ダウン症それがどうした?!と思えるママになる為の100のステップステップ82ファーザーフッド
ダウン症それがどうした?!と思えるママになる為の100のステップ
ステップ82ファーザーフッド
私の父は沈黙は金というのが父の座右の銘であっただけに
沈黙しすぎて、今天国で自分が集めすぎてしまった金の山の上に座って
さてこの山から降りる時どうしようか?
と困っているかもしれないと想像できる、、、
いや、お父さんなら困ってないか?
まあいいや!降りなくてもいいやと言って
タバコでも吸って昼寝でもしようかとしているだろうと
想像できるような
独特の世界観を持ち
マイペースで静かな人だった。
怒ることは決してなく、
他人の目も気にしない
自分の意見は言わず、
口を開けば冗談を言って一人で笑っているような人。
娘の私から見ても話さなさすぎて
一体何を考えて生きていたのかわからない、
もはや人間なのかすらも疑問に思ってしまうほど、
不思議な人だった。
人間じゃないなら何なんだ?と聞かれたら、
精霊か妖精か妖怪か仙人か。
人間らしいネトネトとしたものが全くなく
他人の噂話もなく
どうこうという悩みも口にしない、
フフっと全てを鼻で笑って、
恐ろしい医療の砂糖を入れたコーヒーを飲みながら
コーヒーの歌をフンフン歌っているような
そんな人だった。
私が幼稚園児くらいだった頃
家の片ずけをしたい母に追い出されるように
週末はよく父と2人だけで
近所にあったドーナツショップへ行ったのを
よく覚えている。
私は決まって同じドーナツを二つ頼み
父はコーヒーだけ頼んで
ドーナツを食べる私を嬉しそうに眺めながら
ハイライトのたばこを吸っていた。
昔の写真を見ると
他にも遊園地や動物園に2人で行ったはずなんだけど、
そのことを私は全く覚えておらず、
ドーナツショップの時間だけ
私の記憶の図書館に返し忘れた本のように
心の中にずっと残っている。
父という存在は家族の中でリーダーシップを取り
社会の規則などを子供に教える役割があると思うのだが、
私の家ではその役割を母が担っていた為
私の父はその社会の4本の柱の規則に疑問を投げかけるような人だった。
幼い頃はそんな父が面白く大好きだったのだが、
私は思春期になると、早い段階で反抗期になり、
社会の中で不器用に、
生きにくそうにしている父が痛々しく
会話をすることが少なくなってしまった。
棺に入れようとしていた父がいつも持ち歩いていたボロボロの本を
入れないで!と言ってもらって帰り。
いつかじっくり読んでみようと
今は開けられないままに
本棚にしまってある。
いつか、
父が何を考えて生きていたのかミステリーを紐解くように
本の中でいかに生きるべきかと
生涯模索し続けながら生きていた
父と同じ本を読みながら対話して見たいと思う。
社会の中で権力統制するために
様々な強い力が働いてルールやガイドラインが決められ
そちらの方に進むように促される
でもそれを、丸ごと従うのではなく
疑問を持つ大切さを
私は父から教えてもらったなと
今になって気がつき感謝している。
ドーナツ屋で
「天国へ行ったら、自分の好きな年齢になれるんだ、
俺は小学生になるわ!
小学生の頃が一番楽しかったな。」
と父が私に話していた。
私がいつか天国へ行ったら
いがぐり頭で走り回っている
父を探さなくてはいけない。
その時私たちはどんな話をするだろう?
どんな形であれ
私たちは両親から教えられた大切なことがある。
恐らくそれはいつも
親である本人が子供に教えたいと思っていたこととは
違うものになって
子供の手に受け継いでしまう物だのだろうけど。
あなたは
あなたのお父さんという存在から
何を学んだだろう?
考えてみて。