父の入院

11月の終わり、ようやくケアマネさんや訪問看護師さんがたとのカンファを行い、
在宅メインで父の見守りを始めましょう、となったところでした。
(一つ前の投稿)

12月1日。入浴のあと、濡れた体を拭いてくれ、というので、
浴室のドアのところにもたれてもらい、背中からバスタオルで体を拭いていました。

背中を拭いて、足を拭いて、、、、、としていたときに
急にふら〜っとなり、
そのままバタン!!!と後ろ向きに倒れてしまった父。

一瞬、気を失ったのかもしれない。
後頭部がゴン!とフローリングの床に。
何が起こったのかわからないような父でした。
痛い、とも言わない。

硬膜下血腫が怖かったわたしは、
「救急車、呼ぶよ!」と父に声をかけました。

素っ裸のままの父。
バスタオルをかけ、コートをかけ、毛布をかける。
救急隊員さんと電話で話しながら、
だんだん父は状況が把握できてきた様子。
「パンツ・・・・」という。
あ、そうよね、そうよね。
救急車が到着するまでの間に、なんとかパンツを履いてもらう。
体は、横になったまま。
動かしていいのか、起こしていいのか、わからない。

消防署が、すぐ近くにあるので、サイレンの音がすぐに聞こえてくる。

コロナ禍だからと、換気を促される。
玄関を開けておくけれど、父は、素っ裸。。。
わたしも、パジャマ姿だったのをバタバタと着替えた。

救急隊員さんが到着して、バイタルとってくれる。
不整脈があったようだ。
父が、「シャツ・・・」というので、下着のシャツを出し、
隊員さんに着せてもらう。
そのまま、毛布に包まれ、救急車へ。

循環器や腎臓内科で通っている病院へ搬送依頼するも、
断られた!!!!

頭を打ったことが心配だった。
救急退院さんが、外傷はない、ということも伝えてくれた。
骨折もなさそう、、ということも伝えてくれてた。

だけれど、
「整形外科の医師がいない」という理由で断られ、慣れた病院ではないところに搬送された。

時間にして、22時半は過ぎていたと思う。

不整脈のことや、気を失ったところを強くいえば、担当医がいる病院に搬送してもらえたのかもしれない。

症状の伝え方も、重要だと思った。

救急車の中で、酸素の量が92以下になっていて、酸素吸入をする。

10月も11月も救急搬送してもらっているけれど、今回は様子が違っていた。
なのに、かかりつけに搬送されないなんて!!!
ちょっと病院に対して、腹が立った。

受け入れてくれた病院に到着して、父はすぐ検査や治療へ。
わたしは、事務手続きをして、待合室で待機。
血液検査の結果を待つ。
胸部レントゲンでは、肺が白くなっていて胸水が溜まっていた。
息が苦しいはずだ。

10月も11月も救急搬送されてるけど、容体が落ち着いたら、家に帰ってきた。
今回も家に帰れるのかな、と思っていたら、
「家に着く間に死ぬよ。酸素がなくなったら死ぬよ!」と医者に言われる。

今回は、症状が違っていた。
10日くらい前にも救急搬送し、胸部レントゲンも撮っていた。
そのときは、胸水はなかった。

え?
こんなに急にたまるものなの???

全く知識のないムスメ。

そのまま、入院となる。
父の顔を見る。会話する。

0時半くらいにPCR検査の結果待ちで、まだ時間がかかるから、というので、
わたしは、家に帰ることになった。

わたしも、何が起こったかわからなくなっていた。
うまいことに翌日は仕事が休みだったので、
入院の手続きに翌日、また病院にきます、ということで、タクシーで帰った。

翌日、というその日は、
訪問看護師さんがきてくれる日で、
福祉用具の担当の方が、車椅子やベッドの手すりなどを持ってきてくれる日となっていた。

あぁ、起きたらキャンセルしなきゃ、、、。
翌朝することを事務的に確認して、眠りについた。




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