『ボーはおそれている』を見た。身に覚えのある不安だった。【ネタバレあり】
・『ボーはおそれている』を見た。
みなさんがなにをわからないのかわからなかった…。
見たことのある景色、見たことのある夢。
映画『ジョーカー』がそうだったみたいに、たとえ野暮でも理解されることを優先したのであろう、露骨にキャッチーな演出、だったと思う。後半の畳み掛けとか特に。
よく知っている不安。
われわれ精神障害者にとっては。
・前評判で、意味わからなかったとか途中で寝たとか聞いていたから、一体どうなることやら…と思ってたんだけど。主演が同じくホアキン・フェニックス『ジョーカー』の名演技と監督アリ・アスター『ミッドサマー』が好きだからどちらにせよ絶対観に行くつもりだった。
いやもう、伝わってくる緊張感でギンギンになって、3時間ぜんぜん集中力が切れてくれなかった。寝れるかこれ!?
すごい、すごい、すごい、観てこんなにも蘇るほどに生々しい、この…
劇(に限らず小説や映画もだけど)を観ていて自分がその世界に取り込まれちゃって帰ってこれない感じとか、注意力過剰の実感としてすごくリアルで。
みなさんも寝かけてて夢と空想と現実が混ざってわけわかんない寝言言っちゃうあたりの精神もちゃもちゃ状態って全然あるじゃないですか。あんな感じです。
あとは…不安の具合が悪いとき、横断歩道渡ってたり交差点で信号待ってたりすると暴走車が突っ込んできて轢き殺される自分の死体を想像するじゃないですか、あの…想像だってこともちゃんとわかってるんだけど、不安でそうなっちゃう。あの感じ。
空想と現実が地続きで、奇妙な連続性さえ持っていると感じられる瞬間。確かにある。
・あとこれは多分全員言ってるんじゃないかと思うけど、エンドロール最高でしたね!性格悪すぎて!!
ここまで観客たちをすっかり「ボーは私…」にしておいて、これほどかように一縷の希望も持たせない完封たる死亡確認。
なぜこんなひどいことをするんだ、こっちの台詞だよ…
・そういえばTwitterで、「アリアスター監督の表現は明らかに監督個人の経験や不安から来てるから、それを狂気!!とか言って笑いものにして消費するのは危険だと思う」みたいなこと言ってる人をよく見かけたけど、映画を見た上で、余計なお世話だよ…とやっぱり思ってしまう。
みなさんに笑ってもらうことが、私たちに残された最後の手段なんだ。
みなさんの輪に入れてもらうための。
"配慮"という建前で、腫れ物扱いで仲間外れにするのではなく、ね。
私らの障害に完治、は無い。
死ぬまで捨てられないハンデなら、いっそ笑ってくれよ。
少なくとも、私はそう思うよ。
>悪者は追う者もないのに逃げる。(旧約聖書 箴言28章1節)
・『お前には罪がある』という言葉は呪いである。
みなさんが当然に持っている、健康的な厚かましさ!今風に言うのなら自己肯定感というものでしょうか、それを成長段階で正しく得ることができずに、他人のご機嫌伺いばかりして自分がお役に立てているか常にビクビクしており、往々にしてその態度自体が鬱陶しいために歪んだ自己認識をむしろ正しいものにしてしまっている私たちにとって…
『お前には罪がある、お前はそれを知っている』作中で繰り返される、この台詞!ぞっとする。
もしあなたがそう言われて、本当に何の心当たりも出てこないなら?おめでとう!それこそが、生きていくのに必要な厚かましさなんです!って書くと責めてるみたいだけど、それがないとほんとに無意味に病を悪くし続けますので…。
そういえば昔、友達にあなたの言う「原罪」って何?と訊かれて本当にびっくりしたな。生きているという罪のことです。誰もが当然にそれを感じ、息するだけで後ろめたく存在しているものだと、訊かれるまで私は疑いもしていなかった。
・あと一緒に観た友達が同じく精神障害者だったんだけど、帰り道で「不安と錯乱で車内が縮んでくるように感じられるシーン、ああいう時って歯や舌が口の中にパンパンで居所がわからなくなったり、手足がぶよぶよして椅子やベッドと自分が塊になって身じろぎもできなくなったりするよね!」と二人盛り上がった。
これはこれで青春だ。
おしまい。