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波瀾万丈家庭〜母と私の物語〜


「私の原点」

私は田舎でのどかに育ちました。
途中で両親が離婚し、それ以降は母と兄と3人暮らし。母は昼と夜、2つの仕事を掛け持ちして働き続ける、いわゆる“働き者”でした。でも、離婚後は夜の仕事一本に絞ったため、実際には兄と2人で過ごすことが多い生活でした。

母はお酒が好きで、仕事上飲む機会も多かったのですが、飲み始めると量をコントロールできなくなることも…。そんなある日の朝、小学生だった私は兄と一緒に学校へ行く準備をしていました。ドアを開けようとしたその瞬間、ドンッと何かがぶつかり、ドアが開きません。隙間から覗いてみると、そこには酔っ払って寝ている母の姿がありました(笑)。

「冬じゃなくて良かった」「雪国で二重扉があって良かった」と、今となっては笑える話です。
ある日には、道路に面している駐車場の車の中に寝ていて通行人に見られまくっている日もありました。

高校生になり、始まった母との二人暮らし

私が高校に上がると、兄は大学進学のため上京し、母と二人暮らしがスタートしました。
母は昼の仕事にも挑戦しましたが、慣れない環境に加えて、職場の“お局様”との関係が大変だったようです。正義感が強く、不器用だけど真っ直ぐな母には、合わない場所だったのでしょう。

「そして、バトンは渡された」
そんな母の姿を思い出させる映画があります。
ある日、Netflixでなんとなく再生した**「そして、バトンは渡された」**。これを観て思わず口に出しました。

「これ、私の母やん…」

もちろん映画そのままではありませんが、母と私の関係性がどこか重なったのです。

私の「小さな夢」が叶う瞬間

高校生になった私はアルバイトを始めたり、初めて推し活を体験したり、交友関係も広がりました。今まで特に何も求めていませんでしたが、ふとつぶやいた一言がきっかけでした。

「あー、これ欲しいな」
「このライブ、ドームで観てみたいなー」

そんな私の声に、母はいつもこう返してくれるのです。
「え、行けるかもよ?」

どうしてそうなったのか、正直覚えていませんが、私の「小さな夢」は母のお客さんたちの協力でどんどん叶えられていきました(笑)。

一緒に飛行機に乗って5大ドームツアーを巡ったり、ライブを観に行ったり。(もちろんおじさんも一緒)
家族旅行をしたことがなかった私たちにとって、それは初めての“親子旅行”でもありました。

「平成のアッシーくん」

学校に通うには電車と自転車を乗り継ぐ必要があり、通学には時間がかかりました。でも、なぜか私には“アッシーくん”が存在していました。母のお客さんたちが、その役を担ってくれていたのです(笑)。

寝坊した朝、私は迷わずそのアッシーに電話をかけます。すると、車で迎えに来てくれる。そんな生活が当たり前になっていました。

「普通じゃないけど、普通だった日常」
今振り返れば、私の家庭は“普通”ではなかったかもしれません。それでも、色々な人の支えを受けながら、高校時代までは意外と不自由なく過ごせていたと思います。

次回は「上京編」をお届けします。
ここからまた波乱万丈な日々が始まります…。

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