小児科が嫌いになった話
昨年末に生まれた娘は、一見健康そうだったけど胆道閉鎖症だった。
今は肝移植に向けて、術後の拒絶反応や免疫抑制による感染症を乗り越えるために体重をせっせと増やしている。
ただ、移植をすればこの病院の小児科とこの先もずっと関わるのかと思うと、非常に暗い気持ちになる。
そもそも、娘が転院してから手術をするまで3週間近く胆道閉鎖症疑いの患児としては異例の長さで手術にたどり着いた。
今の病院のに転院して、小児外科ではなく小児科に収容された。
しかし、ここの小児科は患者が安心して治療に臨む場所として全く正常に機能していなかった。それは入院してからの治療について全く親である我々に情報が下りなかったことや、予定されていた手術の日程を勝手にキャンセルしたこと、小児科病棟の看護師がまだ生まれて1か月も経っていない娘のミルクをさぼったりしていたこと、面会に行くといつも汚れたシーツの上に寝ている娘を見ていたこと、それを改善したくてせめてタオルを敷けば窒息するからやめろといわれたこととか、看護師になにか医師への伝言を頼んでも伝わっていないこととか、思い出すと本当にこの病院の小児科消えて無くなれと思うレベルなので、あまり思い出さないようにしてきた。
小児科がそんな状態だったので、手術後、PICUを経て小児外科病棟に移動した日は本当に恐ろしかった。小児科病棟と同じような看護師ばっかりで小児外科の医師もどうせ説明なんてロクにしてくれないんだろうと思って、短期的に最優先目標である手術は受けた。ではここから病院に人質になっている娘をどうやって殺されずに退院させられるだろうか?と考えていた。
結局、これらは非常にバカバカしい杞憂で(そもそも手術した患者が短期間で病院内で死んだら揉めるだろう)、移動した小児外科病棟は医師も看護師もオープン。何か聞いたりお願いすれば他の医師、看護師に共有されるし、検査結果を教えてほしいと言わなくても、娘のベットサイドにいれば、どこからともなく小児外科の医師(主治医は教授)が現れ、採血していれば血液検査の結果を、そうじゃない時は傷の治りだとか見た目黄疸が減ってきたとか、時にはちょっと顔だち変わってきて新生児から赤ちゃんになってきましたねとか、本当にカルテには書かないであろう少々の変化も良く話してくれた。
本当に入院してから手術までとの落差が激しすぎて、同じ病院でどうしてこうも違うのかと思う。多分上に立つ人間の力量やら考え方の違いが顕著に出ているのだろうけど。
結局、私と夫は小児科と小児外科を表現する方法として、
「内科(小児科)と違って、外科は油断すると人が死ぬから」と結論付けた。
ただこの仮説だと、最初に娘が生まれた病院の小児科医が、せっせと娘の便をチェックして、わざわざ肝臓に負担をかけないように特殊ミルクを用意してくれたり、正月明けでいろんな検査予約がギチギチの中、娘の検査を1週間以内で終わらせてくれたこととか、胆道閉鎖症がどういう病気かを正確にそれでも我々親があまりのことにショックを受けないように細心の注意を払って説明してくれたことだとか、NICUに似つかわしくない3000g越えの赤子である娘をせっせとお世話してくれたNICUの看護師さんたちとかが当てはまらない。
そもそも今まで生きてきて、ここの小児科ほどひどい医療現場があるなんて思ってもいなかったし、病院で「なんだかなぁ…」と思うようなことが起きても、多少の行き違いがやこちらの誤解、ちょっと言葉が足りなかっただけといったことがほとんどで、まさか今、娘が人生をかけた大一番に臨もうとしているときに、親であり娘のドナーでもある自分をこんなにも不安定にさせるなって、小児科やっぱり消えろと思う。
あそこを離れた後でも娘の邪魔をするなんて、本当に嫌な場所だとすら思う。
ただ、この小児科消えて無くなれ!!!!
という心境は、移植前後の娘の治療に暗い影を落とすことが予想できる位の理性は持っていたので、移植コーディネーターから「移植前に発達検査をするので、小児科に話を通します」と言われた時に、自分がここの小児科を全く信用していないことを話した。
話しただけでは飽き足らず、今まで小児科でされたことについて、どういう意図があったのかを聞く体で、小児科教授あてに手紙を書いてた。別に小児科に聞きたかったというより、会話であれこれいろいろ思い出しながら話すより文書にした方が冷静に違う視点が持てるかもと思ったからだった。
ただ、移植外科は私に了解を取ったうえで、私の手紙を小児科に渡した。
そして返事が来た。
とりあえず失望した。
別に横柄な内容の手紙ではなかったが、私が求めている内容(娘に起こったことを受けて小児科で今後このようなことが起こらないよう改善策を考えてくれ)が全く書かれていなかった。
そもそも教授自身、もう4か月前の患者の親から、自分が指導していた若手医師の伝達不足やら小児科病棟の状況やらについてクレーム手紙がきても、寝耳に水すぎて対処できなかったのだろう。
手紙が渡った直後に、「直接会ってお話しを」と言われたのを断って、まずは文書で回答をと言ったのはこちら側で、向こうは何か変な親位に思って居いるのだろう。
なぜ文書回答かというと、記録になるから、そして面談して詫びられて我々と小児科での小さなトラブルで終わらせる気はサラサラないから
次に娘と同じように胆道閉鎖症疑いで転院してきて小児科になぜか収容されてしまうであろう患児と親から、病気そのものとは関係ない憂いを取り除いてやりたかった。
手術しなければ肝臓はどんどん悪くなっていって、肝硬変から肝不全で死ぬ病気を産まれたての我が子が患っていて、一日ごとに肝臓にダメージが加わっていくのに小児外科ではなく小児科に放り込まれたら、産後間もない不安定なお母さんのメンタルは完全に死んじゃうと思った。
とてもきれいごとでしかないが、それが実現出来ればちょっとは私のやるせなさが消化できるのではないかと思った
冷静になるための文書だったはずなのに、この小児科教授からの文書を読んでキレまくって、(迷惑にも)移植コーディネーターに深夜三時に2時間くらいかけてメールを打ち、この怒りをぶつけた。翌日もコーディネーターに、娘が保育士さんとうつ伏せからの頭上げトレーニングをしている間に、再び小児科への怒りをぶちまけた。
その結果、病院のそういう患者からのクレーム対応部署と話をすることになった。そういった部署が信用できるか怪しいが、娘の移植は決定的で、移植する以上感染症などの内科系疾患とも仲良しな未来は確定していて、そうなると小児科が関わってくる未来が(とても不本意だけど)見える。
私としては、信用できない人間に娘の命は預けられないから、本当に肺炎とか感染症系は生まれた病院の最初に見てくれた先生にお願したい。
移植を乗り越えた先には、感染症との綱引き人生が待っていて、健康に生きてきた私が経験したことのない嫌な目に会うことが増えるのだろう。普通の健康な子の近似にしかなれないのだから。
病院にいれば、病気の種類は違えど、皆どこかに不自由を抱えた同士。娘が特段目立つことは無い。精々、赤ちゃんだったのに首が座ってお姉さんになってきたねと、頭を上げられるようになればみんなでスゴイスゴイと褒めてもらえ、注目を独り占めしている時が最高に目立っている時か。
だからせめて、みんなが病気で、病気があるのが普通の環境である病院だけはこれからも娘にとって安全で安心な場所であってほしい。
だから、この小児科医のなり手が減っているという状況にもかかわらず、
小児科に名指しでクレームを入れる。
医師だって人間だから、私は苦手な親だったのかもしれない。
「だから広い心で許してやろう」とは、露ほども思わない。
とりあえず、娘が生きるか死ぬかの大一番を乗り越えられるように
乗り越えた後に、来年は家族でひな祭りを迎えられるように
その後も元気で過ごせるように
小児科に釘をさしておこう。
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