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あほは心のはざまに 【#あほあほ祭り】

今年も今日で終わりですね。それは今年のある日のことでした。

――もういっそ、尼になるしか……!

ある日、いろいろ落ち込みすぎて追い詰められた私は、
ついに「出家 尼」と検索をかけることと相成った。

そこで網にかかった、とても親身な感じのブログで、
・尼になっても人生がリセットできるわけではない
・仏教のことを知らずして尼になっても逆に後悔するかもよ
・まずは仏教のことを知ってからにしましょう

という、至極まともなアドバイスとともに
仏教を知るのにおすすめの本として紹介されていたのが
『梅原猛の授業 仏教』だった。

西洋哲学から東洋哲学へ研究を変えられた故梅原先生が行った
中学生向けの授業を本にしたものということで、

鬱ゲージが尼へと振り切りすぎた私は、一度冷静になり、
図書館で本を借りてきて、ページをめくることになったのだった。

(第1時限 500字要約)

学校で人間はどう生きたらよいかが教えられていない。
戦前は天皇陛下に忠義をつくし、親に孝行せよという他律的な道徳が教えられてきたが、戦後マッカーサー指令が出てこの他律的な道徳がなくなった後、自律的な道徳が教えられなければいけなかった。
してはいけないこと、すべきこと、そういうことがちゃんと教えられていないのがいまの日本の教育の大きな欠陥だ。
道徳と宗教には大きな関わりがあるが、公立学校では宗教教育はしてはならないことになっている。数学や英語も大事だがもっと大事なものとして道徳や宗教がある。どこかの学校で教えたいと思っていて、空海ゆかりの中学で授業をすることとなった。
『カラマーゾフの兄弟』という小説がある。次男が哲学者のイワン。イワンの「神がなかったら、道徳はない。道徳がなかったら、人間はなにをしてもいい」という恐るべき結論が小説の中心になっている。
われわれは宗教を失った時代に生きている。心配なのは、それによって道徳も失い、道徳がなかったらなにをしてもよい、という時代に入っているんじゃないかということ。
もう一度、道徳について考える必要がある。それには宗教の話をしなければならない。

1限はこの本に収録された授業を行う目的について書かれているのだが、学校の形だけの道徳の授業と現代社会の闇について考えていたところとに響くところがあり、続きを読み進めようと思えた。

12限まであるのだが、中学生を対象にした授業の文字起こしなので本格的な授業なのだけど、分かりやすい説明で、一回の授業で話した内容で短く区切られているので読みやすい。

特定の宗教を信仰していない私でも、仏教を中心に世界の宗教についても触れながら、世界の宗教事情に、もちろん仏教の考え方についても入門的に見識を広げられたと思える良著。先生、授業が上手すぎます。

個人的な効能として

本を読むことで学校で授業を聞いているような気持になり、気分転換になったので鬱ゲージはピークから下がり、仏教について全然知らなかったことを悟る。そして、ひとまず出家についてはもう少しいろんなことを知ってからにしようと思いとどまった。

一過性のやつだったみたいだ。

あと、『カラマーゾフの兄弟』を無性に読みたくなって挑戦しようということになった。1巻は今年読了。

ということで、今年出会えて良かった本の一つ。

『梅原猛の授業 仏教』梅原猛 朝日新聞社 (2002)

あほじゃなきゃ、出会えなかったよね。

このあほさ加減なので、もしかしたらしめきってしまっているかもしれないですが、あほあほ祭りなる、お祭りにスライディングで参加させていただいたつもりの記事です。

あの時振り切りすぎてたなーという感じのやつです。


あほあほ祭りとは、秀逸なギャグセンスと包容力あるコメント力を持つとお見受けする、あるさま主催の年末の、「今年のあほは今年の内に」というかんじのお祭りだそうで、


いまガンダムの世界を熱く教えていただいている、つぶ姉さま(番茶とつぶ餡様)経由で知りました。


あるさま、つぶ姉さま始め、レベルが高い、ネタが縦横無尽に披露に披露されていて、なんかすごいお祭りでした。

えー、0080の主人公もアルさんです(^^)

おしまい。

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