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【長編小説】「独身記念日」⑴創作大賞2024

あらすじ
本当にやりたい職種へ方向転換をするための準備期間として、勤めていた正社員を辞めて派遣社員で大手媒体系IT企業で働くツルタ、独身、三十三歳。派遣されて五ヶ月にして配属先の営業推進チームが解体されることに決まってしまう。
 定期的にランチする間柄になっていた、同じチーム内の歳も近い独身社員のヤマシーさんとシマサバさんとは、ちょうどいい距離感で緩く楽める日々を過ごしていた。いつものランチで愚痴などを話すうちに三人は、身近な人へのあらゆる”お祝い”と、それに伴うもやもやにそれぞれが直面していることが発覚する。
「独身者っていうのは世間的に普及してるお祝いのどれにも当てはまらないですよね?そんなの平等じゃないですよ」というツルタの思いつきから「独身記念日」について試しに話し合ってみるが、結局祝う定義が三人にははっきりと浮かんでこなかった。
 恋愛、家庭、友人関係と、それぞれが抱える問題の中を進みながら向かう先を決断するとき、果たして独身を祝福できる瞬間が三人には巡ってくるのか。

※この小説は、創作大賞2024 応募作品です。

独身記念日⑴

月曜日 昼休憩

 ツルタはヤマシーさん、シマサバさんに連れられて昼の休憩に焼肉屋に来ていた。会社の入る六本木一丁目の駅直結のビルから程遠くないこの店は、店内が茶色、と言うよりもブラウンと言った方がよさそうな色で統一された、高級感のある雰囲気に四人掛けの掘りごたつ式テーブルが広い店内にずらりと並んでいて、平日の昼間でも頻繁に客が出入りしていた。二人とこうしてランチを一緒に過ごすのは、ツルタが派遣された月から五ヶ月目の今までずっと月に二、三回ほどあったと思うが、この会社で十年以上働いている二人からはその度に知っている店やお気に入りの店をこれまでも教えてもらっている。そして今日は中でも特別贅沢な方で、テーブルの中央にある焼き網で肉を炙りながら食べられる二千円の国産牛焼肉セットを仕事の休憩中に堪能させていただこうとしている。しかも今日は二人からの奢りだというのだ。大企業の人たちは羽振りがいいものだ。
「最近、お昼の時間はどうしてました?」
 それぞれの注文したものがテーブルに揃ったので肉を焼くのに取り掛かり始めると、最初にヤマシーさんがツルタとシマサバさんに切り出した。
「私は先週、ハヤシヒルズまで行って、この間話ししてた新しいカレー屋に行って来ちゃいましたよ」
 そう言ってニヤニヤしながら、強めの火力で熱された網で肉の切り身を裏返しながらツルタは言うと、
「えっ?ハヤシヒルズまで歩いたんですか?片道だけで十五分くらいかかりません?しかも店混んでなかったんですか?」
 とヤマシーさんは目と口を見開いて驚いた、という風に大げさに言った。
「そうなんです、それが結構混んでて、十分くらい待って、五分でかき込んで、走って帰りました」
 ツルタが早速タレに落とした肉を白米に乗せたのをほう張りながら話すると、ヤマシーさんとシマサバさんは顔を見合わせて呆れ笑いを見せた。
「ツルタさん、この間も昼休憩にあそこの商業ビルまで遊び行ってましたよね?アクティブすぎません?」
 シマサバさんの方は、いくつか並べた肉を同時に焼加減を見ながら可笑しそうに言った。
「なんか六本木ってあんまりこれまで来たことなかったんで、色々興味出ちゃって」
「ツルタさん、私が出会ってきた派遣さんの中で、一番冒険者ですよ」
 ヤマシーさんは、いや〜、私には真似できない、といつものようにあっけらかんとバッサリ言った。
 自分でも一人行動が好きな方だと思っているツルタは、綺麗に白米を肉に挟んで食べるヤマシーさんに、まぁそういう方が合ってるんで、と思ったままに返すと、なんかかっこいいですね〜、ともごもごしながらも熱心そうにヤマシーさんは返した。
「ヤマシーさんは基本誰かと一緒っすもんね、それも逆にすごいっす、自分そんなに社内に知り合いいないんで」
と今度はシマサバさんがヤマシーさんに言うと、私は人と一緒にいなきゃだめかなぁ、でも知り合いの範囲が増えすぎて逆に最近後悔してるとこもあるけど、と二人を笑わせるように肩をすくめた。

 ヤマシーさんを見ていると、長身でいつも清楚で隙のない、一見とっつきにくそうに見える見た目とは裏腹に、デスクでパソコンと向き合っているとき以外の時間はほとんど楽しげに元同僚の営業さんや上司後輩と談笑するのが好きなことがよく伝わってくる。
「てか、そんなこと言ってシマサバくんもよく社内の女の子とランチしてるじゃん!しかもみんな可愛い子と」
 ヤマシーさんは、おちょくるように笑ってそう言うと、シマサバさんは違うということをアピールしたいようで大げさに顔の前で手を振ったあと、猫背に座っていた姿勢を正し直した。
 時間があれば自席でオンライン漫画を読んでいるおとなしそうに見えるシマサバさんだが、ツルタの隣のシマサバさんの席には社内の女性がなぜかこぞってと言っていいくらいよく話に来ている。案外と言っちゃ失礼だが、女性に好まれそうな人だとツルタは思っていた。
「でもやっぱ、チームの中でこうして時々一緒にランチできる人がいるって、嬉しいよね」
 ヤマシーさんは、時々話が進まなくなるのを察知すると、とても優しい笑顔でこんな風にまとめて言う。それに対して、シマサバさんもツルタも楽しそうに頷いた。
「てか話変わるんですけど、また今日もしれっと修正依頼出されましたよ、ワタルさんに。そんな細かいとこ直しても意味ないってとこやり直ししろって来たんすよ」
 シマサバさんは、急にスイッチを切り替えたみたいに不満そうに話し出した。
「シマサバくんも?こっちは準備してた食品チームの提案資料の代理作成の依頼急に無しにされたんだよね」
「まじっすか?結構ヤマシーさん時間かかってたのに?それはないすわ〜」
「ツルタさんも結構やり直しさせられてますよね?しかもあいつ言い方も顔も、やらせて当然だから、みたいな感じで言うし、ムカつきません?いつも穏やかに話し聞いてあげててほんとツルタさん優しいと思います」
 ヤマシーさんはテーブルに身を乗り出しながら汗をかいたグラスに入ったお茶をぐっと飲んだ。
「ツルタさんはワタルの補助として採用されたわけで、大事な片腕なのに雑に扱うなんて酷いですよ」
 シマサバさんは大きく頷きながらそう言う。

 三人が属する営業戦略チームの主任職で、この会社だとリーダーと呼ばれるポジションの常田亘リーダーについての愚痴は、よく二人は大いに盛り上がって話すネタなのだ。会社が国内最大規模のIT媒体企業であるだけあってとてもフラットな社風で、お互いを呼び合うのもあだ名なので、ツルタも恐縮ながらそれに乗っからせてもらっていて、常田リーダーのことをワタルさん、に加えて今年十四年目の山城愛華さんをヤマシーさん、十三年目の島田紀博さんをシマサバさんと呼んでいる。私鶴田由希子もツルちゃんにさんを付けてツルちゃんさんという名前を付けようか提案されたが、長いからツルタさんで私はいいですよ、と言うと、メンバーからはたまにツルちゃんさんと呼ばれるようになっている。そんな風に互いの関係性を身近にしつつも、仕事に関しては妥協なく評価する個人主義的な雰囲気だ。

 ちなみに、シマサバさんのあだ名の名付け親は実はワタルさんで、二人がサバ定食をランチで一緒に食べていた時に、魚の中でサバが一番好きだと言うと付けられたらしい。なんだかんだお互いにうまくやっているのだと思うが、営業戦略チームが二年前に発足された当時からチームに属している二人からすると、その一年後に異動してきたワタルさんは、前任のアラタさん(新田さんは、アラタさんだった)と比べるとやりづらいらしく、二人からはいつも不満が出てしまうようだった。

「確かにワタルさんは急な上に急かしますしね。後は口数が少ないから一瞬怖そうに見えますけど、私的にはデータの作り直しをさせられるくらいのことは、ここに入る前の正社員で働いていた内容と比べたら全然気楽なので、まぁ大丈夫ですよ。二人の仕事量に比べたら少ないでしょうし。しかもこんっなに気遣ってもらえる二人もいて、派遣社員にも仕切り付きの一席まで与えてもらえるなんて、文句ないですよ」

「ソンさんが小難しく作ったあの処理能力のエクセル動かせる人この百人近くいる営業本部でツルタさんくらいしかいませんよ」

 ソンさんこと孫さん(は、私同様本人の希望で名前通り呼ぶことになったらしい)はチームの要となるデータ処理に長けた人だ。シマサバさんはいつものようにそうツルタを持ち上げる。

「ツルタさんの、ワタルさんにはっきり「ここ見辛いです」とか「ここにある意味ありますか?」とか言ってる姿たまに見かけると、私的にはたまらないです。うちらだと聞かないのにツルタさんならワタルさんもなぜか素直に聞き入れますからね。ワタルさんのお気に入りですよ」

 普段はっきりものを言うヤマシーさんも、こう言う話は必ず私を安心させるようなことを言ってくれるのに対して、ツルタは恐縮して首をブンブンと振った。

「私は、恵まれてますよ」

 実際、今の業務内容的にも自分のPCスキルであれば、そこまで苦労せずにこなせることばかりなのもあって、派遣されたときからも大きな心配は少なかったが、逆に想定以上に居心地がいいことに驚いてしまうことばかりだった。会社全体として成果主義なので仕事さえできていれば逆に規則にはとても緩く、社内の人たちからも、妙な肩の力みを感じられないのでリラックスもしていられるのだ。それに加えて、なんだか過保護なほどこの二人はツルタに親切にしてくれる。ツルタは二人がどういうつもりでこんなに親しくしてくれたりするのか、最初は当然不思議になった。実は、派遣間も無くワタルさんとの面談で、直近で入った派遣社員は、すぐに退職したり、ナンパな社員と関係を持って問題になったり、というのが続いていて、正直大変だった、との経緯を聞いたので、もしかしたら自分は上手く転がされているだけなのかもとも思えたけれど、もし二人がそのように思っていても、決して乱暴に扱うようなことだけはしない人たちだというのは、この短期間でもよくわかった。いわゆる派遣社員とは、というイメージを持っていた自分の方が逆に置いていかれるみたいに。

 本当に、それは感心してしまうほどだった。例えば、初めて三人でカフェに誘われた時、ただ話をしていただけなのに結果的に私の就職支援のようなことにまでたどり着いたのだ。それぞれ年が近いのもあってちょっとお話しましょうよ、と集まった上お互いのことを話した際に、ツルタは派遣としてずっとい続ける予定ではなくて、これまでやってきた事務職から一念発起、方向転換の為に一時的に派遣社員でいようとしていること、それからどんな形でもいいので出版業界に入りたいことや、今は小説を一本と、自分のブログに旅行系の記事を書き溜めている、という話などをまとめてした。心が決まっていたので、もし何かを批判的に捉えられても、色々と取り繕うよりかは、シンプルだし結果的にそのようにした方が自分にとっていいだろう、と過去の経験を踏まえて考えてはいたが、そんな杞憂は必要なかった。二人は開口一番に、応援します、といい、シマサバさんは自ら、仲の良い関連会社のネット記事の編集をしているという男性とのランチを取り付けてくれた。ツルタは慌てつつ、全くの素人が急に大手企業の看板付きのプロと会話できることなんて面接ですら掴めない機会、と、二人を拝むことになった。結局その男性には自分のブログを見てもらったアドバイスと、就活に役立ちそうな話などを聞かせてもらった。

 ヤマシーさんにだって、自分が少なからず持っていた、対派遣先の人たちへのはっきりとしない懐疑心を覆される出来事もあった。データ処理でやり取りの多いソンさんとの間で、ワタルさんに依頼された成果物の内容で誤りがあったことについてツルタが注意されたときのことだ。実際には、営業の達成数字の元データが、商材別で税込と税抜が入り混じっていたことを事前にツルタに説明していなかったことが原因だったのだが、ツルタだけがワタルさんに呼び出されることがあった。説明がなされなかったのはソンさんがその作業に慣れすぎていた為に取り立ててツルタに伝える事項に入れていなかった、とツルタがワタルさんに連れられ戻った後に聞かされたが、些細なことでは謝ったりしない性格のソンさんは、ワタルさんにも自主的にそれを言おうとはしなかった。その後にツルタも作業に慣れると、確かに細かくある段階的なフローで言い忘れるのもわからなくもないなとは思ったけれども、派遣社員が間違った成果物を提出してしまうと、正社員のそれとはまた別の種類のダメージがあるということもわかってほしい、という気になった。
 それから、一連の出来事を聞きつけたヤマシーさんは、自主的にワタルさんに、それまでソンさんと個人間のチャットでやりとりしていたデータの受け渡しや仕事の依頼を、逐一必ずワタルをCCに入れて送るように提案してくれ、そのルールが採用されるようになった。やっぱりその時も、ワタルは気が利かない、と呼び捨てでヤマシーさんは愚痴っていたが、その後ソンさんもしれっとそのルールを取り入れてくれた。

 そんな風に、自分なんて出会ったばかりのどこからきたのかもわからない人間のはずなのに、親切にすることに全くハードルがないヤマシーさんやシマサバさんは、ツルタはとにかく、一言ですごいと思った。それまで働いてきた会社では、相手が同僚や部下ではもちろん、例え自社の新入社員や、はたまた顧客だったとしても、自分だけ利益を得ようとするような独善的な人たちが、その日一日でチェスの勝負でもしてるかのように駒を乱暴に弾き倒し強く長くのさばるような集団だったのに。こんな別世界が待っていて、そこで新しい常識を教えられているようだとツルタは思った。つまり、ツルタからすると、今のこの環境が、希望が見えない外の世界から隔離された一時的なシェルターのようなもののようだった。

「いや、ツルタさんがいい人なだけですよ。私、派遣さんでこんなに親しくなるの初めてですから。本当に何かあったら、すぐ言ってくださいね」

「ワタルさん、最近子供の良いパパするのに忙しいみたいなんで、まぁ何かあっても、本人はそこまで深く考えてやったことではないと思いますよ」

「シマサバくん、よく知ってるね。私あの人とプライベートな話なんてしたことほぼないのに」

「い〜やぁ、自分も自分から聞くわけじゃないんすけど、面談とかだとちょっと雑談したがる感じで」

「シマサバくんはほんと、上司でも男性でも優しいしウケいいからなぁ。頭の回転いいし、羨ましいわ」

「いや、ウケられてもなんも嬉しくないっす。ウケはヤマシーさんでしょ、ツルタさん知ってます?営業のときからヤマシーさん、理論的な話で詰めても結果の確度高いから上司から全然嫌われないって、営業本部の同世代では優等生だったんですから。営業の美容チームから営業推進に来たのも、リーダー差し置いて抜擢された人ですからね」

「いやいやいや、それはない、上には上がいるしね」

 そう言いながら、口に運んだ肉を咀嚼するヤマシーさんが一瞬だけ痛みに耐えるような表情になったようにツルタには見えたが、すぐに、私ハラミがやっぱ好きだわ〜、などと嬉しそうに言っていたので、気のせいか、とツルタはすぐに言い合う二人を楽しく眺めた。二人とも新卒からここにいて頼れる同期や先輩もいるわけだし、それぞれの世界があるだろうけれども、こんな風に他人行儀で褒め合うのもある程度の距離感を大切にしているように見えてツルタには何だか少し羨ましかった。やっぱりどうしてこんな二人が優しいのだろうか、大企業の人だからなのか、IT業界の人だからなのか、営業の人だからなのか、年が近いからなのか、ただ単に辞めさせたくないからなのか、色々思い浮かんで、ツルタは自分の中で、なんだと思う?と再度確認してみたが、どれもはっきりと合致するものはなかった。もちろん、そういった要素はそれぞれに含まれているかもしれないが、それよりも実感としてあるのは、ツルタが気張らずに自然体で話している感覚や、話好きで、何となく実は二人も寂しがりなんじゃないかという共通した空気、かもしれない、とツルタは思った。そんな当てずっぽうがもし外れていたとしても、この時間は大切な時間になるだろうと思う。二人がツルタとは同じ土俵ではないのは確かで、自分とは全く別の世界を歩んで来たのに、出会ったことがまず不思議なのだから。

「まぁ、色々言っても七月までの話ですけどねぇ〜」

「そうだね〜。まさかここに来て解散とは私も想定してなかったなぁ〜」

独身記念日⑴  終わり


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