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場面緘黙症をどうやって克服したのか

10年程度苦しんだ場面緘黙症を自力で治し、その後どうやって克服したのか考えてみたので、参考程度にお読みください。症状の程度や環境等、人それぞれであるため、これが確実な方法ではないです。

思考をダラダラと書き綴り、推敲をしていないため、読みにくい部分があるかもしれません。大目に見てください。近日中に推敲する予定です。(推敲済)

場面緘黙症を治した時

場面緘黙症を克服して、話せるようになったエピソードについてはこちらの記事の中学生の時という項目に書いてある。克服できた因果関係はここにあるように受験に対する危機感以外にもあると考えている。

ここに至るまでの環境や思い出せる限りの心情を記す。

自分の置かれていた環境

家庭や学校は悪い環境ではなく、一般的に考えられるような、ごく普通の環境であった。特に学校ではいじめられることはなく、周囲の友達は皆優しかった。普通に接してくれたからこそ、その後、声が発することのできる土壌が作られていたと思う。

また、習い事や部活動をしていて、より親交を深めることのできる環境が整っていたことも大きいと考えている。部活は運動部だったため、声を出すことが求められた。ハキハキと声出しはできなかったが、この時返事程度はなんとかできるようになった。これも克服に大きな影響を与えたのではないだろうか。

しかし、裏を返すと、部活で声出しをすることはむしろトラウマを植え付けて喋れなくなってしまう要因になりかねないと思う。暴露療法(エクスポージャー療法)のようなものだけど、素人がすべきことではないと、今では考えている。

場面緘黙症当時の心境の変化

小学校低学年の頃は話せない、声を出すことができないということに対して不安しかなく、それ以外のことを考えることすらできていなかった。

小学4,5年生くらいの頃、近所に住んでいる友達が頻繁に遊びに誘ってくれていた。友達の家に1人で遊びに行くことも初めてだったし、そもそも友達と遊ぶということも初めてだった。その友達は何故、ひとことも話さない僕のような人間と仲良くしてくれたのか全くわからないが、おかげで対人関係の恐怖感は緩和されたように思える。この時、ようやく話をしてみたい!という気持ちになったことを覚えている。しばらく経った後、少しでも話すことができたのは、次に繋がる大きな一歩だった。

中学生になってから受験の面接の存在を知るまでは、特に大きな心情の変化はなかった。しかし、将来を考えて、自分にとって大きな障壁があった時に、火事場の馬鹿力的なものが働いて、話さないといけないという心情になったのだろう。そこから場面緘黙症の克服に繋がったと考えている。

僕が考える場面緘黙症克服へのアプローチとは

場面緘黙症という存在を知り、noteを始めてみようと考えるまでに症状や歴史だけでなく、治療法についても軽く調べてみた。調べた中で自分の人生の各ポイントと重ねてみた時に、スモールステップによる成功体験を積み重ねていたし、良い選択だとは思えないけど、暴露療法のような状況に置かれていたと思われる。また、環境的にも孤立するような状態にならずにいたことは、治療に周囲の支援が必要となる疾患において良い方向に働いていたのではないか。

経験と治療法を対照的に書いたが、そもそも話すことができるようになるには、自分自身が「話したい」と強く思うことが必要だと思う。僕も漠然と友達と話したいのになと思っていた時は、全く声が出る兆候もなかったように思える。精神論のような話になってしまうが、「話したい」という強い気持ちを持つことは克服への重要なピースである。 どうやって気持ちを強く持つのかは、専門家でもないし、僕自身の人生が流れる中で生まれたものだから、他の人にアドバイスすることはできない。

もう1つ強調しておきたいことがあるとすれば、周囲の協力なしには絶対に克服できないだろう。僕はそういう体制は整っていなかったけれど、幸運なことに偶然にも場面緘黙症にとっては、かなり良い環境にいたと思う。保護者や専門家だけでなく、教師やクラスメイトの接し方も大きな影響を与えると思う。

結局、僕が克服したのは、自分自身を「お前は話せるぞ」と洗脳したことも1つの要因になったのではないかと思ったりもする。(笑)

終わりに

僕が場面緘黙症を治した経験をできる限り論理的に説明できるように考えてみました。しかし、治療をする前に、そもそも話せないことが場面緘黙症だと知らない当事者の方が圧倒的に多いと思います。場面緘黙症についての啓蒙を克服した人間としてはできる限り頑張る必要があるんじゃないかな〜って思ってます。

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