【詩に至ル病】artistヨケマキルとの思い出。其の希薄な短い春のひとときを濃縮すれば。
僕の初期のWEB詩活動(ネット詩って書くよりWEB詩の方がカッコイイから以後こう表記する)に於いて多大な影響を受けたartistについて触れない訳にはいかないだろう。彼のことを詩人と紹介しないのは彼はロックミュージシャンだからだ。ロックとしての表現手段として詩(文章)をその時は選択していたわけであって、本業はロックミュージックに懸けておられる。バンド挫折人の僕からしたら何十年も継続されててそれはとても凄いことで覚悟を決めて取り組んでおられる。ヨケマキル(サンデースクール)の活動遍歴・ヨケマキルとの出会いのきっかけ等は下記に彼のamebloを勝手に貼りつけますので読んでみてよ。文章作品へのリンクも記載してあるから心して読むようにヨケマキルの文章作品は劇物危険ですよ。下手したら貴方のその自信は無様に粉砕されるよ!
極々狭い界隈で彼は有名人だった。その発表される文章作品(詩)はセンセーショナルだったし、其のたびに物議を醸した。ニンゲンの暗部を抉る作品が多かったから嫌悪感を抱く者も多かったに違いない。僕は嫉妬深いニンゲンなので彼の作品に嫉妬した。真似はしたことはなかったが、常にヨケマキルを意識して詩を書いていたのは確かな事だ。こういうことはヨケマキルだったらどう表現するのだろう、とか。それは今でもしこりのように僕の中に残っている。随分と罪な事をしてくれたものだ。こう考えると中原中也や真島昌利よりヨケマキルに多大な影響を受けてしまっていたようだ。悔しいけど、嘘はつけない。作品に人間性はさほど重要ではない。僕の人間性も最悪である。いま住んでいる地区では一番悪いだろう。前述にヨケマキルの文章作品はニンゲンの暗部を描くと書いたが、なんていうかなー彼は劇作家であり演出家でもあるのよねー自己プロデュースに長けている。自分の見せ方よね。これはロックミュージックとしてのライヴの積み重ねで培われたのかもしれないけど、大方が天性・境遇によるものなんだと勝手に思うのだが。なので作風は「舞台設定(架空の人名・都市・事件・薬名等)を駆使し、猟奇的露悪的解読不能でもなんか哀しい」というものや「生きる事の真理」もある。その文章作品は膨大な数が存在するので、今ここで僕がどの文章作品のここがいいのよ!とかこの文章作品が凄い!っていちいち紹介出来ないが是非「ヨケマキル」で検索してみたら、それっぽいのが出てくるので探し出して欲しい。彼については僕の百倍は詳しい同志達がいるので、「ヨケマキル論」は彼らにお任せしている。そして彼のロックバンド「サンデースクール」についても紹介したいのだが、これは音楽作品なので彼のPV(ようつべ)を貼りつけるのは出来ないので、これも各々ようつべで検索して「ヨケマキル」のロックンロールに触れて欲しい。聴かないと損だよ!
最後にもう20年前になるのだが、彼とコラボした文章作品があるので此処に遺しておこうと思う。半分は僕に著作権はあるのでね。
儀【アフタースクール】式
儀式ははじまる。
校庭の真ん中に書いたイカサマ魔法陣。その中で。
精神世界を司り肉体との完全結合をもくろむ「支配者ペルモアス」を呼び出し
拘束または殺害し、自分の中の記憶、経験、差別意識、善悪の区別、許容範囲
要するに心に関するすべての項目を抹消するために。
まずは自分の血。
血をすべて抜いてしまわなければ儀式は始まらないのだ。
カッターナイフで手首に深く切り込みを入れた。
酸化し始めて異臭を放ち出せば指南書のとおり。
予め用意しておいた三角フラスコの底に溜まる液体の質。
盲目の錦鯉産卵。
百葉箱の傍らに設置しておいた祭壇に吸殻を供えた。
萎れたフィルターに染み込んだ己の唾に覚醒を誘発する分泌物が含まれており
この画期的な計画を確実に且つ隠密にやり遂げるには忘れてはならない必需品
次回は言語能力を司る部分を切除する。予習済み。
儀式は成功した。
前半をヨケマキル、後半を僕が書いたのだったかなぁ?(盲目の錦鯉産卵)を書いた覚えがあるから多分後半を僕が書いた。これはメールのやり取りの何往復で作ったであろうか。そんなに時間はかからなかったはずである。
今現在僕は三明十種の筆名で活動しているし、彼も筆名をコロコロ変えてたまに某掲示板に作品を発表している。そして僕は詩が書けないなぁとキツなった時にヨケマキルの傑作「ヨケマキルジゴク」をいちいち検索して読みにいくのである。