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旧東海道を歩いてみた。(10日目その2:(25)日坂宿~(22)藤枝宿の手前まで)

日坂宿の山を終え、一仕事を終えた気分になっていた…が、ここで東海道の道が分からなくなってしまった。

本日2回目のタイムロス。山を下りてきたわけじゃなく、標高はきっとまだ高いまま。方向感覚では、どちらに行っても島田方面には行けそうだけど、旧街道を歩いているので金谷宿に向かわなければならない。

またもグーグルマップ先生の示す「東海道」を必死で探す。…と、ご近所の方がご親切にも教えてくださって、無事に東海道に戻って来れた。本当にありがとうございました! あやうく遭難するところでした(大袈裟)。

そして、気を取り直して、教えてくださった道を歩いていくと…

(25)日坂宿から(24)金谷宿へ

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◆8:22 菊川坂上り口
また坂かよーーーー!
昨晩、地図を読み込んで予習したはずだけど、完全に坂をナメていた。こんなキツいの!?

完全に一仕事を終えた気分になっていた私は、この坂を見てクラクラした。時間はまだ朝8時30分にもなっていない。一日の前半戦でこんなにキツい思いをするとは…!!

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さっきよりもこの菊川坂のほうがキツいなと思ったのは、この石畳だった。綺麗に水平になっているのではない。ボコボコしているのだ。つまり、歩きながら足ツボマッサージを受けているような感覚だ。いつもなら全く刺激されない、土踏まずのところがずっと刺激されていて、「のののののののーーーーー!」という感じだ。(分かりにくいですかね/笑)

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間の宿があったんだって?
うん、必要だよ絶対。休憩スポット、絶対必要!

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ねえ、見てくださいよ。この絶望的な石畳。ボコボコしてるんですぜ。油断したら、足ひっかけて転んでしまうパターンですぜ。

ここを歩くとき、皆さん、くれぐれも風雨の強い日は歩くのを見合わせてください。本当にここはツルッと滑ってしまったら危険です。山の中なので、なおさら。(近隣に民家はありますが…)

※この坂の難易度は、箱根峠を凌駕します。箱根より登りの時間は短いですが…

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右半分がアスファルト。ここが天国に見えたので、一瞬ではあるがアスファルト部分を歩いた。ほんの数十メートルの天国。

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◆8:35 諏訪原城跡
魔の石畳ゾーンを抜けると、諏訪原城跡という看板が見えたので行ってみた。ほんの少し東海道から外れるだけだった。観光バスや車でも来れるよう整備されていたので、歴史ファンは結構訪れているのかもしれない。

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諏訪原城跡の近くにはカフェがいくつかあった。こんな素敵な古民家風カフェもあって…私はこういうカフェ、好みだ。

モーニングやってないかなぁと思ったけど、当然やっていない。そりゃあ、山の上だもんねぇ。

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あっ…また「旧東海道石畳」って書いてある…。

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◆8:39 旧東海道金谷坂石畳下り口
数分、ここを下りるかどうするか考える。
右手のアスファルトの道を下りて行っても金谷宿には着くんじゃないかという気がしたけど、「いやいや、旧街道行かなきゃ意味ないでしょ」という心の声がしたので、渋々石畳を下りて行った。

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小さなお堂があったので、お地蔵様に手を合わせる。「ありがとう」の木の板が見えたので、「こちらこそ、ありがとうございます」と手を合わせた。

実はこのあたりで、もう石畳の終わりが見えていたからだ。

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金谷坂の石畳は、菊川坂よりも短くて助かった…。
この看板を見てギョッとしたのが、「箱根峠」にも石畳があるということ。まじかーーーーーーー!!!やめてくれーーーーーー!!!

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◆8:48 石畳茶屋
あと数メートルで
石畳も終わりというところにお茶屋さんがあった。どうやら開店準備中なのか、中に人の姿が見えた。

もう、すみません、私はあと数メートルさえも惜しいくらい、早く石畳から抜けたかった。

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下りきったーーーーー!!ひゃっほぅぅぅぅぅ!!!
本日二度目の解放感だった。空が青いよ! 生きててよかった!この看板を見て、「江戸方の方、この石畳は大変よっ」と思いながら、写真をにやにやしながら撮った。

…さらなる地獄が待っているとも知らずに。

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さて、ここでも軽く迷ったんだけど、京方からの人はこの看板の左方向に向かいます。(金谷駅に向かう)

今回、迷ってばっかりです。全く野生の勘が働かない。

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◆8:54 金谷駅近く
電車が見えたのでなぜか撮影してしまった、というもの。金谷駅が見えてきて、もうのぼりはないだろうと、妙な安心感が。

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◆8:55 金谷一里塚跡
金谷一里塚に着いた!ということで、金谷宿エリアです。
このときの私は、「もうあんな辛い目には遭わないでしょ」という安堵感でいっぱいになっていた。

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この道まっすぐが金谷駅だけど、江戸方からの方は、左折して石畳に向かっていく。石畳に向かう前に、軽く上り坂がある。京方からは下っていく。

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案内絵図を見たら、なんとも平和な道に見えるけど、ちっとも平和じゃない。結構アップダウンがあったんだ、ここに来るまでに。(金谷宿の中は平和ですよ)

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平和な街並みに安堵しまくる私。まだここから少しずつ下っていくけど、人のいる気配を感じられるって、なんてありがたいことなんだろう。

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◆9:00 脇本陣跡
日本の家屋は木造なので、火事にとにかく弱い。やはりここも大火で焼失してしまったらしい。ただ、なんとなく、規模は大きかったんだろうなとは感じる。

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◆9:01 柏屋本陣跡
本陣到着!なんと金谷宿は本陣跡がまだまだあるんだけど…、ここはベンチもあるので、休憩もできるナイススポットだった。

金谷宿は看板が多く、その宿場町の歴史がよくわかる。

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佐塚屋本陣、山田屋本陣跡
一番本陣、二番本陣、三番本陣跡と格式が分かりやすい。ただ、全て大火で焼失してしまったというのが残念だ。

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清水川の起点だとのこと。ちょうど二股に川が分かれているぞ、珍しいところに来たな、と写真撮影。

迫りくる地獄、本日三回目…

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橋から撮影。欄干のところ、うまく作られてますなぁ。川渡しの絵だ。富士山、そして川を人に担がれて渡っていくと。

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川を渡る前には、宿場も整備されていたらしい。このあたりも、昔はそうだったんだろう。

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◆9:17 川渡し前の公園
大井川を渡ろうという手前には公園があった。
この時点では、昨日の天竜川のような感覚でいたので、ちょっと怖いけど大丈夫大丈夫、と思っていた。ただ、かなり疲れている。峠と石畳で、HPはかなり消耗している。

(24)金谷宿から(23)島田宿へ

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ぬわーーーー!!!

この橋を渡るのか。渡るのか。渡るのか。
天竜川より、長いんじゃないの?? 川はもうほとんど干上がっている?のか、大したことはないんだけど、この橋の長さにビビる。橋というか、やはり高所恐怖症らしい私は。

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カメラの画角に入りきらない長さだ。

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◆9:22 大井川を渡り始める
意を決して渡ることにする。橋自体は頑丈なようなんだけど、もう体力の低下で参っていた。

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◆9:34 大井川ゴール
10分あまり。なんと1キロ以上もあるらしい、この橋。
何がオソロシイって、この橋の左右をご覧ください。下、隙間があるのですよ。ここで突風が吹いたら、足を滑らせてチョローンと落ちてしまいそう、と想像して、心底ビビりながら歩いていた。

私を追い抜く人はいなかったけど、向かってくる自転車がいくつもあり、すれ違うたびにビビりまくる。ここでちょっと擦りでもしたら、コケてしまい、ただでさえフラついているのに、そのまま橋の下に落下…とか。

橋恐怖症の方、高所恐怖症の方、この橋も危険です。特に京方からくる方は、峠越えと石畳で足にダメージがきている、体力も削られているので、結構神経使うと思うので、ご注意を。

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◆9:41 島田宿の入口あたり
もうこの先は、ほぼ平坦な道なのでホッとしている。地獄はない。あとは、新幹線の時間との勝負だけになってきた。というか、今日は何かと戦っている気がする、常に。

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「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」
うまい歌だと思います。こちらも先ほどの金谷側の渡しと同様、宿場がいくつもあった様子。

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川越遺跡とな? 遺跡と聞いて、平城宮席やら難波宮跡などの古い時代を連想してしまったのは、関西の人間ならではかもしれないが、こちらは江戸時代の遺跡の様子。

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◆9:43 朝顔の松公園
朝顔という女性が、ここで目が見えるようになったという言い伝えのある公園。川が近く、のどかな良い公園だ。

近隣の親子連れの姿も見られた。静かでいいなぁ。

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島田大堤。昔から治水工事の成功が、石高に影響するのでとても重要だった、というのはよく聞く。治水の上手な殿様は後世まで伝えられているくらいだ。

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おや、川越茶屋があるぞ。「江戸珈琲」が気になるんだけど、なんとなく時間が気になるので、休憩は藤枝の近くまで進んでからにしようと決める。ここで腰を落ち着けてしまったら、ダラダラ長居してしまいそうだ。

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江戸時代にタイムスリップしたかのような街並み、そして中も覗けるので、少しお邪魔してみた。

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おや、タバコを吸っている人がいるぞ??こんな感じで生活をしていたんだろうか。

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撮影も十分にできそう。周りに今風の建物も見当たらない。こんなスポットはなかなかない。

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おおぅ、大井川の渡しの人かな? 屈強な体つきだ。
あの大井川の橋を渡るより、籠に乗せてほしかったよ…本当に。

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いかん。ごろん、と横になりたい誘惑が…!

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9:48 塚本家
ん? 看板によると、この上段の間があるということは、本陣には供えられていた…ということは、つまり、本陣格だったということだろうか?

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◆10:09 島田駅付近
川越遺跡の宿場町跡を過ぎ、てくてくと歩いていく。島田市街が見えてくると、朝早くは長いこと山の中にいたので、もうここがゴールでいいんじゃないか、という誘惑も芽生えてきた。うん、次回は島田宿スタートでもいいんじゃない?

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大通り。すっかり町に来た!なんて安心できるんだ!

3つもの地獄を味わった後だからこそ、一層その感動も割り増しだ。

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◆10:10 島田宿本陣跡
今はホテル三布袋さんになっている。え、ここに泊まったら本陣跡に泊まったということになるの? もう、ここに泊まって帰ろうかなぁ…と、この日はやたらと誘惑の声が聞こえてくる。

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この通りは何かあるのかな? いろんな人が通っていった。

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島田宿の案内図。この通りはおそらく真ん中の太いところで、脇にも通りがあり、そちらにも宿場があったようだ。

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私は全く刀剣のことは分からないけど、刀好きの方は喜ぶような碑ああったので、撮ってみた。

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島田宿はやたらと大井川の渡しを推す。橋を渡りたくなかった私としては、複雑な気分だ。

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にぎやかなところを過ぎると、レトロな雰囲気の漂う商店街が続く。「テーラー」と名のつく服の仕立て屋さんは、なんだか懐かしい感じだ。

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なんだ? 石川五右衛門?? と思ったけど、違う…よね? 日本左衛門かな? 誰でしょう?

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井戸水があるということで撮ってみたけど、今も使えるんだろうか?

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◆10:17 島田宿一里塚
ようやくここまで来た。ということは、藤枝の駅まであとひと踏ん張りだ。そろそろ喫茶店でも見つけて、休憩したいなぁ。

ところが、実はあの川越茶屋以降、東海道沿いには喫茶店らしきものを見つけられず…。脇に逸れたりしたらあったのかもしれないけど、困り果てていた。これは藤枝まで何もナシかなぁ…と思っていたそのとき…!

(23)島田宿から(22)藤枝宿へ

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素敵なお茶屋さんを見つけて、入店。ソフトクリームが目に入った。中に入ると、すぐに島田茶を出してくださった。さすが静岡、お茶王国!そして、島田茶おいしぃぃぃぃぃ!!ソフトクリームをいただきながら、なんとも心と体に優しく染みるお茶で、瀕死の状態だったHPはかなり回復した。

店員さんもとてもフレンドリー。よく東海道ウォーカーも立ち寄っているらしい。どうぞ、皆さまこちらのお店にぜひお立ち寄りください。私はさらにお土産にお茶などを買ってしまった。あまりにも優しさが嬉しかったのと、お茶が美味しかったので。

掛川から来たと言ったら、大層驚かれてしまった。女性の足であの石畳を越えたのか、とか、何時に出たのか、等。はい、もう私、新幹線のために陽が昇る前に出発しましたよー!

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◆11:06 六合駅付近
すっかりお茶屋さんで長居してしまった。時間は大丈夫、ここまでくれば問題ないでしょう。

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◆11:13 東京まで国道1号線で206キロ
200キロを切るのもあと少しだ! すごく遠くまで来たものだ。

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◆11:17 藤枝市入り
よし、あとひと踏ん張り! ここにきてペースアップ。

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松並木も応援してくれている気がする。ハイペースでずんずん進む。

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◆11:24 上青山一里塚跡
本日のゴールは藤枝宿の手前までだ。この一里塚はゴールに近づいているサインだ。

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映える松並木。スラッとしていて、まるで上から応援してくれているようだ。あと少し!

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染飯茶屋跡とのこと、お茶屋がここにあったら、もう誘惑に負けている。

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東海道跡の碑が出てきた。

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◆11:54 田中藩領誇示蹟
どうやらこのあたりは、「田中藩」というところだったらしい。田中という苗字の発祥地…なわけはないか。それにしても、なんと親しみやすい名前の藩なんだ。

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◆12:04 青木交差点前
ゴール! 本日のゴールはここ、青木交差点前。
藤枝宿はここからもっと先にあるが、藤枝駅の最寄りの交差点をゴールとした。次回は、ここがスタート地点となる。

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◆12:14 藤枝駅
青木交差点を過ぎたあたりから、急に足が痛くなってきた。ずっとアドレナリンが出ていたのだろうか、多少の疲労は感じながらも、足のダメージは感じていなかったのに、確実に新幹線の時間に間に合うからか、ゴール後すぐに足が痛くなった。人間って不思議。

足を引きずるように歩きながらも、駅に着いた。

ここから、在来線で掛川駅に戻る。途中、金谷駅にも停まったが、ああ、このあたりさっき歩いていたなぁ…と振り返り、山を見て、「よくこの山越えたなぁ」と自分に驚いた。

掛川駅に着いてからは、少し喫茶店でコーヒーを飲み、休憩。キヨスクで駅弁を買って新幹線に乗り込んだ。

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新幹線の掛川駅。前日は浜松にいたなんて、ちょっと信じられない。静岡駅が表示されているが、これは次回の旅までお預けだ。

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掛川城が遠くに見えている。
東海道を旅していると、一日が濃厚なので、あの掛川城に行ったことすらも、もう遠い思い出のような感覚になっていた。

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さて、帰りの新幹線。
大えび天むすと、有機農法のビール。富士ビールだって! この絵柄に惹かれて買ってしまった。まろやかで飲みやすかった。

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ブレてるー(笑)
ご褒美だよっ! すごくおいしかったです。

すごくすごく辛い一日だったけど、なんだかんだと言って楽しかった。次回の旅、早く行きたくなっていた。

10日目を終えて

今回は、東海道五十三次の中でも、難所が連続で続く区間だった。ということもあって、個人的最大難所という感想。ほかの方たちはどうだろうか。

また、日坂宿から金谷宿は山の中ということもあり、精神的な不安感もあって、一層体力の消耗も激しかったように思う。なので、島田宿以降は安心感がものすごかった。東海道を歩く前は、愛知県内(藤川宿から白須賀宿まで)が、地図上ではこれといったものがないだけに、大丈夫か?と不安になっていた区間だったけど、いやいやいやいや、日坂宿から金谷宿は、ガッツリ山の中です。

とはいえ、道中の方々が温かく迷ったときは教えてくださってので、助かりました。ありがとうございました。

体力に自信がない人は、この区間は分割してもいいように思った。

本日のまとめ

歩いたところ:(26)掛川宿~(25)日坂宿~(24)金谷宿~(23)島田宿~(22)藤枝宿の手前まで
歩いた距離:28.2キロ(寄り道含む)
歩いた時間: 5:10~12:04 約7時間(休憩含む)
宿泊ホテル:なし(帰宅)
費用:
 ・交通費:9,030円(EXこだまグリーン早得 掛川~新大阪) 
 ・飲食代:2,877円
 ・みやげ代:1,654円(島田市のお茶屋さん:ひとことさんにて)
 ・宿泊代:なし

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