のんさんへ
先に謝ります。ごめん。何もお題が浮かばなくて困ってしまった。でも、のんさんと書いている交換日記を書きたくなったので書きました。閑話休題ということで見逃してもらえると嬉しいな。
何となく、いま、わたしの中はからっぽです。でも、日常はぎゅうぎゅう詰めになっています。
バイク講習も進んで、たぶん8月にはバイクに乗れます。バイクは買いました。これから乗るためのあれそれも買います。歯科矯正も今月~来月頭には始めます。仕事も順調で異例の昇進をしました。実は失恋?(多分、本当は恋でも何でもないと思う)したけれど、そこそこ仲良くやっていたりします。
来年の7月くらいまでは貯金とかそういうのが難しいので、そこからの貯金・投資の計画も立てました。やりたいことがたくさんあって、時間も体力も足りません。わくわくしています。
でも、良くも悪くもわたしの中はからっぽです。いつもなら1時間くらいで思いつくお題や内容が全く思いつかなくて困っています。のんさんと話したい内容がたくさんあるはずなのに、うまく言葉にできません。
なぜだろう、と思って考えた結果、今、ひとに執着を持たなさすぎる時期が来てしまったのではないかという仮定が生まれました。
※もちろん、友達のことは大好きです!いつでもね!
わたしは、誰がいなくても一人で楽しめます。一人で生きていくこともできます。(病気のときとかは誰かがいると助かるけれど、それはそれとして)仕事も一生続けて、老後の資金もこのままなら困ることはありません。多分、子供を産んだとしてもそうです。
筋トレ(少し怪我をして休んでいたけれど、今日から復活した)とか、メイクとか、美容医療とか、わたしはどんどん綺麗になるなって思っています。伸びしろがありすぎて楽しい。
そのなかで、ちょっとだけ、他人を必要としなくて済む自分に寂しさを覚えています。かといって、自分の自由を、楽しみを奪われたくない。干渉されたくない。そう思う自分のことがよくわかりません。
わたしはひとりで生きていけます。たまに友達と話せれば幸せです。それでも、心のどこかで理解者というかパートナーというか、そういう存在を求めてしまうのはどうしてなんだろうね。ひとは一生孤独ないきものだと、完全に分かり合えることもないと、友達として関わるだけでも幸せだと、すべてわかっているはずなのに。
ときどき、新卒のときに付き合った元彼のことを思い出します。あのときは何も考えずに好きだと思えて、甘えられて、一緒にいたくて、くっついていた。もちろん、100%幸せとは言えなかったけど、それでも未来を信じていた。そういうわたしはもういなくなってしまったのだと、少し悲しくなります。でも、変わりたい、変わり続けたいと思うわたしも確かにいます。
これが大人になるってことなのかな。自立できたのでしょうか。そんなことがからっぽのなかで回っています。
お題は思いつかなかったので、好きに決めてもいいし、だらだら日記を書く感じでもいいよ。うまく伝わらなかったら雰囲気で読んでね。