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場面緘黙症と自我-最近考えがまとまらない話題について

場面緘黙症は治った。

でも、発症していた期間は人生の空白の時間のようなもの。

友達は作りにくいし、完全に受け身で主体性なんて全くない。将来やりたいことなんて今でも一切思いつかない。大人になるまでの大部分を何にもできないまま過ごしてきた。

この期間に学ぶべきことを何も学べず、ただただ年齢だけ重ねてきた。今後、そんな機会が提供されるわけもなく、自分から場を作るために動くこともできないだろう。行動しろよって思うかもしれないけど、そんなことができないのがこの疾患の後遺症かもしれない。

そして場面緘黙症って自我の形成も遅いんじゃね、なんて思ってる。

友達や先生に対する要求はもちろん、家族や親戚にすら遠慮することがあるから自発的な行動をすることはない。社会性を学ぶ場の学校で、声を出すことができない俺らは要求ができなければ、自己表現すらできない。そんなことができてないんじゃ、治ったとしてもできないなんて当たり前だよな。

そんなことができずに成長しても、今まで周りに流されてただけの人間に自我はないと思う。実際、治った後、進学先を考える時とか何かを実践するってことに対して自分で決断して答えを出したことは少なかった。自分の意志ってのはとても弱い。結局これは自分で考えることができていない証拠だし、論理的な結論にたどり着けていなかった。

でも、俺という人間がダメなのか、場面緘黙症が悪いのか答えは出ない。

ダラダラと書いたけど、最近考えてて、自分でまとめられねーな!ってことでここでシェアしてみた。今後何か思いついたことがあれば追記するかも。場面緘黙症が自我の形成を遅延させてるのでは?場面緘黙症だったせいで自分は何もできないんじゃないか?ってことに対して何か思い当たることがあれば、教えてください。

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