私が普段考えてること

 私がなぜこんな文章をしたためているかというと、最高にあたまにきているからである。

 10月7日、午前2時30分頃。バリバリ、と雷が落ちるような音がして目が覚めた。寝ぼけていた私はスマホで時間を確認しながら、否が応でも耳に入ってくるバリバリ音がなんなのか、一瞬で思い至ったた。バイクだ。

 私の地元ではバイクのバリバリ音は「なんだよ壊れてんなら修理出せよな」と冗談めいた悪態をつくようなことはあったが、田んぼが多いところではそういうバイクに乗ってる人は住宅街には近寄らない、一応のマナーはあったらしい。

 しかし、今住んでいるところで聞いた今回のバリバリは遠くで聞こえるだけのやつとは違った。バリバリ、と30秒近く、耳元で鳴っているかと錯覚するくらいの音量で続いたのだ。あまりいい例えではないが、顔の横で大音量のげっぷをされ続けるような感じを覚えてしまい、最高に不快、という気分になっていた。

 そうして、眉間にシワを寄せながら、もう一度スマホで時間を確認した。午前2時30分くらい。

 私は、この時点で寝落ちて最近推している方の配信に行けなかったことにハッと気付き、ついでに自己嫌悪が腹の底から渦を巻いて湧き上がって来たのを感じた。最近、疲れて寝落ちては観たかった配信を見逃すのを繰り返しているので、それもあったかもしれないが、最高に自分に対して腹が立った。

 さて、最高に不快な気分で最高に自分に対して腹が立つとどうなるか、それは私がよく知っている通り、最高にあたまにくるのだ。気分が荒ぶってまるで落ち着かない、眠たいのに眠れないモードに突入してしまった、と言い換えても良い。とにかく、そうして湧いて出た感情を発散しなければと思い、こうして文章をしたためている。

 ところで、この状況で誰が悪いかといえば、私の観たかった配信者でも、真夜中住宅街大音量バリバリバイクの人でもなく、勝手にあたまにきている私自身だ、と私は思う。自分の感情の始末は、自分がつけなければいけない。普段、こう考えて動いているから、なおさらそう思う。

 以降は、私が普段どんなことを考えながら生きているか、書くことにしたいと思う。

 私がTwitterで絵を描いてあげたり、おしごとに出る前にせっせとあいさつツイートをしていたり、あまりにネガティブな発言を積極的にしないようにしたりしているのは、恐らくこの記事を読んでいる方にはうっすらと伝わっているのかもしれない。もちろん、ぬるい言葉を吐いたり、喜んでもらえるような絵を描いててみんなに少しでも穏やかで柔らかい気持ちでいてほしいという考えがないわけではない。

 だけれど、元を辿ればその行動も、私のおしごとに行きたくないという気持ちや、感情のままに吐いた良くない言葉の羅列が、他人にネガティブを伝えてしまって、私が始末をつけられないほど関係のないところまで影響してしまうのを避けるためではある。といっても、そこまで打算的に、狡猾に生きられるほど器用ではないから、たまにはおしごと疲れた、くらいは書き込んでしまうのだけど。

 ともかく、私が普段考えているのは「自分の感情の始末は、自分がつけなければいけない」ということ。お絵かきするのも私の絵で喜んでくれる人を見て私が喜ぶためだし、おしごと前のあいさつも穏やかな私でいるためのモチベーションにするため。なるべく自己完結型の、私にとって良い生き方になるように、とても頑張っているのだ(ドヤ顔)。

 みんなには、みあかしはなんだかとっても自分中心のやつだってちょっと知っててもらえるとたすかる。なんならこの記事を見て、みあかしって自己中のやべーやつじゃん、近寄らんとこ、って考える人もいるかもしれないけれど、それはそれで、他人の感情の始末は、私がとるべきものではないから、仕方のないことだと思う。

 と、言いたいことをつらつらと書いていたおかげでタイトルから少しずつ脱線しはじめているし、いつの間にかあたまにきていたのもおさまったので、ここでやめたいと思う。こんな時間に稚拙な文を読ませてしまってごめんなさい。

 それじゃ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?