先日歯が急に痛くなって、
あまりに痛くて仕事を 早退させていただいたのですが、
それで 最近しばらく 歯医者さんに通院していました。
最初は虫歯かと思ったのですが、
歯の痛み方がいつもと少し様子が違うので、
急いで歯科に電話をして予約を取らせてもらって診察に行きました。
先生にチェックしてもらった結果、
歯の神経が 死んでしまっているとのことで、
神経を抜くことになりました。
なんだかよくわからないけれど、
また数回通院しなくちゃいけないということがわかり、
ため息が出ました。
ため息の反動で顔を上げると、
院内の壁に貼られた古びたポスターが目に入りました。
「サウスイースト デンタル ユニバーシティ」
と書いてありました。
そこに おそらく学科の卒業生であろう学生たちの
顔写真がずらっと並んでいます。
もしやと思い、顔写真を順にじっと見ていると
この歯科の名前の、Kitano、という
アジア人の顔写真も載っていました。
その卒業の 年号は1936年と記載がありました。
1936年に、アメリカの大学で、 歯科医師の免許を、
このキタノ氏は、 取得したということ?
1936年に卒業ということは、
おそらく現在の歯科院長の 曾祖父ではないでしょうか。
1936年、二・二六事件の起こった年です。
その翌年に、第二次世界大戦が勃発したと昔習いました。
私はいまここにいる北野先生に質問しました。
あのポスターのキタノさんとは、先生の…?というと、
あれは、僕の曾祖父です。と答えました。
1936年に?そんな時代に、アメリカで歯科学を学ぶ?
すると先生は答えました。
そう、で、その年に帰国してすぐに、歯科を開業したんです。
ここに。
私はそれを聞いて、歯の痛かったのも忘れて途方にくれました。
そして、もう大分前から三ノ宮駅周辺は
ずっと開発をすすめているが、
ここも改修工事や移転などの予定はあるのですか?
と聞くと、 いえ、ここはこのままで残ります。
この壁の柱の部分も、開業当初からのままなんですよ。
と壁のすみの柱を指して教えてくれました。
あとで知ったのですが、1936年は
4月1日 - 阪神急行電鉄(現・阪急神戸本線)
西灘~神戸間が開業した年でした。
つまり、第二次世界大戦直前に、その後敵国となるアメリカ、
にある大学歯科学部を卒業し、帰国。
日本で神戸線が開業したのと同じタイミングで
歯科医院も開業し、その後第二次世界大戦や
阪神淡路大震災やらを経て、
今も曾孫さんが歯科を引き継いでいるということです。
神経の壊死(えし)した私の歯は治療と消毒がされ、
次回の受診日の予約と支払いをして、
私はその歯医者さんを出ました。
歯医者さんにはたった数十分の滞在だったのに、
なんだかとても長い時間を過ごした気がしました。
次に受診するときも、確かにここに歯医者さんのドアは
存在するはずだよね?と思わず振り返ったものでした。
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