自己認識への第1歩~失われた自分軸を探しに
以前よりはだいぶ改善されてきたとは言え、定期的に内観し、ケアする時間を取っていかないと、自分の軸が揺らぐことがある。
そのような時に行う対処法の1つは、それぞれ行動と丁寧に向き合い、それらが
・need(行う必要、義務や責任)から来ているものなのか、
・want(素直な欲求や願望)から来ているものなのか
を分析することだ。
だいたい息苦しく感じる時は、いつの間にかwantが消えていて、needが増えすぎている。
もちろん社会人として果たすべき義務や責任を放棄するわけにはいかないが、必要以上にneedだと思い込んでいて、実はやらなくてもよかったこと(what I didn't need to do)をしすぎた、ということに気づいたりする。
私の場合、大抵そのようなneedへの思い込みの背後には、嫌われないための他人への不要な気遣いであったり、誰かを喜ばせるための無駄な努力があるが、その根底には認めてもらいたいという願望が存在していることが多い。
それに気づいたらいったん立ち止まって軌道修正する。
自信過剰になるのではなく、適切に自分を自分で認めていけば良い。
そして、それから自分の素直なwant(欲求や願望)に向き合い、叶えていけば良い。
HSPやINFJあるあるな件だが、私は長いこと人の顔色や機嫌を察知するということをしすぎてしまった挙げ句、自分で自分のことがわからなくなるという状態に陥った。
そして完全に、いわゆる他人軸で生きているモードに突入。他人から認められること=自分の価値、ということが行動の基準になってしまった。
私がこうなったのには3段階の歴史がある。(その歴史については後日別件で書きたいと思っているので今回は言及しない。)
物事は起きた事そのものよりも、それをどう解釈するかが大切だ。
同じ出来事を経験しても記憶に残らない人もいれば、ポジティブな影響を受ける人、或いはトラウマや悪い感情を抱く人もいる。
今の自分を癒していくには、過去の出来事を再解釈し、捉え方を修正していくことも大切だ。
他人軸によるジャッジを基準にせず、ちゃんと内面と向き合って、自分の本心をケアしていきたい。
気持ちが外に向きすぎていると(陽の多い活動)、だんだん軸がブレてくるタイプの人には、自分の内なる声を聴くのに陰ヨガや瞑想は最高のツールだなと個人的には思う。
写真は和歌山県高野山の深い森。
古代からの叡智に守られ、特別な気の流れを感じる場所でした。
戦国武将たちに会いに行き、
すべてヴィーガンの精進料理も創意工夫が面白く、美味しかった思い出。