おとなになった気がしていたあのころ
居酒屋のテーブルの飲み放題でわいわい飲むのではなく、カウンターで二人並んで『とりあえず生で』から始まる二人だけの乾杯が好きだった。つまみに好きな焼き鳥を1本ずつ頼んで。
お酒をのめるようになってからずっと、なぜか最初からビールが好きだった。
もともと甘いものが苦手でショートケーキ一切れも食べ切れないくらいの味覚だったので、梅酒やカシオレなど初心者にも飲みやすいお酒に魅力は感じなかった。むしろ甘くて飲みきれず、もっぱら3杯目以降はハイボールやウーロンハイだった。2杯目まではもちろんビール。
瓶ビール一気だとかピッチャーのままだとか、学生らしい飲み方もしたな、と思い出す。決して褒められた飲み方ではないのは、その当時からわかっていた。
だからこそ、しっとりとたった二人でカウンターに向かう飲み方が好きだった。まあ、今でこそ思うけど、”しっとり”とは程遠い喧騒の中だったのだけれども。
野球中継が流れているテレビに、常連さんのカウンター越しでのキッチンの店主との会話、そんなものがごちゃごちゃと混じり合った環境で、まだ20代がスタートしたばかりの私たちは少し浮いていたのだろうか。
いや、きっと学生街でもあった駅近な居酒屋なのでそんな子も受け入れてくれる優しさはあったはず。
それから5年ほど経って、一度その居酒屋に行ったことがある。当然だけど、私はもう卒業してしまっていて、その街からは引っ越していた。卒業生として母校に立ち寄る用事があった帰り道、ふと立ち寄ってみた。同期からの二次会の誘いを断ってまで。
あの頃からその日までの間に私は一人呑みを覚えていた、から。
なんとなく思ったのだ。あの日、少し大人になった気がしていた感覚を楽しみたい、と。
あの頃と何も変わらない佇まいで待っていてくれたそのお店には先客がちらほらといた。その当時からだが20代の出入りする場所ではない雰囲気で、一見してすぐわかるほど、みんな人生の先輩であった。
そして以前と同じカウンターの手前に腰掛け、とりあえず生を注文する。
ぼんじりと皮と山芋のわさび漬けと・・・。先程の会合である程度の飲食は済ませてきたので軽く。
「珍しいね」
カウンターの3席ほど向こう側に座っていたカップルが声をかけてきた。カップルだったのか仕事上の付き合いがある関係性だったのかは今ではもうわからないけれど、少なくとも男女感が漂っていたのは事実。なんていうか、いい意味での惰性がある男女の大人な関係、とでもいいますか。私よりは少なくとも一回りは上。
「学生の頃来ていて、懐かしくなってきてみたんです」
正直に伝える。
あ、僕もそこの卒業生だよ。と。このあたりに大学なんてここしかないのはみんな知っているから、当然の成り行きでそうなる。
「あれ、このあたりに住んでいたんならもしかして行っていた?ホルモン屋。あそこにいるのがそのマスター。」とお店の奥のほうを指差される。
目線をそちらにずらすと確かに見覚えのある顔。あの頃、大好きだったお店。
いろんな焼肉屋がこの世に存在する中で、ホルモン専門な焼き肉店は好き嫌いが分かれるところかもしれない。私は大好きだ。
先輩に教えてもらい、何度も連れて行ってもらった、あのお店。そして自分が先輩になってからは後輩を連れて行ったあのお店。
懐かしいなあ。
まだまだひよっこの学生である私たちには味の良し悪しなんてどこまでわかっていたか疑問ではあるけれど、先輩たちも私たちも「ここのホルモンは美味しい」なんてわかったフリして言っていた。
そして何より、そんな大人なフリしたまだまだ青い学生にお店の人は優しかったから。私たちをしっかりと客として扱ってくれたから。だから、きっと私たちはまた大人になったと思えたのかもしれない。チェーンではなく、こういう個人営業の知る人ぞ知るみたいなお店を行きつけにしている私たちというステータスに少し酔いながら。
サークルのメンバーを俯瞰した目で見ている気になりながら、気の合うメンバーで飲み明かしたあの日々は本当に最高だったと思う。今も付き合いがあるかと聞かれれば、限りなくNOに近い。
あの頃近くにいた理由は今はなくなってしまったから。
きっと人間関係には個人間の相性以上にタイミングがある。出会うべくして出会ったとき、うまくいく。だけどそれが末永く続くかと言われれば、その二人のタイミングが終わってしまえば、もう関係性も終わってしまったり。
きっと、あの頃付き合ったあの人と今出会うのであれば恋愛関係にならなかっただろうと思うことは、誰しもあるのではないだろうか。
あの頃悩んでいたあれこれは今になって思えば、とても小さいことで、かわいいなあと我ながら思ってしまうほどのくだらなさ。だけど、そんな悩みひとつひとつを消化しながら、私たちは大人になっていく。
旧友に会うのは共通の知人が結婚したときくらいになってきて、本当になんだか大人になってきた気がする。
いつ会っても会話をとぎらせないくらいの気遣いをみんなが身につけ始めている。興味なくても聞けるし、最低限のマナーを身に着けた旧知の仲の友人を見るのは、なんだか寂しくもあり、楽しくもある。
ハタチが大人の称号に思えていた私たちはいつのまにか、アラサーになる。
もう大人になった気がするでは済まず、本当に大人にならなければいけない年齢になった。
悩みの規模は大きくなったかもしれないけれど、あの頃の悩みが一番切なかったし、一番辛かった。なんていうか、新鮮度が違う。キリキリ痛むような切実さは今の悩みにはない。
あの頃得たたくさんの経験や体験や知見はきっと今の私たちをつくっている。
少しでも大人になった気がしていたあの頃が一番、かっこもつけていたし、真剣だったし、まっすぐだったし、強がっていた。
きっと二度と来ないあの感覚。