世界遺産・高野山を登ってきた。~町石道ハイク【中編】(上級者向け)
さて、ここからがいよいよ町石道編をお送りします。
もし、ここを読んでいる方で挑戦してみようと思う方は、次の注意事項をよく読んで自己責任で行ってくださいね。
慈尊院から矢立まで
さて、179番目の町石がこちら。ここから高野山に登っていく。
ルート的には最短ルートを通らず、一旦西に大きく迂回して登っていくことになる。おそらくそれは斜面の関係もあるだろうが、安全には変えられない。
先ほどから「世界遺産」の文字があるので、否応なしに脳裏に染み込む。だが、世界遺産になってしまうとむやみに手入れができなくなる…という話も聞いたことがあるので、つまりハイキング道ではあるが危険箇所もあることは想定して進まなければならない。
そう、これから「大門」に向かう。この大門とは、高野山入口にあたるところ。(このページのヘッダーの写真が大門)
ええ、あのフリーランスの女医さんじゃないですよ。間違えてはいけませんぬぬぬ。
改めて出発。ゴールまでぬかりなく。私、失敗しないので。
いきなり、うっそうと草木の生い茂る中を進む。既にいや~な予感が漂う。
様々な登山をされている方でも感じるだろうが、山道ではあるがどことなく神秘的な雰囲気のあるところだ。
写真の中央より左に、町石がひょっこり見えている。こんな風に、少し離れたところに置いてあることもあり、全ての町石をカウントするのは困難。
町石にはこのように、「○○町」と大門までの距離が書かれてある。写真には「百七十三町」と書いてある。たまに石が擦り切れて読めなくなっているところもあった。
東海道のときと同じく、東京までのカウントダウンをしているように、大門までのカウントダウンになっていた。
※参考: 1町=約3000歩相当、100メートル超
田畑、そして奥に運送がメインで使われているであろう道路が見えている。このような山奥にまで交通網が発達している。
開けたところにやってきた、と思ったら柿畑にやってきた。いい柿がたくさんなっている。ジューシーなんだろうなあ!
途中、農家の方がいらして、「おはようございます」と声をかけてくださった。柿泥棒と思われたらどうしよう、とビクっとしてしまったが、カメラを構えていたところだったので、大丈夫、無罪だ!
さて、竹藪に入り込んだ。この景色があまりに幻想的で綺麗だったので、立ち止まって写真を撮っていたら、後ろから来たハイカーの男性に追い抜かれてしまった。ものすごい勢いで歩いて行ったけど、あのペースで頂上まで行くんだろうか、すごいなあ、と感心してしまった。
ちなみに、私は東海道踏破しておきながら、実は筋肉量が女性の平均値よりもやや低いことが後で発覚した。また、体力面でも気管支喘息があることから咳が出ると消耗が激しい。東海道は平地が多かったのでどうにかなったようが、高野山のような長距離登山はかなり不安になってきた。
陽射しが入らないところにいたり、陽射しに当たったりを繰り返す。
高野山の下の方は、比較的傾斜がきついところが何か所かあり、すでに体力をかなり消耗していた。朝食をとっていない人は、このあたりからバテてくるのではないだろうか。
九度山の町が見えている。既にかなり高いところまで来たんだなぁ。まだ序盤だけど。
またも急な坂道だ。箱根峠より格段にキツい。石畳ではないだけマシ、というところだろうか。筋肉量の少ない女性や子供には、かなり厳しい登りだろう。小股でちょこちょこと上がっていく。
うねうねと歩いていくが、時々軽い下りもある。山とはそういうものだ。
あらら、真っ平な綺麗な形の石だ。ここで囲碁将棋などできるのでは、と思ってしまった。
石畳ではないが、石がたくさんある、やや歩きにくい道になってきた。こういうところは捻挫に注意して歩かなければいけない。
山歩きで注意しなければいけないことは、捻挫だ。捻挫してしまったら、誰かに抱えてもらって降りなければいけない。このとき私は一人で歩いていたが、ここで捻挫したらハイカーの誰かに助けを呼ばなければいけないので、迷惑をかけてしまう。慎重に歩いていく。
急な登りになって、息も荒くなってくる。おまけに石だらけの道。捻挫注意。神経を使うところが多すぎる。
やや歩きやすいところになったが、ご覧の通り道幅がとても狭い。一人通るのがやっとだ。
こ、こんなところで接待したのですか(驚) 息が乱れ、脈が速くなっている私は、ここで接待されたら、もう動けないだろうなと思った。
木々の合間から、上手い具合に光が入ってきて、光のカーテンになっている。疲れていても、美しいものはやはり美しく見える。
そして登山おなじみ「木の根っこ道」。根がしっかり張ってあるので、やや歩きにくいが、さっきの石の道ほどではない。平坦なところは、やや飛ばし気味に歩いた。少しでも早く大門に着きたい一心だった。
途中、このように南海線の駅への看板もこのように出ているので、途中リタイアする場合はこの道を進んでリタイアするのも一つの手だ。
息を切らしながら登っていると、休憩スポット発見! よし、少し水分補給だ。あまり長く休憩すると、先へ進む気力が途絶えてしまいそうなので、あくまで水分補給のために腰掛ける程度に留めた。
休憩スポットから見えた景色。遠くに集落が見えている。山脈が連なり、集落以外の人工的な建造物が見当たらない。また、電線の類も見えず、山の奥深くにやってきたことを実感した。
休憩スポットの隣に、このように二つ鳥居が並んだところがあった。なぜ、二つも…? なお、鳥居はあるものの神社や祠らしきものは近くにない。祭祀のためだけのものなんだろうか。
うーん、さっきの二つ鳥居は、丹生都比売神社(前編に登場)の鳥居という解釈でいいんだろうか? 距離的には随分離れているが。
山は古来から信仰の対象になっていることが多い。山そのものが神域だったり、この写真のように山の一部のところが神域になっていたりする。高野山はかなり多いように思う。だからこそ、弘法大師もここに金剛峯寺を開こうと思ったのだろうか。
神田(こうだ)という集落らしい。田んぼが広がっていて、なかなかいい風景だ。先ほどまで、人がおらず熊が出そうなところ(実際熊が出るようなので、熊除けの鈴を用意すれば良かったと後悔していた)を歩いていたので、人里が見えて、ものすごく安堵してしまった。
と思ったら、また山の中に入ったよぅぅぅ(泣)
まだ明るいとはいえ、単独で歩くにはやや怖い。まだトカゲやヘビに遭遇するなら驚く程度で済むが、看板でも「熊に注意」と書いてあるのを見かけたので、若干ビビりながら歩いていた。
矢立から大門まで
矢立というところに着いた。ここが、どうやらほぼ中間地点らしい。(中間地点は、本当はもう少し先)お茶屋さんは空いていなかったが、店の前にあったベンチに腰掛け、水分補給。近くに自販機があったので、水をさらに追加。ここから先は頂上まで何もない(山道オンリー)うえ、どうやらここから先こそ、本当の地獄の始まりのようなので、しっかりめに休憩を摂っていく。
実はもう息も絶え絶えになっていて、真剣にリタイアも考えた。が、ここを登り切ってしまいたい思いのほうが強かった。まだ時間は余裕があるので、つらくなったら休憩を多めに入れて、時間をかけて登り切ればいいという判断だった。
既に不穏な空気の漂う道。一見、整備されているように見えるが、かなり急な登りである。本当に箱根峠がかわいらしく思えるレベルだ。
弘法大師が袈裟をかけたという石。確かに衣服を引っ掛けられそうに見える。
かと思ったら、今度は弘法大師が石を押し上げたという伝説が。まあ、この手の伝承は山あるあるですね。
もはや山しか見えなくなっていた。ところどころ紅葉している(当時10月下旬)。紅葉にはまだ早いと言われていたが、これは頂上では期待できるかも。
もう、この頃にはかなりヘロヘロになってきていて、軽い酸欠状態になっていたらしく、実は記憶がだいぶ飛んでいる。覚えてはいるが、息が整わなくなってきて、深呼吸を何度もしながら進んでいた。
鏡石。もはや、「ちゃんと歩いた証拠写真を撮る」ために撮っているような感覚になっていた。体調は、すこぶる悪い。ペースはとてもゆっくりになり、休憩を頻繁に入れている。もう私を追い抜いていくハイカーはいなかった。
すっかり終盤になった。というのは町石を見れば分かるんだけど、120町石を切ったあたりからが随分長く感じる。
安全なところにやってきたので、ぱしゃり。このような木の橋をいくつか渡る。さやさやと小川が流れていて綺麗なのだが、頭をフラフラさせながら先ほどまでの危険箇所を歩き、肝を冷やしていたため、楽しむ余裕もない。
どうやら、ラストスパートのようだ。写真ではわかりにくいかもしれないが、かなり急…というか、高野山で一番急なところかもしれない。これが、大門の直前でやってくる。
体力的にももうヘロヘロだ。私のHPは黄色くなっている。そんな中、時に両手を使いながら、這い上がるようにして慎重に登った。頭フラフラと言っている場合ではなく、さすがにこのあたりではすっかり醒めて、気合と根性で登り切った。
次回、【後編】は真言宗総本山・高野山の様子をお届けします。(ただし、時間と体力の都合上、金剛峯寺には入っていません)
次回のほうが需要がありそう(笑)
<この旅は【前編】【中編】【後編】の三部構成でお送りします>
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?