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苦悩

「我々の苦悩は、とことんまで経験することによってのみ癒される」。フランスの作家プルーストの言葉である。
 私達は様々な苦悩を体験しながら、子供から大人になり、やがては年老いて死んでいく。苦悩と無縁の人生を送れる人などごくわずかだろうし、いたとしても幸福とも無縁だろう。苦悩を経験しない人間は幸福も経験しない。それが太古から存在する自然の摂理である。
 苦悩と言っても様々な種類のものがある。家族や恋愛に関するものや金銭や仕事に関するもの、別離や病気に関するものや老いや死に関するものなど、人間の数だけ苦悩が存在する。いや、一人の人間が多くの苦悩を経験するとすれば、人間の数の何倍もの苦悩があると言えよう。
 もちろん、苦悩したくてする人間はいない。どんなプレイボーイも恋すれば苦しむし、どんな資産家も死というこの世界との別離は避けられない。私達は、人間である以上思考するし、それは苦しみや悲しみを生み出す井戸のようなものである。私達の心の中には苦悩という名の井戸があり、悲しみが湧き水のように噴き出している。モーツァルトの短調のような疾走する悲しみや苦しみである。
 私達はどうやったら、苦悩から逃れられるのだろう?結論から言えば、その方法は存在しない。苦悩とは世界から与えられた私達の生のあり方であって、世界から授けられたものは私達は拒否することが出来ないのである。
 それでは、どうやったら苦悩を癒やすことが出来るのだろうか?プルーストの言う通り、苦悩をとことん味わい尽くして初めて、そこから脱却出来るのである。失恋の痛みも死別の深い悲しみも全て新しい生を生きるための通過地点なのである。誰も存在しない孤独のうちにあって、自己と向き合うこと。それは苦しくて辛い経験である。他人の助けを借りたくなる。けれども、自分で自己を見つめるしか苦悩を癒やす方法などないのだ。自分で良心に従うしか悲しみを癒やす方法などないのだのだ。私達は苦悩から逃げるのではなく、経験することによって癒やされるのである。
 そして、未来へと一歩ずつ踏み出していく。その道は見慣れたものかもしれないが、新しい世界を創造する視点が備わっていることにいつの間にか気付くのである。
        fin

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