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旧東海道を歩いてみた。(11日目その1:(22)藤枝宿~(21)岡部宿、宇津ノ谷峠へ)

前回の旅から2週間後、再び旅に出た旅人Aことみっちぇる。この判断は好手か悪手か…

勢いそのままに旅に出ることを決行したようなものだ。足は大丈夫か!?

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今回も新幹線に乗る。
前回と同じ時刻の新幹線。新大阪始発。行ってきます!

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前回と席の位置が違う。そして案の定誰もいない。

と、思ったら、数分後女性が乗ってきた。良かった!先に撮っておいて。しかし、あれから静岡駅に着くまで、ほとんど人は乗ってこなかった。のぞみだと混んでるのになぁ。それとも、この情勢だから空いてる?

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気合のレッドブル。翼を授けてもらう。

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◆8:14 静岡駅に到着
この写真に写っている在来線は、なんと甲府行きだという。びっくりした。甲府まで行けるのかーーー!! もし甲府に行きたくなったら、静岡経由というルートもあるのか、と勉強になった。あとで地図も見ておこう。

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◆8:40 藤枝駅着
いいお天気。二週間ぶりの藤枝駅なので、懐かしいという感じはしない。ただいま!

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静岡はサッカー王国。藤枝ももちろん。地面のパネルが主張している。そして、背景のカラーは「藤」の色。凝ってるなぁ。

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スタート地点まで歩く途中の商店街には、藤をモチーフにしたものが飾られていた。電飾も藤っぽい。(前回のゴールから駅までの道のりにもあったんだけど、必死で歩いていたので撮影できなかった)

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マンホールは、「わがまち藤枝」と。藤と富士山の、「ふじふじ」コンビ。デザインした人、ナイス!

(22)藤枝宿エリア

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◆8:53 青木交差点スタート
さて、前回のゴール地点に到着。ここからスタートだ。すでにY字路があり、どちらに行っていいか軽く迷い、早速間違えた。地図を読むのが苦手という意識はないけど、なぜかY字路になるといつも軽く混乱する

前回は、藤枝宿エリアまでは来ていたものの、最寄りの関係で本陣まではたどり着けていなかったので、いきなり本陣に向かうことになる。

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橋にも藤が。藤のアピールがすごい。藤枝の地名の由来にもなっているんだとか。それにしても、藤枝という名前はとても綺麗で素敵だなぁ。

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本陣を目指していたら、インパクトのある本陣が。いやいやいや、八百屋さんじゃないですよ。しかし創業昭和九年って…すごいよ、これはぜひ開店しているところを見てみたかった。

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藤枝宿の地図がでてきたけど、本陣はまだまだらしい。かつての様子も分かる絵図がついていてありがたい。しかし、ほとんどの宿場と同じく、もう昔の面影はないんだなぁ。

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とても広々とした橋を渡る。ええ、この橋は大丈夫ですよ。さすがに大丈夫。こんな道幅で、こんな歩道と車道が分離されていて怖いと言うわけがありません、さすがに。

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ちょっとかつての宿場町の面影を感じられる気がしてきた。かつてはこのあたりが、藤枝宿のメインストリートだったようだ。

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◆9:12 問屋場跡
パーキングに表示されている「問屋場跡」。斬新だ。初めて見るぞ、こういう表示の仕方。

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◆9:13 藤枝宿下本陣跡
そして、本陣跡はこちら…と、地面に埋まっていた。うっかり見過ごすところだった。今はもう駐車場になってしまっている。

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そんなこんなで、無事に藤枝宿に到着という風に思っているが、このあたりから少し雰囲気が、東海道っぽさを少し感じるようになってきた。

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「徳川家康ゆかりの町」とな。
どうやら、かつて家康に仕えた小川さんという武士の末裔の方が、今も眼科を開いているようだ。なんだか気になる…なんだか気になる…。視力や眼病はなさそうだけど、ちょっと健康診断的な意味で診ていただけませんかねぇ(願望)

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駅前は藤をモチーフにしていたのに、今度はサッカーボール! 藤枝はなかなか面白いことをやっているなぁ、と楽しかった。

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そして気になった「サッカー最中」。サッカー最中ってなんやねん! というツッコミを入れる。これは関西人じゃなくても、きっとツッコめる初級レベル。

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◆9:43 水守中央公園
この付近で少しルートが分からなくなったが、グーグルマップ先生に頼ると、この公園を突っ切るよう指示があった。確かに松の木が並んでいる。そう、愛知県以降は松の木が東海道の目印になっていた。私は意を決して、この公園を突っ切ることに。公園で遊んでいる親子連れもいる中、なんだか自分が異色の存在に思えていたが、気にしちゃいけないよ。

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なお、先ほどの公園の入口はこんな感じ。
ね? 迷っちゃうでしょ? (同情を求めるまなざし)

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◆9:50 鬼島の立場
後ろの白い建物、屋根がオシャレな形で気になるところだけど、この手前が鬼島の立場。(表記は「建場」になっているけど、同じ意味)この梯子のようなものは、そういえば桑名宿でも見かけたなぁ。本当はこんな感じよりも、もっと大きかったんだろうな。

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文字がすりきれて読めない!
が、なんだか弥次喜多のお話しみたい。東海道中膝栗毛ですな。江戸っ子のチャキチャキっとした感じ、私は好き。

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葉梨川という名前が素敵だな、と思っていたら、小さい春を見つけた。

東海道を歩いていると、こういった季節の変わり目やちょっとしたものにふと目が行き、そして和む。幸せの感度が高まっていると思う。

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◆9:57 鬼島一里塚跡
こ、これは手書きの一里塚だ! いつも思うけど、民家の前にこういうのが建っていて、それを許容してくださる住人の方には本当に感謝だ。

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国道1号線に戻ってきた。あと197キロ(目安)。どんどん江戸に近づいてる!! そしてどんどん藤枝市街から離れていくにつれ、今日も峠越えがあることを思い出して、身が引き締まる思いがした。

(22)藤枝宿から(21)岡部宿まで

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◆10:04 従是西田中領の碑
「ここから西、田中領」とのこと。田中さん家? ってわけじゃありません。なんていう小学生並みのしょうもないことも思い浮かぶ。西から東へ向かっているので、今まで歩いてきたところが「田中領」ということになる。

なお、家康は鯛の天ぷらを食べて亡くなったという言い伝えがあるが、その鯛の天ぷらを食べたのがこの田中城だったというから、なんだか不謹慎ながらクスッと笑ってしまった。

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これは江戸方から京方に向かう人が見る景色になるが、さきほどの「田中領」の碑があるのは、三つ道路があるうち、右から2つ目のところだ。うっかり大通りを歩いてしまいがちだが、東海道はこの細い道。(結局合流するんだけど、一応東海道を歩くなら…)

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そして京方から江戸方に向かう場合はこういった景色。横断歩道を下りてY字路を左手に。大通りには向かわない。大きな松の木が見えているので、まず間違えない。

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◆10:07 従是西田中領の碑
「ここから東は岩村領横内」
とのこと。ああ、岩村藩と田中藩は隣同士ということね。

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かつ丼が目立っているけど、写したかったのは、道路標識に「東京」が現れたこと! あと199キロとのこと。1号線ベースでも、そうでないものでも、どうやら200キロきったらしい!

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このあたりは間の宿があったのかな? 案内板がある。

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◆10:14 岩村藩横内陣屋入口
「陣屋入口」とあるけど、民家の前にナチュラルに建ってあるので驚く。ふむ、まあ、なんとなく目をつむって想像することにしよう。

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◆10:15 西村小路代官屋敷
代官屋敷まであったらしい。やっぱり間の宿かな?

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◆10:18 従是西岩村領の碑
そして「これより西、岩村領」の碑が。ということで、岩村領をあっという間に出てしまったわけだけど、岐阜方面に居城があったということなので、実は南北(南西?)に長い領地だったのかもしれない。

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◆10:19 岡部宿エリアに入る
そうこうしているうちに、ついに岡部宿エリアに入った。岡部宿に入ってから、急に車道の道幅が広くなった気がする。

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「岡部宿の松並木」に気を良くしていたけど、岡部宿はここからまだまだ先、ということをのちに思い知ることになる。

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すごく高くまで伸びた松。画角に入りきらないよ!
この日、ものすごくいいお天気だったので、松の緑と空の青が本当に綺麗だった。すがすがしい空気でとても気持ちいい。

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本日のゴール地点は静岡市内なので、あと15キロ(目安)とのこと。ただ、今日も峠があるのでペースダウンを予想しながら進んでいく。

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ちょっとずつ、宿場町っぽい雰囲気が出てきた。それにしても、こんなに観光地っぽい宿場町はめったにない。関宿や間の宿有松あたりが、すごく昔の名残を残していたけど、観光地っぽい雰囲気ではこちらも負けていない。

このあたりから、徐々に緩やかな上り坂がやってきた。

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◆10:29 五智如来公園 
冠木門が見えたが、「五智如来公園」になっていた。奥に五智如来がいらっしゃるということで、せっかくなので拝みにいく。

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手を合わせて、道中の安全を感謝し、無事にゴールできることをお願いした。

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五智如来さまは、左から阿弥陀如来、釈迦如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来…あれ、お釈迦様がセンターではなかったのか!

しかし、このあたりが岡部宿の本陣かというと、そうではない。もっともっと山の方にある。もう少し歩くことになりそうだ。少し疲れてきた。

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車が多く走るところから脇に入り、東海道はこのような住宅街を抜けていく。先ほどまで、幅の広い車道があり、観光地化されているような雰囲気のところを歩いていたので、急に旧街道っぽくなった。

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聖徳太子像が安置されているということで気になったが、峠越えをさっさと済ませたかったので、断念する。

このあたりはもう上り坂がはっきりしていて、山に近づいているのを感じる。

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家の軒先に、このようなサッカーボールを模したてまりが飾られているところが何軒かあった。和洋折衷! サッカー王国静岡は健在だ。

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そして、手毬工房まで。

どうやらこの岡部宿、あのゴン中山こと中山雅史選手のご実家があるらしく、それでこんな風にサッカーの手毬が軒先に飾られているのかもしれない。すごいなぁ、英雄だなぁ!

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◆10:44 小野小町の姿見の橋
どんなのだろう、と思ったら予想よりはるかに小さな橋だった。橋というか、道の一部、用水路の上に橋をかけたような感じだ。

伝説の域であるとはいえ、小野小町もこのあたりを旅していたのかもしれないと思うと、感慨深い。それにしても、私はこの水面を見ても「老いの身を嘆き悲しみ」はしなかった。嘆き悲しむほど美しくなかったという説が濃厚ですね、はい。若い頃美人だった人は、老いが怖いことでしょう。

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もはや字が読みづらいが、岡部宿到着。あの松並木からかなり歩いた。それも上り坂。ああ、やれやれだ。

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岡部宿公園に着いた。近くには駐車場があり、親子連れも多く見かけた。山間なのに、人の行き来がとても盛んであるようだ。

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◆10:49 岡部宿本陣跡
無事本陣に着いた! しかし長かった…! エリアに入ってからかなり歩いたぞ。本陣の門(おそらく復元だと思うが)があまりにも立派なので、ここまで歩いてきた甲斐があったなぁ、と感激した。

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日本遺産に認定! って、藤枝市と静岡市が同時受賞ですか、おめでとうございます!

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岡部宿の中に少しだけ入ってみた。中は広く開放感がある。もはや本陣跡も看板しか残っていないところも多いし、それがもう当たり前なんだけど、やはり観光地化されているなぁという印象だった。

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時間も時間なので、「おでん」にそそられる。しかし私の今日の目標は、鞠子宿にある、丁子屋の「自然薯のとろろ汁」なのだ。残念だが、ここはスルーすることにした。

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◆10:52 大旅籠柏屋 
当時もこんな旅籠だったのかな。すごく泊まってみたいなぁ。ひなまつり展が開かれているので、今は旅籠としての用途ではなさそうだ。

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さて、これから宇津ノ谷峠に向かっていく。まずは岡部橋を渡る。そして、写真奥にかすかに見えている山の方向に宇津ノ谷峠はある。

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橋を見ると、広重の絵が。昔はやっぱりちょっと物寂しい雰囲気だなぁ。車が通るようになって、人の行き来も増えたけど…。

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◆10:58 桝形跡
さりげなく枡形跡が。そして影がひょっこりはん風に写っている。

(21)岡部宿から(20)鞠子宿へ

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宇津ノ谷峠に向かって、どんどん歩いて行く。急な山道はここまでほとんどなかったけど、緩く長く登っているので、じわじわと足にダメージが来ているなと感じる。なにせ前回から2週間しか空いていないので、足にダメージもきやすい。

山にどんどん近づいているので、峠が近いなぁと思っていた。

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宇津ノ谷峠の看板が! ここから先はガイドブックがなくても、この看板に沿っていけばしばらくは大丈夫。

(その2へ続く)

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