![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161880591/rectangle_large_type_2_b99fee5e7ab45c89f83c70a14f755f7f.jpeg?width=1200)
若返りの泉を探して ビンディーとの出会い
where is the fountain of youth?!
この旅の始まりは思い返せば、
そう!ここが始まりだ。
いろんなはじまりがそうであるように
この旅も突然何かに突き動かされるように
押し出され
ドアが開いてしまうといろんな事や人を必然的に巻き込みながらものすごいスピードで進んでゆく
一度始まってしまったらこの旅が最終チャプターへたどり着くまではもう誰も止めることはできない。
昨年の12月31日どうしても何か買わないといけないものがあって、
今では大晦日の夕方に何をそんなに急いで買わなければいけないものだったのかさっぱり忘れてしまったのだけれど、
私は近所のイオンスーパーの一階エスカレーター前に居た。
そして家族ぐるみで仲良くしていたインド人家族の後ろ姿を偶然見つけ"Hi!"と機嫌よく挨拶しに行った。
「ああ!こんなところで会えてちょうどよかったよ、ビックニュースがあってね。なんと来月アメリカに引っ越すことになったんだ、
引越しまでに家のものを全部処分しないといけないから、何か欲しいものがあれば言って、なんでも差し上げるよ」
外国人の友達を持つと、この突然海外へ引越することになったから家財道具を全部処分しないといけないから、なんでもあげるから欲しいもの言ってというシーンは今までには何度もあり私の家の家具や照明などそれそれの友人との思い出を抱きしめたままのものに囲まれて私は生活している。
そんな彼らが残したものに囲まれていると
彼らの人生は前進し、自分だけ根が張り付いた木のように動けず置いていかれたような気持ちになる。
浜辺の木が押し上げられたものと一緒に生活をしているような感じだ、
海を見つめながら
いつか自分も海の向こうへ飛び出したいのになという気持ちがこみ上げてくる。
結局私はこの家族から自転車を譲り受けることになった。
一番下のまりいが小学校に通うようになるので自転車があれば何かと便利なのではないかと思ったから。
最後に我が家でお別れ会をしたときに、
その家族の旦那さんが私にインドの神話の中のグルのようにこんなことを言った。
何度思い返してもそれはまるでこれから起こることの予言みたいに感じる。
「君が小太りなのを気にしてはいけないよ、
なんにも心配しなくていいんだから、
これから君は自転車にたくさん乗って、
健康的な食べ物を食べていたら
自然とスリムになるから。
自転車はいいよ!風を感じられるから気持ちがいい、子供達の学校にも自転車で行ったらいいよ。
うん、大丈夫大丈夫何にも心配することはない」
妊娠出産を3回繰り返し
自分が小太りなのをもう全く気にしていなかった私はこの言葉によりものすごく気に始めることとになる(笑)
そしてこの次の日からクリスマスにサンタから欲しかった自転車をもらった子供みたいに
この電動自転車にほぼ毎日の乗りはじめた。
このインド人家族が敬虔なるヒンズー教であったため、
自転車にもヒンズー教の人たちが眉間に張っているビンディーステッカーが張ってあり
夫に聞くと魔除けの意味もあって張っていたのではないかというので、
剥がさずそのままつけておくことにして、
この自転車を私の相棒ビンディーと呼ぶことにした。
近所に薬局の人やスーパーの人に
「最近自転車よく乗ってはりますね!」と声をかけられるようになり
そんなこといちいち声をかけたくなるということは、
私は近所のやんちゃな小学生くらいのレベルで、
いやそれ以上に私は自転車で乗りまくっているということなんだなと気がつき自分でも笑ってしまった。
30年ほどぶりに乗る自転車は思った以上に楽しくて昔とは違い電動だから疲れることもなくただ有酸素運動で30分も乗ると頭がハイになるだけ。(笑)
風を感じて前に進むというのは確かにとても気持ちがいい。
バギーを押してジリジリ進むのとはワケが違う、
高校生時代ぶりの自転車は久しぶりに感じる事が出来て、身が軽くなったような、ささやかなる、
しかし確かな手応えがある自由のが手に入った感覚だったのかもしれない。
だから毎日乗ってこの久々の自由を確かめてみたくなったんだろう。
体の記憶というものは不思議で自転車に乗ると自然とその当時自転車を乗りながら歌っていた鼻歌が自然と身体から出てくる
Mr.Childrenの星になれたらやドリームカムトゥルーの夏の花火をメドレーしながら自転車をこいでいると、
だんだん体の感覚が戻ってきて細い道でもすっと通れるようになってくる。
そうやって自転車に乗っているといちいち信号待ちで携帯電話を鞄から取り出して時間を確認するのが手間であるため
今まで全く欲しいと思わなかった腕時計がどうしても欲しくなり、
丁度実家で私が高校時代に使っていたアニエス・ベーの懐かしい腕時計を見つけたのでその腕時計をつけて自転車に乗るようになった。
高校時代の腕時計をしてミスチルを歌い細い道をすり抜けて風に乗って自転車に乗っていると次に何が起こるのか?というと、
そうタイムスリップしてしまうのだ!
脳が高校生に戻ってしまう現象が起こる。
自分が見えているのもが自転車のハンドルと道と左手の腕時計しか見えていない上に懐かしのJPOPを口ずさみながら機嫌よく帰宅して手を洗い
ふと、鏡を見た衝撃とはあなたに想像できるだろうか?
高校生に戻った気持ちの脳が鏡に映った現実に対応できなくなるのだ
何が起こったんだと固まることになる。
鏡の前で呆然とはこの事だ、脳の時間の感覚がねじれて混乱してしまうのだ。
もう浦島太郎と
全くもって同じ気持ちを共有できる自信がある
2人で一体何があったんだって?一晩飲み明かしたいくらいの気持ちになる。
考えてみると、こうまじまじ鏡を見るという時間を子育てに追われて取ることもできなかった。
長男を出産した後からいまに至る12年は瞬きしただけの速さで過ぎ去ってしまって、自分の体をいたわる余裕はなく
体は疲れ肥大したけれど心はこの12年の老いを受け入れられないでいる。
それはまるでヨーロッパ旅行中にスリにあって12年間がカバンの中に入っていたのにないんです、財布と一緒に擦られたみたいと言って、呆然と立ち尽くしてしまう卒業旅行の学生みたいなそんな気持ちだ。
そして鏡を見ながら頭に浮かんだ疑問は
若返りは可能なのか?
若作りは痛々しい
あくまでも私の欲しいのは若返りだ
若々しくいるとは一体どういうことだろう?
そうこの疑問に少しずつ答えるように
いろんな人がどこからか使われた使者のように
それぞれに若返りのヒントを手に持って
うずまきパンのように若返りの泉探しの旅にネジ混ざってゆくことになる。
ビンディと若返りの泉探しの旅の始まりは始まり。
まだまだ続く