Aぇ! イナズマロックで15秒だけ考えたこと
ジャニーズ問題がどうこうなる前から、価値観のズレをつぶさに見つけては寄ってたかって叩きのめすTwitterの風潮がしんどくなって、アプリを消していた。
9月、平日の昼間に友人から連絡が来て、Aぇがフェスに出演することを知った。(連絡をくれた時点でチケット確保済みだった。ありがたい限り)
どの界隈にとってもそうだと思うが、オタクにとっての一番の情報源はTwitterなので、番組出演情報にも、タレントの熱愛ややらかしにも、全ての情報に疎くなっていた時だった。
それでも「行くよね?」と聞いてくれた友人に、こんなに嬉しいことない!と二つ返事で答えた。
その時点でさえ、「ジャニーズという言葉をこの世から無くそう」という動きが始まるなんて思ってもみなかった。
今から15年ほど前にジャニーズのファンになって、以来さまざまなグループを応援してきた。友達になる子もなぜかジャニーズファンが多く(仲良くなってからファン同士であることを知ったり、全然そんな気がなかった子が急にどっぷりハマったり)付き合いで普段応援していないグループのライブに行ったりもした。
10月9日、フェスのようなアウェイな場所でのジャニーズのライブは初めててで、誰に向けてか分からないけど「良識あるおねえさんオタク」に見られたくて、彼らが出てくる1秒前まで冷静なフリをしていた。(マイクチェックだけでキャーキャー言うのやめようぜ?フェスだぜ?と隣のオタクを冷ややかな目で見ていた。)
彼らがステージに出てきた瞬間、もうとにかくカッッッッコよくて、1秒前の冷静なお姉さん(虚像)はどこかへ消えた。今からでもあの時隣り合わせた晶哉担を探し出して謝りたいくらい、何もかも気にせずキャーキャー言い、必死に手振りをし、声を出し、泣いていた。
とにかく必死に彼らの様子を目で追っていたけど、出演の30分間で一度だけ、「彼らがジャニーズでなくなること」が頭をよぎった。とにかく悲しい気持ちになった。
イナズマ出演に乗り遅れそうになって以来、Twitterのアプリを再ダウンロードして、見なきゃ良いのに件の問題に関するツイートを逐一チェックしている。その中に、何かのワイドショーのキャプチャが添付されたツイートがあり、リプライに非難が殺到していた。
ジャニーズファンと書かれたギャル数名が取材に応えている様子の画像で、テロップで「今はファンだけどジャニーズじゃなくなったら冷めてしまうかもしれない」というようなことを言っていた。映像はなかったので前後の文脈や彼女たちの話していたトーンは分からない。そのたかだかキャプチャ一枚のいわゆる「切り抜き」に対して、明らかにジャニーズファンではない方々からの「どうせブランドだけが好きなんだろ」とのご意見が並んでいた。
私はインタビューの彼女の言っていることにとても共感した。
これまで、顔面がかっこいいのも、歌と踊りがどんどん上手になっていくのも、鍛えられたトーク力も、グループを超えた繋がりにほっこりするのも、圧倒されるようなエンターテインメントも、彼らを応援したい200個以上の理由を全て「ジャニーズだから」という言葉に集約していたからだ。
10年以上ジュニアのファンをやっているのも「夢を追う姿を見せる」という手法のエンタメを喜んで享受しているからで、彼らの夢は「デビューしたジャニーズになること」だと思っていた。
私が15年間感じてきた「ジャニーズらしさ」としか言いようがないときめきは、所在をなくして消えてしまうのだろうか。
昨日Aぇが提供してくれたあのとてつもない高揚感だって、メンバー一人一人のバイオグラフィーや、関係性や、これまで番組やライブで取り組んで来たこと、先輩の音楽など、「ジャニーズ」という舞台の上で紡がれたさまざまな文脈が、あの舞台の上で一つになった瞬間を目の当たりにしたからこそ感じたものだ。
ライブ後、他アーティストのファンが彼らを褒めてくれているツイートがたくさん流れてきてこれも嬉しい限りだが、その多くは「ジャニーズだと思って舐めてた」という逆サイドからの「ジャニーズだから」という文脈に則ったものに思える。
昨日のあの素晴らしい気持ちを、数年後に箱から取り出したようにそのまま感じることはできないだろう。時間の流れは残酷だから、今こんなふうに考えていることさえ忘れてしまうかもしれない。
いちファンとして、彼らの今後の体制ついては待つ以外することがないし、頭の整理がついていてハッキリした意見があるわけでもない。頭悪そうな記者やただ誰かをいじめたいだけのツイッター民に何か物申したいわけでもないが、記録として、この物悲しい気持ちを文章に残しておきたいと思った。