偶然発見して再冷凍したり、すでに食材の管理もできないという具合。
卵も大量に買ってくるが、伊達巻のレシピがどこにあるかもわからないし、いつも作るわけでもないものをきちんと作れるわけがない。
わたしが作ることにした。積極的に作りたいわけではないが卵を無駄にしないためにやむを得ず。
ただ、結果としては昆布巻と伊達巻に初挑戦できたのは良かった。どちらも全然難しくなくて、これなら毎年作れる、ということがわかった。
伊達巻は、ケーキを作る人にはとっても簡単かと。はんぺんと卵と調味料をフープロにかけて、焼いて、巻くだけ。
今回はフライパンでやりました。オーブンでもいいと思う。ロールケーキみたい(でもずっと簡単)。
あとの黒豆、紅白なます、甘栗きんとんは何回も作っているので問題なし。
つやつやの黒豆はいつも鍋帽子でおいしくできて、自信ありです。
29日に母と一緒に昆布巻を作り(ほとんどわたしがやった)、あとは、筑前煮を作ることだけを頼んでいた。
28日~30日、すでに買ってあるものを買い物に行こうとするのを何度阻止したかわからない。そのたびに「ないんだから買いに行かなくちゃ!」と言って怒るし、説明して、疲れ果てた。
30日の夜に改めて「明日は年賀状を書いて筑前煮を作る。この二つだね、やることは」と言い含め、31日の朝も忘れてるかもしれないと思い、急いで伝えに行くと……
上着を着て、帽子をかぶり、マスクを着て今にも出かけるという様子。
ギョ!!! として(本当にびっくりする)、
「どうしたの?買い物は行かなくていいよ。今日は年賀状を書いて筑前煮を作ればいいだけだよ」と言うも、「何もできていない! 昆布も黒豆も買わないと」。
あああ。そこからか…
手にしたメモを見ると「れんこん、にんじん、ごぼう、里芋、こんにゃく、卵…」。
「昆布巻は一緒に作ったし、黒豆やきんとんはわたしが作ったよ。あと煮物の材料は全部あるよ。昨日一緒に確認したじゃない」。
「昆布巻一緒に作ったの!? 全然覚えてない!」。え…!!(驚&ショック)
そして、にんじん、里芋、れんこんなど、また筑前煮の材料を出してきて一緒に確認する。
しかし夕方になっても作り始めない。
これはもう無理だ、できないんだ…わたしは午前中から干ししいたけを水に漬けていたけど、結局見かねて鶏肉を切り下味をつけ、野菜をカットし…母の台所で、わたしが作ってしまった。母は少し野菜を切るのを手伝っただけ。
参りました。
もう二度とこんな年末は過ごしたくない。
そんな大声で怒らないでよ、みたいなことを言われて言い争いになって辛さ倍増。泣きながらジョギングとか。
夫は実家に帰っていて二人きりだし、はっきり言って、地獄。
それでもなんとか、おせちもできたし。よかった。なぜか昨年しまった場所に重箱がなくて、おせちを詰められず、それは残念だったけれど。おせちはやっぱり重箱に詰めてこそだものね。。
弟家族は1日にやってきて、そんな苦労も知らず、当然のようにおせちを食べ、母と話をして「もう耐えられない」と逃げてきて。
そのくらいで…わたしは毎日だよ。しかも話を聞くだけじゃない。掃除から病院の管理から何から何まで。
ともあれ。
嵐は過ぎた。無事に?年末年始が終わった。これで日常が戻ってくる。日常も大変なんだけどね。