低いテンションがあがる必殺技効かない時がある(のん)
どうもこんばんは、のんです。
元気かと言われると微妙ですが、ちゃんと生活しています。
みーさんが少し復活した様で何よりです。
さて本来なら今回は低いテンションがあがる必殺技の回だったはずなんですが、私事ではありますが(果たしてこの交換日記に私事以外があるのかといえば謎ですが)、先週祖母が亡くなりました。
100歳も近づいてきていて、ずっと体調を崩していたところだったので周囲としても覚悟はあったし、思ったより落ち込みは少ない様な気もします。あとお葬式ではなく、最後は献体にと自分で決められてその献体のルール(細かいところを書くと色々場所が特定できてしまう気もするので敢えて誤魔化します。)をきっちり守り、最後の最期まで粘った人生だったと聞いています。
家族としては、通常のお葬式になる可能性も含めて色々考えたのですが、そんな周囲の勝手な焦りを吹き飛ばしていきました。大きな病気をしたわけでもなく、このご時世の新型ウイルスにかかった訳ではない。きっと大往生とこれを言わずして、何を言う。そのくらいの大往生です。
みーさんも知っている様に、私は実家との折り合いは決して良くありません。すごく仲が悪い訳でもないけど、距離を保つことで精神安定を得ているので、転職やウイルスの流行もあり2年ほどもう帰省していません。体調を本格的に崩し出したところでは、もう世の中この状況なので、体調悪いおばあちゃんに関東から会いに帰る訳にもいかず、私は結局最後までおばあちゃんに会う事はできませんでした。
「元気だった頃を覚えておいて、それを最後の記憶にしてほしい」
帰れない私に母は電話口でそう言いました。
元気な姿を思い出として貰えるのは本当に幸せな事なんだと思います。帰省しないことを選んだのも自分ですから。ただ、どんなに窶れていても、最後手を握ってしわくちゃに小さくなった手を撫でて「今まで可愛がってくれてありがとう、長い人生お疲れ様」と伝える機会は永遠に失われたんだなと思うと、何だか身体のどこかネジが外れてしまった様なそんな違和感を覚えます。
もっともっとちゃんとありがとうって伝えておけば良かったね。
家族の中で一番2度目の東京オリンピックを楽しみにしていた、おばあちゃんの東京オリンピックが来ない事を私はきっとこれから何度もニュースを見ながら考えるのだと思います。
ずっとこの一年分からなかった、【ウイルスが広がるということ】を初めて私は理解したのかもしれません。こんな風に会えなくなったり、取り返しのつかない事が起きているって事だったんですね。
たらればを言っても仕方ない所はあるけれど、それでもこんな風にお別れを迎える状況になった事が、多分私はとても悔しくてたまらないんだと思ってます。
そんな中でも何となく日常生活は巡り、私は何とかちゃんと生活しています。だからこの文章を読んだら心配になるとは思いますが大丈夫です。でもお題はちょっと書けなかったのと日記はいつもの形式で書ける気がしなかったのでこれで回します。
次回はそうだな「自分の中で一番思い出に残る言葉やもしくは場面」でお願いします。