思い出を含めてモノを愛せるようになった
もともとアクセサリーをつけることがそこまで好きではないタイプなのだが、結婚してから指輪をつけるようになって、指輪をつけっぱなしにすることが当然になった。
そうなって初めて、アクセサリーが身体の一部になる感覚の心地よさに気づく。
もうひとつ、自分にとって、毎日ずっとつけていたい何かを手に入れたいと思った。そう思って早数ヶ月。なんとなく、あまり違和感のないピンキーリングにしようと思って、色々探していた。
どこのお店のどんなデザインにしようか。
ネットでも数千円のものから数十万円のものまで、まあ様々見比べていた。
で、気づいた。あ、ピンキーではないな、と。
どうしたって、可愛らしいデザインが多いのだ。まあ、指の中でも一番細い指で小柄な指だから、ゴツいものより華奢なものがサイズ的にも良いんだろう。
あと、ピンキーリングってなんとなく女の子の願掛け的な意味合いというか恋愛成就の願いを含むことが多いからってのもデザインに影響している気がする。どことなく甘いし儚い。ハートモチーフだったり、リボンモチーフだったり、どちらかといえば華奢なイメージ。
まあ、探せばきっと、そうじゃないものも見つかったのかもしれないけど。
そもそも、私が小指にこだわる理由はない。で、考えてみた。結局、ピンキーリングはなんとなく手を出しやすいイメージで、ほしいなって思っていただけということに気づき、他を探すことに。
で、悩みに悩んでというほども悩まずに、これ欲しいというものを見つけてしまった。オンラインショッピングで済ませるのか、手にとってから決めるのか、悩んだ結果、やはり実物をみてから決めることに。なんなら存在はもう10年前から知っていたんだけど、ここ最近改めてSNSで見て、ああ、やっぱり好きだなって思って。
というわけで、行ってきました。
仕事でも普段使う駅だけど、休日に訪れるとまたなんとなく違う気がして。
結局、実物をみて、他のものと比較してみても、心は変わらず、最初から決めていたリングを購入。変わらんな。
届くまで、2ヶ月ほど。早く来てほしいなあ。
大人になったら、数十万ってきっとすぐに無くなる金額で。もう極端な話をすれば、家を買おうと思ったときの初期費用なんて、数万ではやっぱりどうしても済まないから。車だって。
そうだけど、じゃあ自分の金銭感覚がそれに近づいたかどうかは全然別の話で。そう、今でも3万のものでもビビる。すごい考える。いや、何万レベルじゃなくて5千円でも。
これ、買って満足する?後悔する?自分にとっての5千円の価値、これにちゃんとある?って自問自答を繰り返し、YESって答えられるものだけ買ってる。
まあ、このYESも即答も即答、もう秒で回答できちゃうものもあって、結局、自分にとっての価値がどの程度あるか問題ではあるのだが。
で、そんな私が10万近い指輪を購入したわけです。
旅行なら何十万でももう何年も前から払うタイプだが、アクセサリーや洋服には基本的に興味がないので、それこそ5千円で悩む。そんな私が。
なんとなく心の変化があったのは分かる。
恐らく、いや間違いなく、私は”モノ”ではなく”思い出や体験、時間”にお金を費やせるタイプだ。
そんな私がモノにお金を払うのは、きっと、「残るモノ」の存在に魅了されているのも一因だと思う。なんとなく、最近、ブランド物を集める人の価値観が少しだけ理解できるようになった。
それを手に入れるまでには様々な物語があって、価格帯やレア度によってはそれこそ多少の努力があって、そういったもの全てを目にする度に思い出せるモノの存在って、日常の糧になるときがある。
ほら、頑張ろうって思える。
そう毎年のようには自分がいるステップとか自分を取り巻く環境とかが変わらなくなったから、自分で区切りをつけるのも良いんだと思う。
それが分かりやすくできるのがモノを買うっていうこと、だなって。
ある時に友人とお話をしていて、物欲がなくて気づいたら何年も前から同じ服を着ていることに気づくんだよねって。別に節約をしているわけではないし、なんならどっちも外食やお出かけは好きだからご飯や旅行にはお金を使うタイプなのだけど。
でも、それもいいのかもねって。気づいたら、なんでこれって持っているんだろう?って思うものが無い生活になったよね、って。いつ買ったのか、どこで買ったのかは思い出せるものばかりだし、自分で買ったのではなければ貰ったシチュエーションとか、贈った人との関係性や思い出とかも含めて思い出せるモノばかりに囲まれた生活って良いよね、なんか、って。
そうだなって。
エピソードがあると、値段に関わらず、愛着がもてて大事にできる。自分がなんかいいなって思うものだけに囲まれる生活ってやっぱり好きかも。
そういう思考回路は大人になったということとは無関係だと思うけど、新しいものの良さをそう価値として見れなくなっているのは落ち着きつつある証拠なのか。若者とは言えない年齢になってきた自分への肯定なのか。
とある休日に、ランチに何を食べようかと、ふらっと入ったのはうなぎ屋さんでした。
瓶ビールも一緒に。
特別高いものではないけれど、なんだか大人になったかもなって思いました、とさ。