文化格差と幸せの定義

「地方出身の東大男子が東京出身の彼女と付き合うと、ほぼ100%の確率で『文化格差は一生埋まらない』とうなだれる」といった話題が、以前X(旧Twitter)で盛り上がっていました。



実は、私自身も地方出身の親しい人に似たようなことを言われた経験があり印象に残っています。 その時感じたこと、そして「文化格差」や「文化資本」とは何なのかについて、個人的な意見を述べたいと思います。



文化格差とは


まず、「文化格差」とは、単に学力や知識の差ではなく、生活習慣や育った環境、社会的な教養や価値観の違いを指します。
東京で育った人は、幼少期から自然と多様な文化的リソースにアクセスでき、高級な美術館や劇場への訪問、グローバルな視点での人脈形成、洗練された生活スタイルなどを当たり前のように享受しています。一方、地方出身者はそのような機会に恵まれず、たとえ東大のような一流の学問の場に身を置いても、文化的なバックグラウンドには大きな差が生じることがあります。
そして、「文化資本」とは、こうした経験や教養が、社会的に有利な立場に立つための重要な要素です。成功するためには、単に学問的な知識やスキルだけでなく、洗練された振る舞いや人脈、社会的な常識といった文化的な素養が必要です。特に影響力のある仕事に就くには、これらの「文化資本」が不可欠であることに気づかされます。この差に多くの地方出身者が直面するのだと思います。

文化資本がある=幸せではないし、努力で身につけられる


ただし、「文化資本」があるからといって、それが必ずしも「幸せ」に直結するとは限らないと私は考えています。 都会で育った人々であっても、必ずしも全員が満足感や幸福感を感じているわけではありません。逆に、文化資本が少ない地方出身者でも、地元でのつながりや自然との共生を大切にして幸せに生きている人もいます。幸せは文化的なリソースだけで決まるものではなく、自分自身が何に価値を感じ、どう生きるかに大きく依存しています。 個人的には、この「文化格差」は確かに存在しますが、それを一生埋められないと断言する必要はないと思います。自分の異なるバックグラウンドを武器にし、新しい価値観や視点を持ち込むことができるという強みもあると感じています。文化資本を補うことは時間がかかるかもしれませんが、社会人になってからでも、30代以降でも遅くないと思っています。それを意識し努力することで、新たな学びを得ることができます。自分の立場では断言できないのですが、今までに何人もそのような方と会いました。

文化格差を感じたエピソード


そして、何よりも重要なのは、自分がどこに幸せを見出すかを見極めることだと思います。 私自身、幼稚園や小学校から私立に通っていたため、地元とのつながりは非常に薄いです。成人式にも出席していませんし、地元に帰っても知り合いがほとんどいません。また、幼い頃は両親から関わる人々を厳しく制限されていたため、他の家庭や子どもたちとの交流も少なかったのが事実です。 このような環境で育った私は、大学に進学してから、さまざまなバックグラウンドを持つ人々と関わる機会を得ました。しかし、その中で初めて「文化格差」を実感し、時には疎外感を感じることもありました。友人たちが当たり前のように共有する話題や経験が、私にはまったく馴染みのないものであったり、逆に私が自然に思っていたことが彼らには理解できなかったりする場面が多々ありました。この経験を通じて、自分が育った環境や文化的な資産がいかに特定の枠組みの中に限定されていたのかを思い知らされました。 私にとって、文化資本は物質的な豊かさや知識の高さだけではなく、人とのつながりや共感の深さ、そしてそれが自分にどのように影響しているかを理解する力が重要だと考えています。だからこそ、文化格差に直面して感じたのは、単なる優劣ではなく、今後自分がどうその経験を活かしていけるか、そして自分の価値観や幸せをどのように定義していくかという問いでもあったのです。

幸せとは何か


私にとっての幸せとは何か――
それを考える時、両親の期待や価値観が大きな影響を与えていることは否定できません。両親にとって、私の幸せとは、高い教育を受けさせ、レベルの高い家庭の子たちと交流し、人脈を築くことでした。そのおかげで、確かに私は優秀な同級生に囲まれ育ちました。女子校という環境だったこともあり、同級生はほぼ全員女性でしたが、彼女たちは20代ですでに様々な分野で社会的に成功を収めています。そうした環境が今の私を形作ったのは間違いないでしょう。 ただ、自分自身の幸せを本当に深く考えた時に、私はその定義が少し異なると感じます。
私にとっての幸せは、自分自身だけでなく、自分の周りの大切な人々、そして愛する猫も含めて、みんなが幸せになること。私にとって大切なのは、誰かと支え合い、共に幸せを築くことだと思っています。
また、私の幸せの一つには、新しい知識を吸収すること、年に一度は新しい体験をすることがあります。海外旅行に出かけて異文化を楽しんだり、芸術に触れて心を豊かにする時間を過ごすこと、旅行先で美しい景色を写真におさめることが大好きです。これらの体験を通じて、自分自身の世界が広がることが、私にとってはとても重要です。 そのためには、ある程度の経済力と自立心を持つことが必要だと考えています。贅沢な生活は求めていませんが、自分と周りの大切な存在が安心して暮らせる基盤を築き、自らの力で自由に選択できる生活を送りたいと思っています。それが、私にとっての「幸せ」の一つの形です。

まとめ

幸せになるためには、自分の幸せの定義の軸をずらさないことが大切です。
文化資本とは個人それぞれの定義が違うものであり、文化格差というのは確かに存在しますが、恵まれていない環境で生まれ育ったからと言ってコンプレックスを感じる必要はないし、東京で子育てをするからと言って、無理やり私学に入れる必要もないと考えています。





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