自殺者と目を合わせてしまった思春期
この時期は嫌だった事がめちゃくちゃに脳裏でフラッシュバックする。
あのときは高校3年生のこの時期
家庭環境は正直悪かった、殴られたり人格否定はざらだった。
家の中に自分の居場所なんてないからインターネットでネトゲに
逃げてたと思う。部屋があっても安心して過ごせなくて
何か不都合があったら殴られるのは理不尽だと毎回思ってたけど
殴ることもきっと愛情なんだって気持ちを押し殺すしかなかった。
ネトゲ時代は荒れてたからたくさん晒されたりもしたし顔晒されてたり
もしたけどさしてネットの人間に何を言われようがどうでもいいしって
女子高生ばりばりの考え方してた。どうせ表面だけの付き合いなんだし。
初雪が近くて雪虫も飛ぶ時期。
春に別れた元彼を引きずってたから担任は知ってたけど
毎日朝まで電話して2時間ぐらい寝て朝の電車に乗る。
電話も卒業したらヨリ戻してあげるからって言うけど
絶対嘘だなって解ってても親から離れたいから高校入る前から
上京はひたすらしたかった、それは許されなかったけど。
よりどころにする所って上京ぐらいしかなかった
何より親と離れたかった。
辛すぎるわ…って図書室でサボらせてもらったり家に帰りたくないとか
進路は親が姉と同じにしろと強くいってきたのだけを覚えてる。
推薦とれるはずの成績を一個だけ落としちゃったから(電話のせい!?笑)
私はお姉ちゃんと同じ大学に元々行きたくなかったし
いい機会だなあって自分のやりたいことなんて無かったんだけど
適当に専門学校を選んだ記憶がある。
だから親に打診して「私のやりたいことをやらせて」って言ったけど
両親ともに父親から顔をひっぱたかれた、そのあと母親に言われた
見えない所を殴らないと問題になるって言葉もすごく印象深い
親の心の安定をとるために何も自分のしたいことができないなんてって
ハサミを頭に勢いでぶっさした。おじいちゃんがそれをみて
両親を説得してくれたから専門にはいけたけど地元の専門だった。
でも私は親からの言葉で自己肯定感もなくなって
元彼の嘘も縋らなきゃ生きていけなかった。
好きとか愛情とかじゃなくてただ逃げたかった。
地元にいる間に友達なんて繋でしかないとおもってたし
私には唯一電車で乗り合わせる友人がいた。
その時間は通学でも唯一楽しかった。
電車にのって地下鉄に乗り換えるときも、貧血で
ふと線路におちそうなときは何度もあった。
ネトゲを唯一語れるお友達の男の子がよくあってて
危ないよって止めてくれたから落ちなくてすんだ。
人身事故になりかけまくってるのは正直申し訳なかった。
なんでこうも何もうまくいかないんだろう。
なんか何も自分のことどうでもいいや。早くもう何もかも
殴らない家族でお話をきいてくれて私のこと嘘つき呼ばわり
しないでいてくれる人がいたら変わったんだと思う。
姉はうさばらしでしてもない事を親に言ったら私は殴られた。
「そんなに殴りたいならいくらでも気が済むまで殴ればいいよ」
って殴られても笑いながら行ってしまった瞬間私の脳みそでは
多分吹っ切れてしまったんだと思う。
でも殴られることは愛情なのかもしれないと思わないと
やっていられなかった。
むしろ人を信じたい気持ちで信じてきた事がなんだか足かせで
間違いだと思っていたけどみんな本質いいところはあるから
せめて自分の周りに見えるところではそういう出来事が起こらなきゃ
良かったと思う。友達を友達と認識できないのが大きかった。
とにかく人生でここまで落ち込んだことも感情的になったことも
ないぐらい不安定でいつも緊張していたし、いつも悲しんでいたし
私はキープされるぐらいしか価値のない人間なんだと思ってた。
そして私は見てしまった。
自分の上の階の空き教室から飛び降りた同級生の姿を。
その瞬間は止まったみたいに目があった。
人が、落ちた。開口誰も信じなかったくせに
面白がる人の多さに吐き気がしたしこんな人間の周りに
いるのは正直終わってると思った。
まだ生きてるうちに写真を取ってネットに晒す人
おもしろがって見に来る人、何あれ?って興味本位で除いて
笑いものにしているようにしか見えなかった。
私はパニックというか動機がすごくて保健室にむかって
学校自体が早退担ったので帰った。
私はこのときこの学校の人間は終わってると思った。
目があってしまったのでスクールカウンセラーがきた。
ありのままのことを話したら躁鬱と言われた、そして聞いてしまった
うつ伏せになってたから死にたくなかったんですよね?って
救急車の中で生きたいといって亡くなった彼女は運ばれるまで生きていた
写真をとられたりひどいことをされた彼女はきっとそれをした人を恨むと思う。
病院は親に病院に即連れて行けといわれたから頼んだが、それは叶わないし
私は毎日そのあとから家でも窓の外から人影と落ちたドスン
という音と折れ曲がって血が流血していた彼女の幻覚をみた
家でも暴力は続いていた。元彼も卒業したら~のくだりで
目撃した教室を変えたいといったらすんなり通った。
でもクラスメイトは不便になるだとかそういう文句しかいわなかった。
ああこの人たちは人の痛みすらわからない全員敵なんだなって思えた。
めんどいなあって聞くたびにお前が目が合えばよかったじゃんって思った。
思い出したくなくても思い出してしまう。こっちを見ていた。
目があったとき光がなかった。一瞬だった。
それは吸い込まれるようにまだ私を飛び降りさせたいというように
この時期にはおいで。苦しいならおいで。と呼ばれたきがする幻聴が
何度もする。
クラスメイトもどうでも良くなってしまった。
もうこの人たちとは倫理観が違うと悟った。
どこにも居場所がなくなった。
私は高校3年生という物心付く段階で大きな傷を追っていた。
家のこと、元彼の嘘、もう散々だった。
でも自分を傷つけるのは許されなくて死んだように生きていた。
まあその後自分が病気になって措置入院したのは
東京で同棲していた彼氏と住んでいたときだった。
それはまた別の話。
思春期にした経験はずっと残っている。
人間不信になる原因でもあった。
より戻すよっていってきた人は新しい男が支えたいっていってるって
そのまま切ろうとしたら私の悪口をたくさんいっていた
今直ぐより戻そうともいってきた、それがキープだったんだって
決定付けるものになって世界で一番信頼していたその人が
私のことなんて所詮アクセサリーとしか思ってなかったんだなって
すごく悲しかった。
卒業式は気持ち悪いクラスメイトやその周りと卒業するのが嫌で
その新しい男の家に家出してすごしていた。
誕生日にピアスを開けてもらった記憶があるけど実は開けるのみすって
右の穴は下にささないとピアスが付けられない笑
その男とも破局することになるんだけど原因は明白だった。
私は親から離れたかった故に元彼に固執した。だから元彼といたかった
それすら若さだと思うけども。
親は怪訝な目で私を見つめていた。
インターネットのネトゲもいつのまにか違うゲームがメインになっていた
ただどこにもやっぱり私の居場所なんてなかった。
雨風しのげて、親にも殴られなければいいと。
希死念慮なんてずっと前からあったのが更に加速した。
大人担って飛び降りをみると多感な時期にそれを見るのとでは
やっぱり理由が違うから一生嫌な記憶としてのこるだろうし
まだフラッシュバックはするし一人で外に出かけられなくなった。
ニュースでピースしながら事件の中継で写っている人間がいれば
高校生のときのクラスメイトを思い出す。
高3は最悪の時期だった。最悪の時期に飛び降りを見て
家は家庭内暴力で、泣いてばっかりの毎日で
人間不信になってPTSDになってて軽い躁鬱どころか
私は仮面を付けて生きることを中学できめたのに
それ以上に仮面を付けなければと思った。
私を理解してもらう必要はまったくない。
ただこの時期になると亡くなった女の子は私を
ふと呼んでいる気がするし大きなでっかい出窓からは
ドスっとした音が幻聴だとわかっているのにきこえる。
心療内科の先生はおとなになってからそういう現場をみたんですよ
おんなじですねっていうけど
高校生でこんなのみたらもう一生忘れられないと思うよ。
大人はある程度割り切りをつけられるもの。
周りもみんな、非日常を楽しむクズでしかなかったのだから。
彼女はまだ運ばれるまで生きていた。だから笑い声も
カメラを取っていることもわかっただろう。
そう思うととても居た堪れない。
精神科から通院していたらしい
それを聞くと親は関与しなかったんだなと思う
相当孤独だったんだなって思う。
かわいそうというより、彼女にも理解者がいなかったんだなって
自殺はだめだよって当たり前の考えで
彼女も死ぬ前は生きたいと願ったのに
私はもう生きる理由は失ってしまっている。
息を吸って履いて
同じルーティンのなかすごして
おわり。
何年続けばおわるかなって。
衝動で終わってもそれでもいい
そんな投げやりな夜もある。
あの子と私、入れ替わってあげれたら
よかったのにな。
やりたいこといっぱいできただろうに。
ないものねだりになってしまうけど
私は彼女の気持ちは少なからず閉鎖病棟に入った事で
理解した。辛かったんだなと。
ゆっくり眠ってください。
わたしが幻聴をきいても貴方の声をきいても
怖がりはするけど飛び降りは選べない。
でもあなたの眠りを冒涜した人々は
きっとなにもないように過ごしているだろうけど
私は覚えているし報いを受ければいいのにと思う。
というくらいお話でした。