旅の思い出「ディズニーランド」
先週、春休みを利用して友人と3人で東京ディズニーランドへ行ってきました。わたしがディズニーに行くのは中学の修学旅行以来で随分と久しぶりでしたが、少し大人になってからいくと夢の国の本気度を垣間見ることが出来たような気がしました。
というのも、私はいつもだいたい、楽しいことをしている最中でも「明日はバイトかー」とか、次に控える憂鬱なことを考えてしまうのですが、ディズニーにいる間は1度も考えなかったのです。これは私にとってはけっこう衝撃的なことでした。それだけその時間に夢中になってた、というわけなのでしょうが、ディズニーにいる時間はまさに「夢」の「中」なんですね。魔法をかけられた気分でした。本当に楽しかったです。でも、どうしてそんなに夢中になれたんだろう、と考えてみて、ディズニーはお客さんの現実性を限界まで削いでいるんだな。という結論になりました。
ここからは全て私の個人的な見解になります。ディズニーについて深く調べたなどではないので、本来の意とそぐわない部分が出てくるかもしれませんが予めご了承ください。
お客さんの現実性を削ぐ、というのはどういう事かというと、お客さんに「ここが現実」であると思わせない。という事です。例えば園内で流れるBGM。そのBGMが流れるスピーカーは、むき出しにされているのではなく、周りのものと同化させたりして人目に付かないようにしてありました。また、園内にたくさんいる清掃員さん。彼らは私たちが落としてしまったポップコーンのカスなどを、本当にこまめに掃除してくれます。他にも挙げればキリがないのでしょうが、その様々な工夫は全て「夢の国が夢の国であるため」に収束されているのだと思います。
では、ディズニーの目指す「夢の国」とはどういうものなのでしょうか。
それは、パレードをみると少しわかるような気がします。と言っても、私はパレードは全く見ずにアトラクションばかりに乗っているタイプなのですが…。案の定、今回の旅行でも朝からいましたがパレードは1回も見てないです(笑)けれど、帰りがけにシンデレラ城でのプロジェクションマッピングだけ全て見させて頂きました。いやはや…ディズニーなめてましたね。あれは感動しました。今度またディズニーに行くことがあったら、その時はパレードも見てみようかな、という気になりましたね。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、ディズニーの目指す「夢の国」。それはきっと、おとぎ話の世界なのでは、と思いました。
ディズニー制作の映画ってたくさんありますよね。お恥ずかしい事にあまり見たことがないのですが、共通しているのは物語の結末が「いつまでも幸せに暮しました」になっていることだと思います。勧善懲悪の物語、というのはディズニー独特であると思います。そこが、ジブリなどとはまた違った作風になる要素だと思うのですが、普通、勧善懲悪の話は大人になってしまったらあまり読みませんよね?偏見になってしまうかもしれませんが、私たちは年を重ねていく事に、正義が悪を倒すのを見ると「そんなに上手くは行かないんだよなぁ」と現実とのすり合わせを考えてしまう気がします。だいたい6割くらいが成功に向かったら、話としてはハッピーエンドになるんじゃないかな、なんて私は思ってしまいます。でもディズニーの映画は、最後は必ず、誰がどう見てもハッピーエンドだと納得できる形で終わると思います。もちろん道中に苦労は沢山あったけれども、それらもすべて乗り越えてこの終を迎えるんだと。それがディズニーの目指す「夢の国」なのではないかと私は思いました。誰しもは物語の主人公に成り得て、そして魔法をかけられるのだと。子供っぽいと思われてしまうかも、けれどもディズニーは大きくなって私たちが忘れてしまいがちになる一番最初の気持ち、世界はきっと自分を祝福している。そんな、世界が輝くような気持ちを持てるような夢の国になろうとしてるのではないかな、と思いました。そしてそんな素敵な魔法を私たちにかけるために本当に大掛かりなものから細かなものまで、たくさんの工夫を凝らしているのだと感じました。ディズニーの信ずるものはそこにあって、信念を持って取り組んでいるのだと。そこが本当に素晴らしく、ディズニーがディズニーたる所以であると思いました。
もうすぐ3月になり、新たな世界を迎える4月に向けて準備をととえている方も多いと思います。新たな場所へ持っていくものの中に、素直な気持ちをたくさん入れるため、ディズニーへ行ってみることをおすすめします。