世界遺産・高野山を登ってきた。~町石道ハイク【前編】(上級者向け)
いつのまにか季節が進み、例の感染症も穏やかになった2021年10月末、少しずつ当時に近づいていることを実感しつつ、まだ薄暗い中、自宅を出発。久しぶりに早朝の電車に乗り込んだ。
やがて大阪メトロに乗ってみると、なんとまあこんな時間なのに人がかなり乗っている。座れたけど、座席を探してしまったほどだ。
天下茶屋駅で南海電車に乗り換え。自分と同じようにハイキングような格好をしている人もいれば、明らかに高野山に観光で行こうとする人たちもいた。また、学生も多く乗ってきたが、その多くは途中の橋本駅(和歌山県橋本市)までに降りていき、それ以降はガラガラになった。イエーイ、のんびりだぜー!
と思ったら、目的地に着いてしまった。九度山駅で下車。
撮り鉄ではありません。でも、撮ってしまう。これは東海道の旅のときから相変わらず。
さりげなく、向こうのホームに真田の六文銭が見えている。
この看板、おもしろいでしょう? 橋本駅以降は各駅の看板に標高が書かれてあり、高野山までの傾斜が描かれている。極楽橋から高野山までの急な傾斜はどうするのかというと、南海電車は極楽橋で終わり、以降はケーブルに乗り換えとなる。
九度山といえば真田昌幸・幸村親子の隠棲の地であまりに有名だが、昔大河ドラマ「真田丸」の当時はものすごく賑わったようだ。というわけで、九度山は真田の赤揃えと六文銭がガンガンにアピールされている。歴史ファンは大喜び!
九度山駅から真田庵へ
このレトロな駅舎の雰囲気はとても素敵だ。そして、真田アピールは、なんと自動販売機にまで及んでいる。
さて、ここで一度お手洗い休憩をした後に出発となる。ここからしばらく、お手洗いにはなかなか行けそうもない。
かっこいいのぼりだなあ。
赤地っていうのが、もう勇ましくてかっこいいです。
案内板があった。
これから、世界遺産・高野山町石道を通って高野山に向かう。その距離は、高野山・大門までで約21km。東海道の旅で鍛えられた足腰といえど、今回は登山であるため、苦戦必至の旅になることは覚悟のうえだ。
無限の彼方へ、さあ、行くぞー!
九度山駅からやや急な坂を下りると、(天敵の)歩道橋があったが、ここは渡らずに済んでホッ。看板がたくさん出ているが、「真田のみち」を通り、「世界遺産・慈尊院」に向かう。
「真田のみち」のアーケードをくぐり、進んでいく。雰囲気のいい通り。柿のレリーフがあり、さりげなく特産品アピールもGOOD!
観光地あるあるだなーと思ったのが、電柱の歴史人物イラスト。なんだかかわいい。幸村と真田十勇士らしい。一瞬、忍たま乱太郎を思い出した私は、世代がバレる(笑)
「真田古墳」というワードにビクッとなる。古墳、だと? 奈良にある巨大な前方後円墳のようなものではないだろうが、どんなのだろう。ワクワクする。穴と書いてあるから、三光神社(大阪市)の真田の抜け穴のようなものを想像しながら歩く。
遠くに山が見えている。和歌山は海もあるが、山もあり、九度山は高野山の麓の町である。東海道とはやっぱり雰囲気が違う。
写真右奥のフェンスが見えているが、この坂を下ったところで、このような祠が並んでいた。説明書きがなかったので分からないが、大きな碑が二つ並んであるあたり、何か意味深なんだけど…分からない。
そして、先ほどの二つの祠(真幸地主大明神・白龍大神)のすぐ近くに真田古墳が。立入禁止になっている。
真田古墳という名前だけど、元々は6世紀の古墳ではあるが、真田親子が蟄居してからは抜け穴として使った…という伝承があるものらしい。
上から撮影したものは、こんな感じ。大阪城までの抜け道、なわけない。大阪城、めちゃくちゃ遠いし。三光神社にも、このような穴があった。あちらのほうが地理的にも信ぴょう性は高そうだ。
少し歩くと、このような、いかにも観光名所らしき風景が。だいたい、分かりやすい真田色(赤)ののぼりが立っているんだから、とても助かる。
「幸村庵」なるものがあったので、じーっと見てみたら…
そば処!!!!!
うわー。もったいないことをした。時間さえ合っていればぜひぜひぜひ食べたいところだった。
東海道のときもそうだったけど、歩いていると無性に蕎麦が食べたくなる。うどんじゃなくて、蕎麦なのだ。この気持ち分かる人、いますか?
そして、第一の目的地「真田庵」に到着。なお、さきほどの「幸村庵」のすぐお隣なので、全く迷うことはない。というよりむしろ、セットで行くべきところだと思う。
真田庵から慈尊院へ
まるで、旧家のような親しみやすいお寺だ。元は庵だったからかもしれないが、なんとなく懐かしい雰囲気で入りやすい。
どうやら、この真田庵は和歌山県の指定文化財になっているらしい。
真田昌幸はこの地で生涯を終えたが、若い頃は「表裏比興の者」と呼ばれ、戦国大名らからも謀略家として注視され続けてきた勇猛な武将だったが、関ケ原の戦いで敗戦後、この九度山で蟄居してからは、うつ状態になってしまったらしく、そのまま亡くなってしまったとのこと。意気消沈してしまい、そのまま衰弱した、と伝わる。(このあたりのエピソードは大河ドラマ「真田丸」でも、しっかり描かれていた)
息子の幸村はその後大坂に戻り、豊臣秀頼に味方して…というのはご存知のとおり。
どうでもいい情報だが、私は幸村の兄の信之がなんとな~く好きです。性格的に、ちょっとだけ私に似てるかもしれない…。
さて、どうやらこの真田庵では真田父子の法要も営んでいたらしく、幸村と大助父子の四百回忌の碑があった。
日本っていい国だなあ、と思うのは、このように何百年経っても、その土地ゆかりのある人物の供養を続けていることだ。もちろん、私も手を合わせた。
真田昌幸の墓地ということで、またも手を合わせた。
日本の面白いところは、寺の中に鳥居(つまり神社)があることだ。神仏習合、良いものは取り入れて上手くやっていく、というところ。そして鳥居に真田の六文銭がある。昌幸の墓のところにあったので、おそらく祭神は昌幸なのだろう。
昌幸の墓をアップしてみた。無念だっただろうなあ。
真田地主大権現として祀っているので、おそらくこの九度山の地を守る神として、真田家の人たち(特に昌幸)を祀っているのだろう。
寺、おそらく本堂の正面。なんだか親しみやすい。お寺の多くは、もっと敷居が高く(物理的に)、何段も上がって本堂に入るところだが、元は庵のせいなのか、段差が少ないなあ、と思った。
お、石像だ。右が昌幸、左が幸村かな?
こちらはどうやら「おもかる石」の代わりになっているらしく、持ち上げて予想していた重さと比べ、どう感じるかによって願いが叶う・叶いにくい、を判断するもののようだ。予想より軽ければ、叶いやすい。重ければ、叶いにくい。
そして一筆書けるノートがあった。旅の記念にどうぞ。
真田庵全体はこのような感じ。寺というよりは、住居だなあ。こういう家に住んでいる人、いるでしょう。
さて、そろそろ真田庵を一通り見終えたので、出発。
こちら、「九度山・真田ミュージアム」。最近建てられたような、新しい和風建築だった。元々神社仏閣めぐりが好きだったが、それが東海道を歩いてからは一層建築物にも興味が出てきた。
ほんのり坂道。なあに、これしきの坂道は大したことありませんよ。とニンマリしながら歩いて行く。妙な自信を持ちながら歩く。まあ、ここまでは余裕ですね。
おお、次なる目的地の「慈尊院」が近づいてきた。この慈尊院以降は世界遺産エリアに入る。そう、今回のハイキングは9割が世界遺産という格式高いハイキングなのです(ドヤ顔)
うーん、こののどかな風景が、なんだか東海道を旅していたときの雰囲気を思い出させる。まさに箱根峠を超える直前の、三島宿を出たあたりの風景に似ているなあ。
道の駅があった。ここまで歩いてきて「ナゼここに道の駅?」と思ったが、車で来る場合はちょうどいい地点なのかも。なにせ、ここから高野山に登ることもあるだろう、大阪方面や和歌山方面に向かうこともあるだろうから。
「柿の郷」と書いてある。素朴で優しい感じがする。
道の駅はかなり大きい。だだっぴろい芝生も綺麗に手入れされていた。ここでピクニックってやってもいいんだろうか、なんて考えてしまったけど、どうだろう。青空が広くて、すごく気持ちよさそう。
道の駅を通り、これから山に向かっていくはず…だが、まだまだ登山する雰囲気なんてかけらもない。平地、ド平地だ。
九度山文化スポーツセンターを右手にして、少しわかりにくい道を通る。このあたりで少し道に迷いかけた。
よく見ると、ちゃんと「歴史街道」の標識はあるんだけど、実は背丈がだいぶ低く(多分私の腰よりだいぶ下)、うっかり道を間違えそうになっていた。
スポーツセンターから先は、少しずつ標識が出るようになり、ここからはもう間違えない。でも、この道幅はいかにも生活道という感じで、標識がなかったら、まさかこれが高野山への道とは思わないだろう。
慈尊院橋という、橋というにはあまりにも短い橋が現れた。いかにも寺に続く橋という主張があるので、「よっしゃ、ありがとうございます」と思いながらずんずん進む。
この石垣の上の建物、これが慈尊院。寺門はもう少しだけ先にある。なんとなくいい雰囲気で写真が撮れたなぁ、と自画自賛。
寺に入る前に、柿の無人販売店を見つけた。「たねなし柿」、ものすごーく惹かれる。柿って種が大きいのがもったいないと思う。アボカドもだけど。種なし、いいなあ。
そーっと近づいてみる。
おおおおお! いい色の柿!! 美味しそう!!
ただ、私はこれから高野山に登るのだ。ここから大門までの距離は約18kmもある。登山途中で、リュックの中の柿によって大惨事が起きることは明々白々だ。涙を呑んで、柿に別れを告げる。嗚呼。
さて、その柿の無人販売書のお向かいにあるのが、慈尊院の山門。ね、すごく厳かで素敵でしょう? すでに風情を感じます、ビシビシと。
こちら、女人高野で有名な慈尊院。
元々高野山は女人禁制だったので、女性は高野山の麓であるここまでしか来ることができなかった。
広々、ゆったりとしたお寺。ここが高野山登山のスタート地点となるが、まさにそんな雰囲気をひしひしと感じる。
これは、さざれ石では? 日本の国歌「君が代」の「さざれ石」だ。神社仏閣、時々さざれ石があるけど、なぜだろう、石なのに神秘的なものを感じる。昔の人は現代人よりも遥かに感度が高いだろうから、どう感じていたのか聞いてみたい。
空が澄んでいて、お寺の茶色と木々の緑のコントラストが綺麗だ。
これはお坊さん…
と思ったあなたは、ぜひ覚えてください。ここにいらっしゃるのは、弘法大師(空海)です。高野山に行くと「お大師様」と書いてあるものをやたら見つける。さすが密教の聖地。
私は手を合わせて、「南無大師遍照金剛」を三回唱えた。高野山ハイキングの旅が、無事に終えられますように、と。
丹生官省符神社は慈尊院のすぐお隣にある。この神社こそ、まさにこれから始まる高野山・町石道のゲートウェイとなるところだ。
日本史好きな方なら、この神社の名前でピンときただろうが、後で調べたところ、やはりこの神社の由緒として、「太政官符・民部省符を得て不輸租を認められた荘園を指す」(Wikipedia参照。←下線部をクリックしてください。)らしく、この神社の歴史の深さのほどが知れる。
というより、いきなりこの石段かーーーい!
かなり急な階段だった。なんとか登り切ったが、この手の石段は見た目以上に登りづらい。なぜなら、やはり石段だ。しかも昔の技術なので、綺麗な平ではなく歪んでいるし、微妙に一段ごとの段差が異なる。なので、スタスタ登っているようで、実は足を踏み外さないように慎重に登らなければならない。
逆行になってしまったが、とても美しい朱塗りの鳥居だ。一礼してから神社に入る。
もちろん参拝していく。
私は一応神社仏閣はできるだけお参りをして、あまり自分の願い事はせずに日ごろの感謝を伝えるようにしているが、東海道のときと、今回については、併せて交通安全ならぬ旅の安全を願った。
皇族の方がお見えになっていたようだ。このような奥深いところまでわざわざ足を運んでおられたとは。
彬子さまといえば、学者の方ですね。聡明な方という印象。
さあーーて! 出発!!
どうやら神社内に180町石があったようだが気づけず、そのまま179町石に向かう。
神社本殿からの下り路を下りたところに、179番目の町石があった。さあ、ここからいよいよ高野山・町石道を通って登山です!
<この旅は【前編】【中編】【後編】の三部構成でお送りします>
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